十年後の君は、罪の味

鈴木えんぺら@『ガリ勉くんと裏アカさん』

第1章

第1話 現代編 十年越しの再会 その1

大久保おおくぼさん、どこに行っていたんですか?』


ポニーテールの美少女が仁王立ちして食ってかかってくる。


『大久保さん、課題の提出は今日が締め切りなんですが』


ポニーテールの美少女が、じっとりした眼差しを向けてくる。


『大久保さん、学校に漫画を持ってこないでください。校則に目を通してますか?』


 ポニーテールの美少女が、肩をすくめてため息をつく。


――夢、か。久しぶりに見ちまったな。


 映像と音声の変遷に連続性がなかった。

 少女の声と姿以外は認識できないまま、夢を見ていると自覚した。

 身動きひとつとれないから、目蓋を閉じることも耳をふさぐこともできない。

 そもそも夢なのだから、そんなことに意味はないのだが。

 自嘲の笑みすら浮かべられない。

 夢は続く。篤志あつしの心情に斟酌することなど一切ない。


『大久保さん』『大久保さん』『大久保さん』『大久保さん』『大久保さん』


 四方八方から少女の声が延々と響き続ける。

 すべて同一人物の声であり、ひとつとして同じ声はない。

 彼女の唇から放たれる言葉は、そのほとんどが篤志を責めたり詰ったりするものばかり。

 ロクでもない思い出ばかりなのに、嫌な気持ちはならない。

 甘くて苦い、懐かしい記憶ばかり。ただひたすらに胸が苦しい。

 嫌ではないが、思い出したくはなかった。そういう類の記憶だ。

 この夢は、もうすぐ終わる。何度も見てきた最後のシーンが近づいている。

 永遠に続くとさえ感じられる『大久保さん』のコーラスが、唐突に鳴りやんだ。

 

『大久保さん、ありがとうございました』


 微かに震えた優しい声。

 幸福を湛えた満面の笑み。

 その笑顔が、何よりも深く篤志の心に突き刺さった。





「は〜、それにしても俺が温泉とはねぇ」


 都心から電車に揺られて○時間。

 のどかにすぎる旅路のさなかに、懐かしい夢を見た。

 危うく乗り過ごすところだったから、寝覚めの悪さにウンザリしている暇はなかった。

 電車を降りて駅名に視線を走らせる。名前を聞いたことはあるものの訪れたことのない有名な温泉街だ。

 篤志は奇妙な感慨に囚われて、なんとも言い難い口振りで独りごちる。

 自分と温泉という単語が俄に脳内で結びつかなかったからだ。


 篤志は漫画家である。『荻久保 厚おぎくぼ あつし』という本名をもじったペンネームを用いている。

 新進気鋭と謳われて超有名週刊少年漫画誌に連載を持っていた。

 丸5年ほど連載は続き、この度円満に完結を迎えた。

 コミックスは30巻を数えアニメ化もした。

 世間的には大成功者の部類に入るのだろう。


 高校卒業と共に上京し、それこそ脇目も振らずに漫画を描き続けていた篤志だったが、連載終了とともに暇になってしまった。引退する気はまったくないが今すぐ新作を~と焦りを覚える状況でもない。

 事ここに至って気づかされたのだが――時間の使い方がわからなかった。

 退屈のあまり日々をぼーっと過ごしていた篤志を見かねた担当編集が、


『ずっと働き詰めだったんだから、たまにはゆっくり休んでください』


 などと温泉旅行を(当の本人に無断で)計画し、こうして放り出し……もとい送り出してくれたわけだ。

 最初は『何てことをする奴だ』と憤慨したものだが、ぼんやりと風景を眺めたり駅弁食ったりしているうちに、


「まぁ、いいか」


 とあっさり意見を翻した。

 どうせ暇なら気分転換も悪くはない。

 強引であったことは否めないが、親切心から出たことでもある。

 齢三十を前に出不精で不摂生な生活を営む自分を顧みると、なかなか文句も言い難い。

 費用が自分持ちであることは……まぁ、許容範囲と言える程度には稼いでいる。

 そんなこんなで無理やり納得しながら、こうして温泉街に到着したわけである。


「なんか雰囲気あるなぁ」


 凝り固まった身体をほぐし、あくびをひとつ。

 無精髭の残る顎を撫でた。

 故郷とも東京とも違う、昔からの風情が残された独特の街並み。

 秋も深まる季節にも拘らず空気が暖かい。温泉が湧いているせいだろうか。

 物珍しさにつられて、ついついスマホを構えて写真を撮ってしまう。

 初めて見る風景はとりあえず残しておく。もはや、ある種の職業病だった。


「って、こんなことしてる場合じゃねーな」


 ハッと我に帰った。

 温泉は向こうからやってきてくれるわけではない。

 見上げた空は高くて青く、秋の太陽は優しく大地を照らしてくれている。

 まだ慌てるような時間帯ではないものの、荷物を持ったままずっと突っ立っているのは辛い。腰が痛かった。椅子に座りっぱなしの生活が原因だと主張したい。断じて年齢のせいではない。まだギリギリ二十代に踏みとどまっているのだから。


「えっと、宿……宿っと」


 スマホをいじって地図を探し、現在位置と目的地を確認。

『さて、行きますか』と歩き始めた矢先に──胸のあたりに軽い衝撃。

 誰かとぶつかったらしい。察するに、当たったのは相手の頭部。


「おっと、ごめんな」


 軽い口調になったのは、相手が子どもだろうと思ったから。

 身長180センチ少々の篤志の胸のあたりに頭が当たったことから、相手の身長は140センチ台と類推した。

 大人の日常生活は概ね敬語を使っておけば問題ない(無精者の発想)と考えてはいたものの、子ども相手となると話は変わる。

 畏まった敬語(使えるとは言っていない)を用いても、あまり有効な相手ではない。

 だから普通に、あるいは砕けた口調で対応する。

 普通に喋る。言葉にすれば簡単だが、常日頃半ば引きこもり生活を続けている篤志には、これがなかなか難しい。

『どうしたものかな』などと頭を悩ましながら視線を下げると──


「す、すみません」


 耳をかすめた声に違和感を覚えた。

 女子の声――否、女性の声だった。

 目に入ってきた白い首筋と黒いポニーテールが脳髄を刺激する。


――ん?


 思わず眉を顰めるも、答えを掴むことは叶わない。

 不躾とは思いながらも、まじまじと相手を見つめてしまう。

 髪はそれほど長くはなかった。おろしても背中の半ばくらいだろう。

 身につけている衣服は若者向けのものではなかったし、ましてや学校の制服でもなかった。

 おそらく篤志と同年代と思われた。


──やべ。


 同年代とぶつかって置いて、さっきの謝罪はない。

 場合によってはめんどくさい揉め事に発展しかねない。

 折角骨休めに来たというのに、余計なトラブルはごめん被りたい。

 女性は頭を押さえている。打ち所が悪かったのだろうかと心配に――


「え?」


 つらつらと脳裏をよぎったアレコレは、あっという間に掻き消えた。

 頭を上げた件の女性の顔が視界に入ってきた瞬間に。


 意志の強そうな凜とした眼差し。

 キュッと引き結ばれた小さな口元。

 顔立ちこそ全体的に整っているものの、シルエットは○学生どころか下手すれば◎学生に見えかねない。

 その特徴的な姿に、見覚えがあった。

 正確には――つい先ほど夢に見た。


「と、とおるさん? ひょっとして『天城 透あまぎ とおる』さん?」


 口をついて出た名前は、高校時代の同級生のもの。

 唐突に名前を呼ばれて怪訝な眼差しを向けてきていた女性は、首を傾げて眉を寄せた。

 しばしの沈黙があった。重苦しい静寂、そして──


「……ひょっとして、大久保さんですか?」


 記憶の中にある透と同じ声で、篤志の名字を口にした。

 篤志──本名『大久保 篤志おおくぼ あつし』は『ああ』と生返事と共に頷いた。

 久方ぶりに見た夢は、この再会の予兆だったのだろうか?

 オカルティックな知識に疎く信心深くもない男は、手前勝手に都合のいいことを考えた。

 そんな篤志の心中を知ってか知らずか、透(どうやら本人に間違いないようだった)は──薄く微笑み、首を横に振った。


「もう結婚してますから、今は『風祭 透かざまつり とおる』ですよ」


 ご存知ないかもしれませんが。

 その言葉とともにスッと上げられた左手の薬指には、鈍い光を放つ指輪が嵌っていた。


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