第26話 流行りもの②

 前にお話しした「私の城下町時代」(1960年代後半から1970年代前半)に、お姉さんたちが上手に遊んでいたアメリカンクラッカー。私は「カチカチ」と呼んでいた気がします。硬くて重い二つの玉がひもでぶら下がっていて、手で持つところはリングがついていて、カチカチぶつけて遊ぶアレです。近所の子も、親戚の人もみんな持っていました。私のは金属製のリングに黄色い玉でした。


 幼かった私はただカチカチやるだけでしたが、お姉さんたちはカカカカカと華麗に上も下もぶつける連続技を見せてくれました。当時の私は、重いしぶつかったら痛いから怖くてできなかったのですが、今ならできそうな気がします。


 玉といえば、中学生のころだったでしょうか。5つくらい金属の玉がぶら下がっていて、左の玉をぶつけたら間の玉はそのまま動かずに1番右の玉が跳ね上がり、それが戻って当たると1番左が跳ね上がるというのがありましたよね。最近見なくなりました。これは流行りものというほどではありませんが。


 1974年、モナリザが初めて日本に来たときは、テレビでも雑誌でもその話題でもちきりだったように思います。上野の国立博物館で公開されました。私がレオナルド・ダ・ビンチを知ったのはこの時です。お絵かきが好きだったので、モナリザの絵を描いて真似していました。これまでも1枚の絵がこんなに熱狂的に騒がれたことなどなかったのではないでしょうか?


 熱狂的と言えば、スーパーカー。こちらも大ブームでした。ランボルギーニカウンタックの、上に開く扉は羽を広げたみたいで衝撃的。ポルシェとかフェラーリとか、あのブームがなかったら興味を持つことはなかったのではないかと思います。百恵ちゃんの歌に真っ赤なポルシェが出てくることも。


 男子がスーパーカー消しゴムをたくさん集めていて、学校に持ってきて遊んでいました。自由帳の上でノック式ボールペンのノック部分をスーパーカーのお尻に当てて、ポンと戻したバネの勢いで進ませるという遊びでした。子どもは、あるものを使っていくらでも遊びを考え出す天才だと思います。


 中学生の時(1970年代後半~)、学校へ持っていくサブバッグは中一のころはみんな紺色の生地に白い厚地の綿テープが貼ってある布バッグでしたが、マジソンスクエアガーデンとかアディダスのスポーツバックが流行りだして、女の子も持っていました。私服ではスタジャンに、JPSやプレイボーイなどのアポロキャップ。オーバーオールも流行っていたような? ふっと思い出してじわじわ来たのですが、これって地域性があるのでしょうか?

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