第2話 現代編 十年越しの再会 その2

 5年に渡る週刊連載を終えて余暇を持て余した挙句、担当編集の手回しによって温泉街へやってきた『大久保 篤志おおくぼ あつし(職業:漫画家)』は、歩きスマホの最中に道ゆく人にぶつかった。

『歩きスマホダメ、絶対』完全に自分が悪かった。

『これはマズイ』と頭を下げて驚愕。相手の姿に見覚えがあったから。

 口には出さなかったが――冗談抜きで心臓が止まるかと思った。


 ほっそりした白い首筋。

 頭の後ろでポニーテールに束ねられた、それほど長くもない黒髪。

 凜とした眼差しに、キュッと引き締められた口元。

 整った顔立ちはともかく、全体的にロリ(禁句)もとい華奢。


天城 透あまぎ とおる


 高校の時に3年間ずっと同じクラスだった少女。

 彼女はいつもクラス委員で、篤志はお世辞にも真面目とは言い難いサボり魔。最大限穏当に解釈しても、ふたりの相性は最悪だった。

 顔を合わすたびにやれ『宿題をさっさと出しなさい』だの『掃除を手伝いなさい』だの『授業をさぼってはいけません』なんて叱られていた覚えがある。

 目の前の彼女は相変わらずのロリ……ではなく合法ロリでもなく、ともかく記憶の中にある姿と寸分変わらない。

 見た目は十年前と同じ、なのに――


──そっか、結婚したのか……


 先ほど透は『風祭かざまつり』と名乗った。『風祭』は高校時代の彼女の彼氏の苗字だ。どうやらふたりは無事にゴールインしたらしい。

 その証拠に、左手の薬指には指輪が嵌っている。

 予想されていた事実とは言え、眼前に突き付けられるとショックが大きい。

 動揺を隠すために努力を要するほどに。


「透さん……って、この言い方はないな。えっと……風祭さんは、お変わりないようで……」


「どこを見て言っているのですか?」


 ジト目と冷ややかな声は、思い出の中に住まう透とまったく同じだった。


「いや、どこを見てって、そうじゃなくてさ。こういうの、お約束だろ?」


 静かな詰問に気圧されながら、しどろもどろに応える。

 小柄な身体と強烈な圧力。

 彼女がかつて『小さな巨人』なんて呼ばれていたことを思い出した。

 それにしても解せない。何もかもが懐かしいとはいえ……昔はもっと気軽に切り返すことができていたはずなのだが、十年来の再会が唐突すぎるせいか上手く口が回ってくれない。

 しどろもどろの言い訳に、透はますます剣呑な眼差しを向けてくる。

 目の前で腰に手を当てている女性が何を考えているのかは……まぁ、わかる。

 透は自分の外見、特に背の低さに強いコンプレックスを抱いていた。

 昔から『制服を着ていなかったら◎学生で通じる』などと揶揄されていたし、本人は毎日牛乳を飲み小魚を口にしていたともっぱらの噂だった。

 確か当時ギリギリ身長140センチを超えたとか耳にしたが、どうやら高校卒業後も背は伸びなかったらしい。

 別に悪気はないのだけれど、篤志が即座に彼女を透と判断できた大きな要因のひとつに、その低身長があったことは否めない。

 ……決して肯定することはできないけれど。


「そうですね。そういう事にしておきましょう」


 しばらく篤志を睨みつけていた透は、ふうっと大きく息を吐き出した。

 張り詰めていた空気が穏やかに弛緩する。篤志も肩の力が抜けた。


「そうそう」


「大久保さんはずいぶん変わりましたね」


「そう?」


 思わず首を傾げた。

 透は『ええ』と頷いて、


「昔の大久保さんは、もっと身だしなみに気を付けていましたよ」


「そうだっけ?」


 地味に心に突き刺さる言葉だった。顎に手を当てると、ジョリっと感触。

 髭を剃るのを忘れていた。最後に髪を切ったのがいつだったか思い出せない。

 なるほど言うとおりだった。反論できない。


「それに眼鏡も」


「ああ、これは確かに」


 透はクスリと笑みを浮かべながら、とんとんと自分の眉間を人差し指で叩いている。

 言われてみれば、高校時代の自分とはかなり風貌が変わっている。

 少なくとも、あの頃は眼鏡なんてかけていなかった。


「目、悪いんですか?」


「よくはないなぁ」


 しみじみと答えた。

 生活に支障をきたすほど見えないわけではないが、眼鏡なしでは車に乗れない程度には悪い。

 年を取るごとに身体が不自由になっているような気がしないでもない。

 まだ20代なのに。


「コンタクトにしないんですか?」


「あれは好かんのよ」


 深い意味はなく、ただ何となく嫌。

 そう続けると、笑われた。

 ツボに入ったらしい。


「と、ところで風祭さんはこんなところで何を?」


 笑われたのは心外だったが、機嫌がよくなったのはありがたい。

 内心では『透さんを『風祭』って呼ぶのは慣れないな』と思っていた。

 もちろん口には出さない。


「温泉に入るために決まってるじゃないですか」


 大久保さんは違うんですか?

 そう言われると返す言葉もない。

 篤志と透の故郷は、この街からかなり離れている。

 なんの用事もなく訪れる場所ではなかったし、温泉街に温泉以外を目的に足を運ぶ理由なんて思いつかなかった。


「家族旅行か……」


 いつ結婚したのかは知らないが、子どもがいてもおかしくない年ごろではある。そのうち旦那が姿を現すかもしれない。あちらは再会を祝う相手でもないので、さっさと退散すべきだろう。

 口に出してから『新婚旅行かもしれない』とも思ったのだが、予想に反して透は首を縦に振らなかった。


「あれ、風祭さん?」


「私は……ひとりです」


「え? そうなの?」


 耳を疑う答えに、思わず素で問い返してしまった。

 透は無言で首を縦に振った。

 ポニーテールの黒髪が軽く揺れる。

 一瞬にして空気が重くなる。


「ま、まぁ、そう言うこともあるかも?」


 今は21世紀なのだ。

 夫婦の形も色々だろう。

 それぞれが自由を謳歌するなんてライフスタイルもありかもしれない。

 心の中で言い訳を並べ立てたものの、いい感じな言葉にはならなかった。


「大久保さんはどうなんですか?」


「俺? 俺もひとり。まぁ、こっちは追い出されたっつーか」


「追い出された?」


 透の声が再び鋭い光を帯びたので、慌てて両手のジェスチャーで『大したことないから』と抑える。久々の再会に何気ない会話……のはずだったのに、地雷原を裸足で踏破しているような、妙な緊張感が満ちていた。


「ひと仕事終えてぼーっとしてたらさ、そんなに暇なら温泉でも行ってろって」


「……奥様ですか?」


 言葉のナイフがぐさりと心臓に刺さる。

 足腰から力が抜けかけたが、ぐっと堪えて笑みを浮かべた。


「同僚っつーか、仕事仲間? 俺、独身だし」


「はぁ、そんな方がおられるんですか」


「おられるんですわ」


 おどけて答えてみたものの、自分の口から出た言葉に自分でダメージを受けた。想像以上に効果は抜群だった。ただしターゲットは自分。

 これ以上この話題を引きずると、宿に着く前にノックダウンしかねなかった。


──あ。


 精神的自傷の末に、目的を思い出した。

 こんなところに突っ立っている場合ではないのだ。

 早く宿に向かわなければ。気持ちを奮い立たせて空を見上げたら――まだ十分すぎるほどに青かった。地球も太陽も、まるで気が利かない。

 何はともあれ、だ。


「なぁ、風祭さん」


「なんですか?」


「えっと……俺、久しぶりに会えて嬉しかったけど、ほら、そろそろチェックインしないとまずくね?」


「まだ空は明るいですけど、仰ることは理解できます。それでは……」


 お互いに頭を下げて、別れた。

 透が歩き出すのを確認してから、わざと逆方向に歩き出した。

『もっと他に言い方あっただろ!』とか『連絡先ぐらい聞いとけよ』とか思うところはあったものの『いや、これでよかったんだ。あっちは人妻だぞ』と半ば無理やり自分を納得させた。


「おや」


「奇遇ですね」


 バス停にたどり着いたら、また透と顔を合わせた。

 控えめに言って、物凄く気まずかった。

 何か口にするべきか、それとも沈黙を守るべきか。

 心の中で迷っているうちにバスが来て、


「あれ、風祭さん、このバス?」


「大久保さんこそ」


「……」


「……」


 奇妙な間があった。

 

「ま、まぁ、とりあえず乗りましょうか」


「うんうん、乗り遅れたらたまらんし」


 ふたりそろってわざとらしいほどに頷きあって、バスに乗り──


「「まさか、同じ宿とは」」


 宿の前で互いに顔を見合わせて、どちらからということもなく苦笑した。



 ★



「透さん、変わってなかったなぁ」


 予約していた部屋に通されて、荷物を置いて畳に横たわる。

 篤志のために用意されていたのは……いい部屋だった。個室に温泉付き。

『これって普通なのか?』と訝しんでスマホで調べたところ一番グレードが高かった。

 いかにも歴史を感じさせる天井を見つめ、目を閉じる。

 目蓋の裏に現れるのは、久しぶりに再会した女性の姿。


『天城 透』今は『風祭 透』

 最後に顔を見たのは、確か卒業式の日。

 と言っても何も話はしなかった。遠くからそっと目にしただけ。


「あれから十年か……」


 吐き出した言葉が重く胸にのしかかった。

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