愛と幻想の人間牧場

金田もす

第1話

白ばんだ群青を宇宙が持ち去る真空感が素肌を切り裂く。精神が気化したように口腔から白濁する吐息が、変哲もない高架下をめずらしく幻想的にさせる。そんな時間だというのに、ぱらぱらと現れてはその寒気から逃れるよう足早に改札口へと消えていく人々。そんな透けるように鋭利な人流を遡上し、彼女はいつものように余裕綽々と登場した。


「まだ、そんなのぶら下げてんの?」

タグと呼ばれるイヤフォンを指さして彼女は言い捨てる。タグはあまたあるイヤフォンのなかであらゆるスマートフォンと互換性がある。世界のあらゆる情報を収集し、また個々人の存在を世界に発信することができ、タグのない人間はこの世界に存在しないともいわれている。ファーストフード店に流れていた歴史的な作曲家が心ならずも作った行進曲のように陽気なポップス。彼女はその旋律の隷属的緩慢さが気に入らないとテイクアウトしたコーヒーをすすりながら、そのイヤフォンを外そうとした。身をよじり抗うと彼女は舌打ちをし、せめて電源をオフにしなければイベントに参加できないと告げた。


オフにしたことを確認させる為に手渡すと、突如、こちらが呆気に取られる間もなく走り出し、駅近くのコインロッカーに投げ込み施錠する。

わりと抜き差しならない意思表示として不快感と開錠を申し入れてみるが、応じる風でもない。不遜なアティテュードとは裏腹に、彼女は彼女がまだ20歳そこそこの女子であるこを仄めかすよう、屈託のない表情を漲らせていた。


職安通りと呼ばれる広めの車道を折れ、入り組んだ路地へと入る。日差しの強まりとともに蒼さが深まりつつある空にバッティングセンターの快音が遠くに響く。その軽やかな音とは対象的に、アスファルトより足元に、そして太ももをつたい脳に至る冷気のような重低音が耳の小骨に届いてくる。

特殊に防音されたというサウンドは小音量ながらも激しく路面を震わせ、震源地に人だかりを侍らせている。光沢をそぎ落とした漆黒のレザーやインディゴブルーのジーンズ、メタリックな装飾品に身を包んだオーディエンスを縫い入り口へとたどり着く。その場所に至る階段は奥底に残されたわずかな金脈を探るよう地下をえぐっていた。


逆リハの音出しが劈く細い通路を進み、どん詰まりの部屋へとたどり着く。内部は思いのほか広い。牛丼屋の客席スペースくらいはあるスペース中央に縦長のラウンドテーブルが置かれ、周りに配された椅子には強面の面々が苦々しく腰を据えている。ドアを閉めると爆音はきれいにシャットアウトされ、人殺しの親玉のような連中のなかのひとりが彼女だけに着席を促した。


「やつらの侵攻はますます熾烈を極めている、このままでは非英語圏、非罹患者の割合はヒトケタ代に落ちてしまう、なにか打開策はないのか?」

「従前より報告していますが、非タグホルダーをホルダーにさせない防御策、タグホルダーのの奪取、リキャプチャーの両面で作戦を遂行中です」

「具体的戦術と成果は?」

「後者については、企業や家族などの集団に入り込み集団解脱を試みる作戦のほか、ランダムに通行人を襲いタグを外す通り魔的な襲撃を散発的におこなっています、遂行率は....」

「ホルダーを増やさない作戦については、非ホルダーを物理的に囲う方法しかないように思われます」

「具体的には?」

「非ホルダーを集め、やつらに認識されない場所に移住させる」

「ただ...そんな場所があるのか...只今調査中です」


ひとりだけ突っ立っている自分。「馬鹿みたいだ」と思わせる刹那もなく討議は進んだ。背もたれ上部両端に仏塔のような突起があしらわれたまがまがしい椅子に納まる彼女の背中。見下ろすとやわらかい毛先がつたう項の傍らから白っちいデコルテが垣間見えた。

ふと肘打ちが太ももに喰らわされる。鈍い痛みが骨に響き彼女の視界の端っこに取り込まれる感覚とともに知覚がそばだった。


「申し訳なさ程度でリアクション大魔王的な戦術では連中の思うツボです、腑抜け幹部の畏怖に取り込まれたクソまみれ作戦ではファックな未来しか、いや百戦必負殲滅は必至、そもそも合理性や論理性を持ち出している時点で我々に勝ち目はない」

彼女のエクスキューズは一同の視線を集め、またいかなる発声をも奪った。

「具体策はあるのか?」

「壊す....だけです、他になにがあるんですか、物理的に壊すんです、乗っ取るとかネブたいこと口走る前に壊すんだ」

彼女は語勢を荒らげ冷静に言い切ると、人差し指と小指をおっ立てた拳をテーブルの中央に向け突き出した。


彼女が誘ったのが音楽イベントではないことはなんとなくわかっていた。また彼女が違法性のあるムーブメントに参加していることも察しがついてた。しかしそれは、単に反人道的な社会に対して反社会的なだけで、彼女の表現によると「違法もクソもない」レベルの話らしい。

会議終了後、参加者の数名は建物の裏口に待機していたバンに乗り込み甲州街道を西へと向かった。


道すがら、深く切り立った河岸段丘の尾根をつたい水源を求めるように進む。やがて突然視界がひらけ巨大な単独峰の裾野に達した。アジトと呼ばれる組織の施設はその巨大な単独峰の西麓に位置し、幹線道路を折れ、未舗装の林道を1時間ほど進んだ先にあった。

湾曲した幹なのか根っこなのかわからない植物の一部にひん曲げられた景色の中で、ぽっかりと口を開いた空洞にバンは乗り入れ停車する。ドイターのバックパックに詰められた、おのおのの荷物を背負いヘッドランプの明かりで足元をなぞりながら入り口らしき鉄の扉まで行き着いた。


「ハックされているのは体そのもの、タグによって個人の体の反応、つまり心の動きが血液の組成データなんかでモニタリングされている、そうやって集められた情報をもとに、世界の巨大な人間牧場にするシステムがつくられているの」

「人間牧場?」

「そう、人間はこの星の支配者気取りでいるけど、飼われているだけなのよ、小麦や大豆のDNA情報再生産のため労働させられ、知性や労力をその進化のために提供させれれているように、システムのマネージメントにより感情というエネルギーを生産させられている」

ナンバリングされた作戦ルームなる部屋のひとつに落ち着くと彼女は状況を手短に説明した。とにかく我々の生活はタグにより管理され、各種の情報を与えら得ることでネガティブ、ポジティブさまざまな感情を生産させられている。そして感情はなんらかの方法によりシステムそのものを稼動するためのエネルギーとして接収されているという。


感情を生産させられている、という言い回しには誰がそうさせているのか主語があいまいなので尋ねてみるが、それはわからないという。おそらく誰か、もしくは富やビックデータを独占するグループや階級、またはそれらを含む人間すべてが家畜化されている可能性もあるらしい。つまり神とか、意思をもつ神的な全能プログラムとかによって。


とはいえ、昔からメディアーで垂れ流された情報で消費行動を誘発されたているわけで、かりに家畜のように意思をハックされているとはいえ殺されて食べられるわけでもない。「実害がないのだから...」と口にすると彼女は激昂した。そんなやつらがいるから人類は絶滅に瀕しているという。


ただ戦況は悲観的、というより絶望的。いちおう以下の2つの方策で挽回を図っている。

①彼らシステムの中枢にバグを発生させ崩壊させる

②システムを格納しているサーバーを物理的に破壊する


①については世界中のプログラマーやハッカーと帯同しサイバー攻撃を仕掛けているが、人知を凌駕する情報と処理能力を擁するシステムに勝てるわけはない。それ以前に彼らへの攻撃そのものがシステムによって誘導される感情生産の一部だったりする。


彼女が新宿三丁目の地下でタンカを切った②については、そもそもシステムが格納されているサーバーの物理的位置が定かではなく、おそらくミラーリングされ同じものが複数存在している。つまりこちらも遂行は無理。


「そんな風には思えないどな」

などと言えない状況だった。いまさらながらだが、この平凡な世界の非凡な世界観の仮説に疑念を差し挟むにはあまりに日常から遠くまで来すぎていた。

秘密裏な抵抗活動を見透かされないようにあえてそうしているのか、やぼったく手編みっぽいクリーム色のセーターやらストーンウォッシュのジージャンやらを纏ったチームの面々は押し黙っている。


「希望はあるわ」

彼女の語勢が放つ光明はあまりにもささやか過ぎて、纏わりついた沈黙をさらに深くする。オレンジ色のハロゲン灯に照らされたメンバーはあらゆる反応を黙殺したまま視線だけを侍らせた。

「彼らからエサを取り上げればいい、このストゥーピッドなシステムを壊すのが無理なら、燃料を無力化する」

「燃料って、人間の感情ですよね、感情を取り上げるんですか、まずそれは無理だし、できたとして、それで勝利したとして、感情を喪失した人間が勝ち取った未来に意味はあるんですか?」

「そうね、ただシステムがリソースにしているのは、すべての感情ではないわ、彼らが消費しているのは、その一部」

「一部って...」


チームの戦術はこの一部を取り除くことに変更した。まずは一部とはなにか?について調査、分析しあたりをつけることに注力する。システムの破壊活動のために費やしていた同志の働きを情報収集と解析に集中投下し、その一部を探った。


妬み、恨み、蔑み、さまざまな感情が、物理的、精神的暴力、攻撃となって発露し、そのリアクションとして新たな攻撃を誘発している。そのスパイラルが回ることでエネルギーは拡大再生産されている。感情の種類はさまざまで、燃え上がる焔の形がそれぞれ違うように、ひとつのフォームとして定義することはできなかった。

が、数日間に及ぶ分析と解析の後、我々、つまり我々の言うところの人類最後の抵抗勢力はある結論に行き着いた。、


「燃えているのは火ではなく燃やしている媒体、視覚や熱に惑わされているけど焔は燃えた結果でしかない、熱を発生させているのは火だけどそれを誘発してるのは...」

「虚無、こそがあらゆる能動・攻撃感情を誘発している、人の心の虚無はいくら攻撃されても虚無であり、人は際限なく、その攻撃感情を再生産するこができる」

それを取り除けばガソリンは単なる赤い液体になり、火花は単なる閃光として網膜の淡い染みになり消えていくだけだという。


燃え盛る人間の感情を制御するために同じく人間の感情を炊きつける。矛盾しているように思えるそのロジックだが、それに賭けるしかないようだ。

「けどどうやってその虚無ってのを取り除くんだよ」

「都合よく無気力に取り込まれた人々を挑発するの、扇情的なコンテンツを打ち込むことで」

山火事を爆弾の爆風で消すようなものらしい。


「彼らは、無理やりやらされている感を消費しているの、無感動になることで無理やりらされている感という中毒性のある甘味を味わい、ことで虜になっている」

無理やりやらされている感を消費するとは、ゴスロリな衣装を着せられ、大して上手くもないのに人前で歌を歌わされていた昭和のアイドルを見ている感覚に似ているという。

「つまりポルノよ」

「ポルノ?」

「そうエロよ、それが欠けたために人は虚無になったの、だから人間の存在の根幹をなすパッションである性欲を取り戻すが正解なの、エロを取り戻せ!、クリスタルケイもいっていたでしょ」

「扇情的なエロコンテンツを片っ端からばら撒く、イメージ重視の女優ものからSM、痴女、筆おろし、人妻、未亡人、美乳、巨乳、巨根、自慰、禁じられた間柄の性交、あと大量の精液を顔面に勢いよく注ぎかけるやつとか」


そんなものを拡散すると、システムの動力源になっている感情そのもを刺激し増大させてしまうのではないかという疑念もあるのだが、チームの面々、特に男性メンバーは激しく賛同し、方向性は確定した。中には「取って置きのコレクションがある」と大量のコンテンツを提供するメンバーもいた。


翌日からこの世界に残されたあらゆるジャンルのエロコンテンツを吟味する作業が始まった。我々は男女半々10人程度のグループに別れ、各個室でそれらを評価する。大型スクリーンに映された男女のさまざまにエロチックな映像を、なぜか本格的な音響システムによって視聴した。絨毯が敷かれた部屋の中央にはちゃぶ台がありポテトチップスやらポッキーやらサラミやらが皿に盛られ、そのうち缶ビールが振舞われた。鑑賞が進むうち、視聴者は微妙な雰囲気になり、うち数人が部屋から出て数十分後に戻ってくる、という不思議な行動が始まった。にもかかわらず彼女だけは真剣にスクリーンに映し出されるその営みを注視している。ステンレスのバインダーにはさまれたA4の紙に何かしらを書き込んでいる。彼女は彼女で真摯なのだ。こんな世界が果たして救われるのだろうか。訝ってみるが懐疑的になったところで結果は同じだろう。せめてこの所業がただのルーチンであることを望み、また豊かで前向き過ぎる人の想像力がいつか自らを損なってしまわないことを祈った。


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愛と幻想の人間牧場 金田もす @kanedamosu

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