第4話 崩落と喪失 後編

 ひなはスマホの画面を見て、首をかしげていました。いきなり送られた『逃げて!』というLI〇E。『なにかあったの?』と返信しても既読すらつきません。


「……どこに逃げればいいの?」


 逃げた先が危険な場所かもしれないと考え、ひなは狼狽えていました。おろおろおろおろ、フードコート内を歩き回ること数分後、ひなは急に歩くことをやめました。

 外につながる道すべてのシャッターが下がってきたためです。

 ひなは直感的に、近くにある扉に近づき、ドアノブに手を掛けました。

 ガタッガタッ

 押しても引いてもドアは開きません。

 まゆりがいなくなってから少し経った頃、このドアから人が入ってきたことを知っているひなは即座に気付きました。内側から出られない構造に変わっていることに。


「どこから逃げればいいの?」


 やがて、シャッターは完全に閉じられました。同時に困惑する人も増えていき、楽しげな雰囲気だったフードコートは、不安と困惑にあふれた雰囲気に変わりました。


「まゆ……」


 不安を紛らわせるために呟きます。

 どこかに行こうにも、ひなは焦りと恐怖で動けないでいました。どうしようどうしようと目まぐるしく考え、パニックを起こしかけています。

 LI〇Eを確かめてみても、まゆりからの返信はおろか、既読まで付かない現状です。

 ひなの不安は徐々に大きくなっていきました。

 そんな時ピーンポーンパーンポーンとアナウンスが始まりました。


『本日は、○○ショッピングモールに来ていただき、ありがとうございます。現在、機材トラブルにより、シャッターが閉じられました。復旧するまで、しばらくお待ち下さい。お時間を取らせてしまい、誠に申し訳、ございません。引き続き、ショッピングをお楽しみください』


 多くの人たちがこのアナウンスを聞いて安心しきり、再び楽し気な快活とした空気に変わりました。

 一部の者たちを除いて。


「閉じ込められた」

 ——ショッピングモールがテロリストに落ちたのかな?それとも端っから共謀してたグル

「逃げないと」

 ——でも、いったいどこに?どうやって?


 ひなは血の気の引いた顔で、まじまじとシャッターを見つめていました。


 ——出口は塞がってる。ここから逃げられっこない


 シャッターに触れて、ただ無意味に前へと押します。


 ——まゆがいなくなったのは、先に逃げたから?このLI◯Eはせめてものお詫びか何か?


 先ほど座っていた席に戻りました。紙コップを持ち上げ、中に入っている水を一気に飲み干します。


 ——違う。だってまゆがひなを置いていくはずがないもん!


 空っぽになった紙コップをぐしゃりと握り締め、頭を振ります。

 そして、スマホを確認してから五分後、いつまでも帰ってこない返信に再び不安が募っていきました。


 ——もう愛想尽いたのかもしれない。


 頭に過った自分自身の言葉に、息を飲みました。

 まゆりがいないと弱気になってしまうひな。徐々に徐々に嫌な記憶を思い出していってしまいます。


 ——だって、ひなのせいで、まゆは……


 その結果、目頭に涙を溜めて自己嫌悪に陥っていました。下を向き、まゆりとお揃いのリボン紐を髪から取ります。少し不恰好なリボン結びで右腕に巻き、その上を左手で握りました。

 しゃがみ込み、リボン紐を結んだ右腕をぎゅっと握り締めながら、必死に涙を堪えていました。


 ——大丈夫。大丈夫!まゆとひなは約束で繋がってる。嘘を言わないまゆがひなを捨てるわけない!!


 ひたすらに、自分を鼓舞し続けます。


 ——だってまゆはあいつらとは違う。裏切らない


 かつてまゆりとひなを自分達を見捨てた彼ら彼女らのことを思い出してまで、不安定な心を落ち着かせようと努めます。


 ——でも、ひなが死んじゃえば約束はどうなるの?


 しかし、弱気なひなはふと考え出してしまいました。ひなとまゆりの約束はいづれ無かったことなってしまうのか、


 ——来世に持ち越し?それとも、繋がりがなくなっちやうの?


 いつまでも続くものなのか。と、


 ——そんなの嫌だな。それを狙ってるのかな?


 そして、いつの間にやらマイナスな方向へと思考が進んでいってしまいます。


 ——まゆは一度もひなを裏切ってないけど、。約束を結ぶ前だけど、まゆの心を


 因果応報。その言葉が脳裏に浮かび、心臓の鼓動が早くなっていきました。じっとりとした汗が流れ落ちます。


 ——大丈夫、大丈夫。まゆは許してくれた。約束を結んでくれた。裏切らない。ひなのまゆはきっと、きっと……!


 頭を何度も振って、必死に否定的なマイナス思考を払います。『大丈夫』という言葉を幾度となく呟き、まゆりとの思い出を振り返りました。


 ——……本当に?


 ですが、こんな時に限って思い出す記憶は冷たくあしらわれたり喧嘩してしまった時の記憶なのです。


「大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫……」


 嗚咽混じりの呟き。無意識のうちにしゃがみこんでいた体は、酷く震えていました。


「ひなっ!!」

「………!!」


 息を切らしたまゆりが現れた瞬間、ひなの不安は疑心暗鬼の心は一気に晴れました。

 ひなは駆け出し、まゆりの懐に飛び込みます。


「まゆ〜〜っ!!」

「怖かった?でも、そんなことしてる暇ない。早く逃げるよ」


 まゆりはひなの腕を掴み走り出しました。

 逃げ遅れた二人は、気づき始めた他の魔法師人たちの波に飲まれながらとにかくフードコートから遠ざかることだけを考えて走ります。


「まゆの能力でシャッター壊せないの?」

「無理。結界系の魔法が使われてる」

「じゃあ、どっかの窓から出るのは?」

「すでに人がいっぱい」

「まゆはどこに逃げる気でいるの?」

「できるだけフードコートから離れた場所に行くしか方法がない。どれくらいの規模で能力が使われるか見当もつかないから」

「そんなの、本当に助かるの?」


 ひなの表情が諦めの色に染まりました。

 まゆりはひなの腕をぎゅっと強く握り呟くように答えました。


「助けてみせる。ひなだけは、絶対」


 その言葉を聞き、ひなはまゆりの手を振り払いました。走るのをやめ、立ち止まります。

 まゆりもすぐに立ち止まり、後ろを向きました。


「……ひな?」


 手首を左手で包みながら、否、黒いリボン紐も包みながら、ひなは指の隙間から見えるリボン紐を見やります。


「……ひな、だけ?」

「……?」


 まゆりは首を傾げました。


「ひなだけって、なにそれ。まゆは昔から自分の命に無頓着過ぎるよ!」

「そんなこと言うだけのために、立ち止まったの?早く逃げよ?手遅れになる前に」


 心底不思議そうに言うまゆりにひなはカチンと怒りが爆発しました。おそらく、不安定な心が気を短くしてしまっているのでしょう。


「そんなことなんかじゃない!!」

「そんなこと、だよ。文句なら、後でいくらでも言えるでしょ?」

「だってまゆは生き残る気ないじゃん!!」

「自殺願望は今のところないけど?」

「そうじゃなくて!最悪、まゆは、自分のこと、死んでもいいって思ってるんでしょ!!」


 まゆりは目を逸らしました。

 そんなまゆりの見て、ひなは「やっぱり……」と悲しげに呟きました。


「いっつも、毎回、自分の命を蔑ろにしてる!どんな時でも、まゆにとっての命の優先順位はまゆが一番下!」

「それの何が悪いのか私にはわからない」

「……へ?」

「私はひなと違って家に帰っても待っててくれる家族はいない。むしろ、邪険に思われてるから親は帰ってきさいしない。ひなと違ってひな以外友達もいない。仲良くなっても簡単に裏切られるようないらない存在」

「違っ……」

「違わない!」


 食い気味に否定するまゆりに、ひなは息を飲みました。

 まゆりの瞳は今までひなに向けられたことすらない冷たい目で真っ直ぐひなを射抜いています。


 ——やめて、そんな目でひなを見ないで

「逃げるよ」


 有無を言わさない態度でひなの腕を再度握り、引っ張るようにして走り出しました。


「ひなだけが生き残るくらいなら、一緒に死んだ方がマシだよ」


 ひなの独り言を聞き、まゆりは足を止めました。震える声で「やめて」と零し、ひなを抱きしめます。


「お願いだから、そんなこと言わないで……!」

「嫌だ。まゆがどうして自分の命を軽んじてるのか知ってる。でも、さっきの言葉はひなにとっての心からの本音。だから、取り消さない」


 その言葉には強い意志のようなものが感じられました。


「わからない。だって、ひなと私の命の価値は同じじゃない。私の首に知ってるでしょ?私は……」

「どうでもいい!」


 ひなの叫びにまゆりは口を閉ざします。冷めきった瞳のままでいるまゆりの目をキッと見つめながら続けます。


「どうでもいいんだよ、そんなの!!ひなが言いたいのはまゆは何でそんなにひなだけしか……」


 守ろうとしないの?と続くはずの言葉はまゆりによって遮られました。


「ひなと姉さんだけだったから。拒絶しても一緒にいてくれて、暗闇にいた私に手を差し伸べてくれたのは。たったそれだけ」

「だってあれは……!あ、れは……ひなのせいでもあったから……」


 四年前の夏にあった出来事がひなの脳裏を過ぎりました。

 血塗れで雨の中裏路地に居た、獰猛な獣のような荒んだ瞳をしたまゆりのことを。ひながまゆりの心を壊しかけたが故に起きたことだと思っているあの時期のことを鮮明に明確に。


「でも、それより前でも、ひなのせいでまゆは何回死にかけた?まゆはずっと変わらず、自分を犠牲にして助けてくれる。……あいつの時もっ!」


 一瞬ひなは歯にギリっと力を入れ、憎悪に溢れた表情をしていました。まゆりも思い当たる節があるのか、一瞬だけ悲しそうな目をしていました。


 ——そんなに嫌いになっちゃったんだ


 と内心、納得したような寂しいような心情でいます。

 ひなはすぐに表情と話を戻しました。

 まるで無かったかのような切り替えの速さです。


「ひなとまゆは出会わなければよかった。そんなこと言うつもりはないけど……でも、こういう時は思っちゃうんだよ。思わせないでよ」


 徐々に弱々なっていくひなの言葉にまゆりは目を伏せました。

 まるで反省しているかのような態度です。


 ——あぁ、早く逃げないと

「ひなにとってまゆの命は大事なものなの!」

 ——こんなことしてる間に、刻一刻と時間が迫っていく。

「約束を守ろうして出た言葉なら、守ってくれてありがとう」

 ——ひなが助からなかったら、私の生きてる意味はない。

「でも、まゆ自身を犠牲にしてまで守らなくてもいい!」

 ——とりあえず謝って、すぐに走って、思い切り投げれば、ひなだけは範囲外まで行くかな?

「お願いだから、ひなと一緒に生きてよ!生き延びようと努力してよ!」

 ——違うか、行けるか行けないかじゃない

「ひな、ごめんね。一緒に逃げよ?」

 ——範囲外までひなだけは連れて行く!

「うん!!」


 ひなの必死の思いはまゆりには届きませんでした。心に響きませんでした。

 まゆりはひなを抱き上げて走り出しました。


「舌噛むから口閉じてて」


 ひなが何か言う前に釘を打ち、少しでも前へ前へと能力を駆使して走ります。

 まゆりは背後から感じる濃密な魔素溜まりに危機感を覚えていました。冷や汗が背を伝い、体が身震いし始めます。それでも走りました。

 足が悲鳴を上げているにも関わらず無視して、人の合間を縫って、できるだけ速く、早く前に行けるように走ります。

 足がもつれて転びかけてもまゆりは足を止めません。限界を迎えても走り続けます。

 一瞬、ジリッと肌に刺すような気配がしました。

 まゆりは人の波を抜けた瞬間、足に魔力を溜めて勢いよく飛び出しました。空中に。

 ひなはギョッと驚いた顔をしながらまゆりを見つめています。まゆりはひなに視線を向け、頷くように首を縦に振ります。

 その瞬間背後から大きな爆発音が轟きました。

 今度は腕に魔力を溜めてまゆりはひなを投げる準備を始めます。


 ——ひなには自己再生があるから、多少怪我しても大丈夫。命優先


 爆発の炎がすぐ後ろに迫ってきている状態で、まゆりはひなを力いっぱい投げました。


「きゃああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」


 ひなの絶叫を聞く前にまゆりは気を失います。

 ひなを投げた途端、彼女の下半身は白熱の光と爆発の炎に包まれました。いきなり足を失った彼女はあまりの痛みと衝撃で気を失います。

 まゆりとひなは爆風の影響で宙をしばらく飛んだ後、地面に落ちました。

 まゆりは瓦礫の上に右腕から落ち、何回かバウンドした後床を滑り、しばらくしてから止まりました。運悪く、瓦礫の上に落ちた際に右腕は尖った建物の残骸に刺さり、勢いで無理矢理引き抜いたような形になってしまったので千切れかけてしまいます。

 ひなは柱のようなものに頭と肩を強打した後、地面に落ちました。強打した際に肩は脱臼、額からは血が流れています。

 ひなが脱臼の痛みで気絶すると、彼女の体は白緑アイスグリーン色の靄に包まれました。額の傷口は閉じられます。脱臼した肩も元の位置に戻ったのか、ガコッという音を一瞬たてていました。

 先に目覚めたのはまゆりでした。

 朦朧とした意識の中、焦点の合わない目で視線だけでひなを探します。

 何度も、瞼が閉じかけるも、まゆりは必死に根気だけで目を開け続けて探しました。数分かけてひなを見つけると「よかった」と、安らかな笑みを浮かべながら目を瞑ります。

 ひなは人々の絶叫が耳朶に響くうるささで目を覚ましました。ぼんやりとあたりを見渡し、現状を把握すると、急いでまゆりを探しに駆け出します。数十分かけて、まゆりを見つけるとその場に崩れ落ちて涙を溢しました。


「ひなのせいだ。ひなが変なわがまま言わなきゃ、二人一緒に助かってたかもしれないのに」


 上半身しかないまゆりの体を抱きしめ、ひなはまゆりの胸に顔を埋めました。

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