第3話 崩落と喪失 前編

 瓦礫の崩れ落ちる音が轟き、人々の叫喚が響き渡っています。

 いくら逃げ惑えども崩落と燃え盛る炎の前に、逃げ道は塞がれていきます。無闇に動けば、それこそ死が近づいてくるような場所へと変わり果てました。

 最初の大爆発で死んだ方が幸せだったかもしれません。残された者の死に方は圧死、焼死、失血死、自死、ショック死、窒息死そのうち餓死も追加されることでしょう。

 屍の数は徐々に徐々に数を多くしていきました。

 壊れた人間は死体の側に寄り添いまるで生きているかのように語りかけます。そしてふと我に帰り、発狂し出すのです。

 イカれた人間は自ら炎の中に、崩落していく地に身を投じます。そして、叫び散らかしながら絶命するのです。

 正気を保った人間はどうにか生き延びようと模索します。そして、全てが失敗に終り果てるのです。

 震えるだけの子供は大人たちに助けを請います。そして、余裕のない大人たちに遇らわれるか、優しい大人と共倒れるのです。

 ショッピングモール内に来ていた人の中で生き残ったのは経った二割にも満ちません。



 三時間前

 曇天が広がる空の下、黒い少女は寂れた公園で一人眠っていました。ショルダーバッグを膝に乗せ、コクリコクリと船を漕ぎながらうたた寝をしています。

 古びた時計が示す時刻は十一時半過ぎ。お昼寝には少し早い時間帯です。


「……はくちゅん!」


 鼻を啜りながら目を開けるまゆりは、上に軽く伸びをしながら時計に目をやります。


「おそい」


 眠たげな声で呟き、再び寝の姿勢に入るまゆり。今度はベンチの上で横になり、バッグを枕がわりにしています。

 なんとも自由です。

 それから更に三十分後、ひながやってきました。


「まゆ寝てる。ひな二時間も遅刻してるからなぁ」


 まゆりの顔を覗き込みながら見るひな。気持ちよさそうに眠っているまゆりを起こすに起こせないようです。それに何よりひなは遅刻してきており、何時間もまゆりを待たせています。その罪悪感もあるのでしょう。


「……無防備なまゆ、かわいい」


 頬を緩めながら魅入っているひなは、十分経っても動きそうにありませんでした。

 二十分が経過してもひなはジッと見つめていました。ただ好奇心からか、まゆりの頬を突いて「柔―い」と声を顰めて呟きます。

 罪悪感などではなく、ただ単に見ていたいだけなのかもしれません。


「——うぅ——ひなぁ?」

「はう……!」


 目を何度か開けた後、ふにゃりと笑うまゆりを見て、ひなは普段とのギャップに悶えていました。寝起きのまゆりなど見慣れているはずですが、ひなは毎度同じ反応をしています。

 ひな曰く、寝起きのまゆが一番素直!らしいです。

 すぐに覚醒したまゆりは、凄まじい速さで立ち上がり、頬を二度叩きます。


「おはよ。今日も遅かったね」


 いつもの調子に戻りながら、しゃがみ込んでいるひなを冷たい目で見下ろしました。

 怒りを体現しています。

 ですが、その瞳にはひなを映しておらずひなを通して誰か別の人を見ているようでした。怒りもその人に向けたものでしょう。


「ごめんなさい!」

「理由」

「ママのヒステリック。今はだいぶ落ち着いて那津といる」

「また、か」


 ひなの方をよく見ると、目元が少しだけ赤く腫れています。夏真っ盛りだと言うのに長袖のワンピースを着て、薄手とはいえ黒地のタイツを履いていました。

 まゆりは口籠もりながら「ヒスババア」と憎々しげに溢します。その声音は殺意を帯び、瞳孔が開いていました。


「まゆ、遅れてごめんね。行こ?」


 ひなはまゆりの手を軽く引きました。我に返ったまゆりは首を縦に振り、ひなの後についていきます。

 二人仲良く手を繋ぎながら、ショッピングモールに向かいました。


「那津くんには同情する」


 ショッピングモールへと足を進める最中、まゆりはポツリと呟きました。

 那津なつとはひなの兄です。

 まゆりとひながこんなにも仲良くなったのはひなの兄である那津のおかげです。彼が独り母親の世話をし、ひなを家から遠ざけなければ二人が会うことは決してなかったといっても過言ではありません。


「だって、まゆとの約束反故にはしたくなかったから押し……任せてきちゃった」

「押し付けてきたんだ。まぁ起きてもまだ居なかったら家まで行ってたかも」

「余計に荒れるから那津が大変になっちゃうね。危ない危ない」


 ひなの母親はまゆりのことを目の敵にしています。『悪魔』『害悪児』と呼ぶくらいには嫌っています。

 理由は明確。愛しの我が子に群がる悪童だとまゆりに対して思っているからです。

 まぁ十中八九、四年前のあの事件が大元の原因となってはいますが。


「本当に同情する。那津くん、強く生きて!」


 淡々と言葉を紡ぐまゆり。淡々と言い過ぎて若干棒読みのように聞こえはしますが、本人からしてみれば本気で心配心からくる言葉です。


「強く生きろー!那津―!がんばれー!」


 それに便乗して適当に言葉を投げつけるひなのせいで、台無し感が半端なくなりました。


「……はぁーーー」


 まゆりが大きめのため息を吐くのも無理ないことです。


「那津の事はどうでもいいから早く行こ?着いたらまずお昼ご飯食べたい!!」


 お腹すいたぁと嘆くひな。ヒスを起こしている母の面倒を独りで見る兄への扱いがこの上ないほど雑です。



「あっま〜い!」


 幸せそうにクレープを頬張るひなをまゆりは青い顔で呆れたような困惑顔で見ていました。

 机の上には呼び出しベルが二つ置かれています。それもひな側に。

 まゆりはハンバーガーの包みを折り畳みながら、気分悪そうにしています。


「まゆも食べる?」

「いらない」


 まゆりは食い気味に答えます。机の隅の方に集められている食べ終わった後の食器を見て、さらに気分を害していました。

 ショッピングモールに来て早一時間。その間、ひなはお小遣いの許す限り暴食していました。今日一日でショッピングモール内の飲食関連のお店を完全制覇コンプリートするつもりなのか聞きたいくらいの食べっぷりです。

 たこ焼き、うどん、から始まり計六品を既に食べ終え、今はチョコパフェとクレープを食べています。本人曰く小休憩だそうです。そしてこれから新たに坦々麺と油淋鶏が待ち受けていました。

 見ているだけでまゆりは胃もたれを起こしています。


「そういえばまゆ甘いの苦手だもんね」

「……うん」


 この華奢で小さい体のどこにこれだけの食べ物が詰められているのでしょう。

 ひなは基本的に食べるのは遅いですが、量が尋常でないほど食べます。いわゆる、大食漢というやつです。

 ちなみにまゆりは食べるのは早いですが、少食です。一人前の半分も食べればたくさん食べた方だというくらいには食が細いです。彼女の場合、幼少期に色々あり食事という行為に嫌悪感を覚えている節がありますが……。


「クリーム付いてる」

「とってー!」


 まゆりは言われた通りひなの口元につくクリームをハンカチで拭います。そしてひなは、違う!と言いたげにむすっと膨れました。


「クリームとかもう一口も食べたくない!」


 まゆりは文句を言われる前に先んじてそう言いました。


「……そんなに?」


 事情をある程度知っているとはいえ、ひなにはあまり理解ができません。なぜなら、まゆりにとっては拷問にも等しい事柄だったとはいえ、ひなにとっては夢にまで見ていることだからです。


「経験してみればわかる。なんなら誕生日にでも作ろうか?」


 まゆりはスッと感情の消え去った瞳で続けました。


「胃の限界を迎えても食べ続けるとクリームが甘いものがトラウマになる。それでもいいなら」

「やったーー!まゆの手作りケーキ!!」


 深刻そうに言うまゆりとは裏腹に、ひなは満面の笑みを浮かべて喜びます。モンブラン作って!と、ちゃっかり要望までしていました。

 それから四十分が経ち、さらに計四品を食べ終えました。

 表情を見るにまだ余裕そうですが、これ以上食べるとお金も時間も無くなってしまうので止めにするそうです。そう言いながら締めにアイスを食べていました。それも三段重ねの大きいサイズです。

 まゆりは若干引いていました。


「甘いの苦手なのは知ってたけどそんな顔するほどだったけ?」

「あー……うん。そうだよ」


 まゆりはこれ以上食べ物を見たくなかったらしく、フードコートから出ていきました。


「食べ終えたら連絡して」


 という言葉を残し、急ぎ足で適当に歩いていきました。


「お手洗いかな?」


 ひなはアイスに噛り付きました。

 それから十数分後、シャッターが閉じられたのです。



 一方のまゆりは、人気の少ない場所で心落ち着かせていました。


「フードコートっていろんなお店がある分匂いが混ざって気持ち悪い」


 水を飲み、スマホで時間をつぶしています。


「ひななら何が似合うかな?」


 水着の写真を見ながら、無意識に微笑んで探していました。そのうち真剣な面持ちになってスマホと睨めっこし出しました。

 だからこそ気づくのが遅くなってしまったのです。


「これ、これ着てくれないかな?」


 スマホと睨めっこすること十分。まゆりはようやくスマホから目を離しました。そしてすぐに何か違和感があることに気付くのです。

 まゆりは目を瞑り違和感の正体を探ります。すると魔素の流れがおかしいことに気付きました。

 魔素とは、目に見えない空気中や人間の体内に流れている魔力の素になる力のことです。通常、魔素を魔力回路に流せられれば魔法を行使できるようになり、魔力回路に魔素を流す量によって強さは変動します。人によって魔力回路に流せる魔素量はまちまちですが決まっています。

 魔素を体外から取り込み扱うこともできます。しかし、空気中にある魔素は体内にあるものと濃度が違うので特段扱うのが難しく、大抵は魔道具を扱う際にしか使うことができないとされています。使うことができればその人の手の届かない場所でも能力を扱うことができるので非常に便利な力にもなるのです。

 ちなみにまゆりはできます。ですが彼女の魔法の性質上、行うことはこういう能力と関係ない時索敵の時しかないのです。

 魔法はその人の特性により決まると学校では習います。

 そんなことはさておき、魔素の流れがおかしいということは、誰かが魔法を扱おうとしているということになります。それも、濃度の高い魔素に異変が生じるほど技術と能力値の高い何者かによって、です。

 能力値を底上げすることのできる能力者もいますが、他力本願の力ゆえに見つかりにくく、極めるものも少ない。その線は低いといっていいでしょう。


「どこ?どこが中心?」


 まゆりは魔素を辿って魔素の流れがおかしくなり始めている場所を探りました。

 大きいショッピングモールの地図を頭の中に広げ、順を追ってバツ印を書き込みながら候補を絞っていきます。


「魔道具のダミー?それとも他の細工?」


 何か異物を見つければ丸印を書き、魔素が流れている場所には流れている向きに矢印を書いています。そして三分足らずで見つけたその場所に目を見開きました。


「ひなが危ない!!」


 まゆりは荷物そっちのけで走り出しました。唯一手に握ってスマホで『逃げて!』とLI〇Eを送り、猛ダッシュしました。

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