第5話 悲しき現実と夢
濡羽色の髪の少女こと河合まゆりは病院のベッドの上で目を覚ましました。朦朧とした意識の中で左手を真っ直ぐ伸ばし、虚空を握りしめます。
「ひ、な……?」
ポツリと呟いた後、再び感嘆符を付けながら「ひな!!」と同じ言葉を繰り返しました。その際、まゆりの体は行き場の無くした勢いを消すかのようにベッドの上で幾度か軽くバウンドをします。本来ならばガバッと効果音がつけるくらいの勢いで起き上がっていたことでしょう。ですが、まゆりの体は今現在、腰下からの一切が動きません。
状況把握もままならないまま、まゆりは動ける範囲で暴れ回ります。何かに違和感を覚えているのか、記憶違いでも起こしているのか
「うそ、嘘だ!なんで?嘘だよ。はぁ!え……?意味、わからない……なん、で……なんで!?」
と何度も何度も似たような言葉を繰り返した後、「わた、しは……私は死んだはずなのに……」と付け加えていました。
何分か経った頃、点滴を倒しながらベッドから落ちました。それを機にまゆりはピタリと動かなくなり、体を震わせます。その表情は恐怖を滲ませていました。
黒く切長の大きな双眸は袖から出てきたそれを映しています。
「ゔぅっ……いやああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
病院内に甲高い悲鳴が響きました。
まゆりの瞳からは大粒の涙が零れ落ち、左手でそれを掻きむしります。引き千切らんとしています。それでもそれは傷がついた瞬間に元の形状へと戻っていくのです。
気味悪がって、まゆりは余計に込める力を強くしました。すると、一本の太い糸が顔を見せたのです。その糸が見えてからは戻るスピードが格段に下がりました。
まゆりが目にしたそれとは、失ったはずの右腕です。一センチ程の亀裂が走ったかのように若干ひび割れてはいますが、正真正銘の右腕です。それを繋ぐように白い糸で縫われていました。
なぜ、まゆりが恐怖し腕を千切り取ろうとしたのか。それは、元々千切れて無くなった腕の代わりに使われていたのが、死んだ者の腕だったから、です。
その右腕からは呪いにも似た死相が纏ってありました。(この事がわかるのは幾多もの死線を乗り越え、時には人殺しをまゆり自身が厭わなかったが為ですが……。)それを抑えるかのように、また、腕として機能するように、死霊術が施されています。
この死霊術を使った
それを施されたまゆりも例外ではありません。
この病院内では小さき幼気な少女を守るために『濃密な魔素に当てられた為に体が変異してしまった。極度の魔虚弱気質の可能性アリ』という風にカルテが作られています。ですが、その事をまゆりが知ることはないでしょう。
兎にも角にも、まゆりは太めの糸が腕から顔を出した際に隙間の中をまじまじと見てしまいました。
おそろしく、気味の悪い光景を。
死者の腕を使うまでは良かったものの、まゆりと合うものがその場になかったのでしょう。だからこそ、わずか一センチの隙間で、壊死と再生が繰り返されているのです。
壊死、それは本来の腕の持ち主とまゆりの体が適合しなかったが故に起きてしまった現象。しかし、再生までしているという事は、これもまた腕の立つ能力者によるものだと言えます。
「生きて、る……?」
壊死と再生の繰り返されている自身の腕を見て、そう零しました。
この状態でしっかり頭が回り、この再生という能力を施した者を瞬時に見抜きました。ですが、まゆりにしてみればこの能力の使い手を見抜く事など朝飯前なのです。なぜなら、己が能力の次に見慣れた能力なのですから。
「……ひなは、生きてる……!」
光を無くしている瞳がゆっくりと閉じられていきました。
安心したら気が抜けてしまったのでしょう。夢の世界に誘われるように体の力が抜けていきます。そして数秒と経たないうちにまゆりは意識を手放しました。
「ねぇ、どうして?どうしてまゆは一人だけ陽の光を浴びてるの?」
真っ暗な場所で栗色の髪の少女が独り事のように問いかけます。その表情は前髪に隠れていて見ることができません。
「ひなを裏切ったの?」
短めの髪が風も無いのに靡きました。前髪で隠れて見る事のできなかった表情は、悲痛そうな笑みを浮かべています。
「ひどいよ。ひなを守ってくれるって言ったのに!ひなを置いてけぼりにするなんて、裏切るなんて、ひどい!!……最低だよ」
悲痛そうな笑みを浮かべている栗色の少女の瞳は、憎しみに満ちていました。そして彼女は額から血を流しています。
「……ごめん!でも、そんなつもりじゃ、無い……」
まゆりは自身の髪を鷲掴みにしながら首を振ります。今にも耳を塞ぎそうになるのを必死に堪えているようです。
「ねぇまゆ、ひなの事助けて?」
「助ける!絶対に助けるから、だから生きて、いて……?」
栗色の少女、ひなに歩み寄ろうとまゆりは足を動かしました。一歩二歩と最初はゆっくりと足を動かし、次第にスピードを上げ駆け出します。
ですが、一向に距離は縮まりません。
「ひな……ひなあああぁぁぁぁぁぁぁぁぉぉぁぁああっ!!!!」
まゆりは吼えました。
ひなの頬を流れる血の雫は地面に吸い寄せられるようにして、落ちていきます。
どこからを地面と呼べば良いのかわからない真っ暗闇に包まれた空間。そこで血の雫はポタリと音を木霊させながら地面と触れ合いました。すると、小さな波紋を呼び寄せ、やがてその波紋は大きく、大きくなっていきます。
キーンと劈くような耳鳴りがした途端、まゆりの体は当人の知らぬ間に崩れ落ちていました。右腕は千切られ、腰下からの一切は爆散しています。
「ゔわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
まゆりは自分が出せるありったけの声を出して叫んでいます。絶叫にも近いかもしれません。
次第に景色が変わっていきました。
黒煙に包まれていきます。
火事が起こっています。
瓦礫と化してしまった建物が時折降ってきます。
体の一部を欠損してしまった人たちが、生きようと蠢いています。
逃げ場もないのにたくさんの人々が逃げ惑っています。
あの地獄で最期に見た時と一寸違わず同じ光景です。
「どう?」
声の聞こえる方へまゆりは視線を動かしました。
そこにいたひなは両腕を大きく広げて、一度だけ大袈裟に回りました。「あははっ」と狂気的な笑い声をあげて、無邪気な子供のように楽しそうにしています。
そして、数秒後にピタリと止まりました。柔らかな笑みを浮かべながらひなの方からまゆりの元へと歩み寄って来ます。
「ねぇ、ひなは約束守ったよ。次は、まゆの番」
しゃがみ込んで、まゆりの肩を優しく触れながら、耳元で囁きました。
まゆりは痛みでまともに動かない体を無理矢理動かします。内心、舌打ち混じりに「夢のくせに」と毒づきながら、ひなへと手を伸ばします。
震えた手でひなに触れた途端、ひなは靄となり霧散していきました。その靄を必死にかき集めようと手を体を動かしますが、虚しくも消え去ってしまいました。
頬に涙が伝います。
「ひな、嫌だよ。……ひなぁ!」
下を向き、首を左右に振りながら嗚咽を漏らし呟きました。
目の前が真っ赤に染まり燃え上がり始めました。まゆりが顔を上げると、先程まで遠くの方で燃え盛っていた炎が目の前に現れています。不思議な事に、燃え上がる炎は、まゆりに触れる事はありません。
「まゆ、助けて!お願い!痛いのは、もう……嫌だ、よ……」
一心不乱に助けを求めるひなの声。最後の方は今にも消え入りそうです。
「……ま、ゆ……」
炎の中から一瞬だけ、まゆりに手を伸ばすひなの姿が見えました。
まゆりは顔を歪めます。「あ、あぁ」と言葉にならない声を漏らしています。
燃え盛る炎が渦を巻き、風にでも掻き消されるようにして消え去りす。そこには真っ暗な空間が残りました。いいえ、真っ暗な空間に戻りました。
まゆりはそこに立ち尽くします。大きな双眸は絶望感剥き出しの光の失ってしまった人の目をしています。流れていた涙も持っていた希望も、炎と共に消え失せてしまったかのようです。
千切れていた右腕は、爆散してしまっていた腰下からの一切は、そこにちゃんとありました。ただし、一センチほどのヒビ割れたかのような亀裂が走ってはいますが・・・・・・
まゆりはボロボロの袖がなくなり、スカートの裾が破れ散ってしまった服を着ています。先程までは病院服だったというのに、知らず知らずの内に変わり果てています。
「腕のみならず足腰もこうなってたんだ。」
自重気味に笑いながらも「どうでもいいか」と付け加えました。
足を前に出すと、そこから沈み込んでいくようにして落ちて行きました。どちらが上でどちらが下かがわからないような真っ暗闇で、ただ落ちゆく感覚だけがまゆりを襲います。
「裏切りは許さないからね。可哀想なひなのまゆ」
どこからか聞こえたその声に、まゆりはただ笑みをこぼして答えました。
「絶対に見つけ出してやる。手放してなんてあげないから。可愛い私のひな」
そこはもう、夢の世界ではありませんでした。
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