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うちの学校の吹奏楽部は、派手な子たちが結構集まっていたような気がする。それでいて関東大会でも上位にくる成績を修めるほど優秀だったので、先生たちからの憶えもめでたかった。
久慈岡は、はっきり言ってしまうとパッとしないほうの子だった。演奏も特別上手くはなかったらしい。三年生の頃には人望でユーフォニウムのパートリーダーになっていたし、後輩たちからも慕われていたようだが、同級生との関わりがどうだったかと言えば微妙だ。
「久慈岡~っ」
とある昼休み。私と話しながら窓際の机で昼食をとっていた久慈岡は、そんな明るい声に呼ばれて振り向いた。振り向いてしまった。それはクラスでもかなりカーストが上の吹奏楽部の女子で、教室の向こう側で大勢の仲間とたむろしていた。
呼ぶだけ呼んで、なぜか笑う。遠くからみんなで笑う。ひとり強い者が笑ったら、他の生徒もそれを免罪符にして笑えるらしい。中には吹奏楽部でもない、久慈岡とは話したこともなさそうな子もいた。
久慈岡は箸をくわえたまま、じっとその様子を眺めていた。私はといえば、思わず激昂しそうになって席を立ちかけたが、久慈岡の「こしば」という小さな声に押しとどめられた。
「でも」
「仲間はずれにされてるわけじゃないから」
だからといって。そんな言葉を奥歯でごりごりと噛み砕きながら、目の前の弁当箱に目を落とす。久慈岡はなんでもなかったかのように日常会話を再開させた。お母さんがイヤリングを買ってくれたこと。少し派手だけど、とても綺麗な紫色であること。今度の休みにそれをつけてみんなと遊びに行くこと。
確かに仲間はずれにはされていないようで、翌週久慈岡は、吹奏楽部の面々と隣町まで遊びに行った。カラオケに行ってご飯を食べて、それなりに楽しい会合になった、というのは別の子のSNSで知った話だ。そこに載せられた集合写真に写る久慈岡は、ちゃんと笑っているように見えた。耳には見慣れないイヤリングをつけていて、それがお母さんからのプレゼントなのだろうと推測する。
なにはともあれ楽しそうでよかった、と布団から起き上がる。休日だというのに一日中布団の上でごろごろしていた私は、寝る前に駅のコンビニでパックのジュースでも買ってこようと思い立った。
その時もざあざあ降りの雨だった。気温もそんなに高くなく、ひどく肌寒かった憶えがある。傘を差しながら駅に向かっていた私は、大通りの向かいの歩道を誰かが駆けていくのを見かけた。
「……久慈岡?」
傘も差さず、掌で頭を庇う女の子。その耳ではなにかが強くきらめいていて、私は思わず「久慈岡!」と大きな声で叫んでいた。
ブレーキがかかったように立ち止まり、こちらを振り返った人物はやはり久慈岡だった。少し気合の入った可愛らしい私服はSNSの写真で見たままだ。しかしそれも雨に濡れて見る影もない。
やべえ。思わず一言呟いて、車が来ないことを確認してから道路を横断する。駆け寄ると、久慈岡は驚いたような顔で私を見つめていた。
「……こんな時間にどうしたの、小柴?」
急いで傘に入れてやると、普段より久慈岡を近くに感じた。服も髪も濡れていて、少しやつれて見える。身体が冷やされているせいか頬が赤い。
「いや、買い物だけど……そっちこそどうしたの」
「どうしたのって、みんなで遊びに行った帰りだよ」
「じゃなくてさあ」
思わず苛立ったような声を上げる。久慈岡は本当になんのことかわからなかったようで、いきなり噛みついてきた私に戸惑っていた。
「……行こ」
久慈岡の腕をつかんで、彼女の家と反対の方向に引っ張っていく。相応の抵抗を見せるかと思った久慈岡は意外にも連れられるがままで、それが彼女の無意識の疲労を色濃く表していた。
到着したのは私が来ようと思っていたコンビニで、私は「そこで待ってて」と彼女をイートインコーナーのテーブルに置き去りにした。目当てはパックのジュースと、レジの横に置いてある機械からできたて熱々が抽出される紅茶だ。
「小柴……」
「飲んで」
不安げに私の名前を口にする久慈岡を遮り、湯気の立つ紅茶を彼女の目の前に置く。同じくイートインの席に着くと、久慈岡は困ったようにぼそぼそと呟いた。
「まだ熱いし……」
「ふーふーしながら飲めばいいよ」
「……お金」
「いいから」
強引に紅茶を勧めると、久慈岡は恐る恐る紙コップを手に取った。私はその様子を瞬きもせずじっと見つめていた。そうして私の予想通り、紙コップに口をつけた久慈岡は突如としてぽろぽろと涙をこぼした。
「え」
「ほら」
昔、とあるサスペンス漫画で読んだことがある。熱いものを口にする人は、それで火傷しないよう注意することに必死なり、内心で思っていることが顔に出てしまうのだそうだ。そうして重要参考人などの深層心理を覗くことができるらしい。まさか、本当に成功するとは思っていなかったが。
「……」
「しんどいんでしょ、きっと。少なくとも心から楽しかった日にはそんなことにはならない」
腕を組み、椅子の背もたれに身体を預けながら指摘する。その間も彼女の涙は留まることを知らず、やがてすすり泣きに、最後には顔を覆って号泣するまでになった。私はその一連の流れを、時々スマホに届く親からのメッセージに応えながら眺めていた。今どこにいるの? コンビニ。 早く帰ってきなさいよ。 わかった。 迎えに行こうか? いい。
「言われたの」
喉の奥で割れた声が、指の隙間から漏れる。私はテーブルの上のスマホを裏返した。
「イヤリングのこと」
彼女の耳を飾るイヤリングは、こんな状況にも関わらずきらきらと上機嫌そうだった。アクセサリーに機嫌もくそもないのだが。
「イヤリングに顔が負けてるって……地味だしそういうの似合ってないって……服も……」
そういうのってなんだよ。先日の昼休みに無理やり封じ込めた怒りが沸々と煮立ってくるのがわかった。ここで怒ってもどうしようもないことは自明なので表には出さないが、どうしようもなく腹が立ってくる。
顔を上げた久慈岡は、目の周りを赤くしながらもわずかに微笑んでいた。右手で右耳のイヤリングをいじりながら「せっかくお母さんがくれたんだけどなあ」とぼやく。きっと、あのとき久慈岡を笑ったやつが色々言ってきたのだろう。それでも頑としてイヤリングを外さなかった久慈岡に強い意地を感じて、私は唇の裏側を噛み締めた。
「そのイヤリング、大事にしなよ」
「え」
「強そうに見えるし、きっと守ってくれるよ」
「なにそれ」
お守りじゃないんだからさ。そう言いながら笑う久慈岡は、SNSに載せられた写真とは違う笑顔を見せていた。
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