第13話 お風呂
幼稚園の頃、私は二階建てのアパートの2階に住んでいました。そこに住む10世帯の住人が3か所にあるお風呂を共同で使っていました。昭和のお風呂=五右衛門風呂です。今だったら共同なんて絶対に嫌ですが、当時はお風呂のない家も多い時代ですから、ましな方なのかもしれません。
そのアパートでは定期的にお風呂用の「薪」がトラックにどっさり積まれてきて、アパート前の広いところにガラガラとおろされ(地面にぶちまけていたイメージ)、それを住人がみんなで薪置き場に運びました。このトラック、多分「オート三輪」というかわいいトラックです。載せてくるのは立派な太い薪ではなく、廃材とか建築の端材で、子供の目には積み木のように見えてワクワクしていましたが「すいばり」(広島弁でとげのこと)が立つので素手では触れませんでした。
前出の「私の城下町」の先生役だったお友達が住んでいるアパートは、薪ではなくオガライトで風呂を沸かしていました。巨大なえんぴつみたいな形と「オガライト」というカタカナの名前を素敵に感じて、負けたような気分になっていました(笑)。
小学1年生からは父の実家で暮らし始めたのですが、この家は戦前に建った古い家でした。お風呂は薄暗くて寒くて、五右衛門風呂のふちのコンクリート部分が「べんがら」か何かで赤く塗ってあったんです。薄い赤ですが地獄の釜のイメージ(笑)! お湯に浸かるとすぐ横が壁なのですが、その壁に、時々巨大な蜘蛛が出るんです。足が長い焦げ茶色のでっかい蜘蛛で、20センチくらいあったような気がするのですが、今思えば子供の体感なので10センチくらいかもしれません。日本、蜘蛛、大きい、でググったら、アシダカグモが出てきました。多分これで間違いないです。当時は直視できなかったから気づかなかったけど、今、冷静によ~く見たらめちゃめちゃ怖い容姿です。
五右衛門風呂に入るときは、お釜のふたをさかさまにしたような形の、父が作った木製の板を、足で上手に沈めてその上に乗っかるように入っていました。お湯に入っている最中に薪をくべていると、釜がアツアツで、おしりが当たらないように入るのも技術がいりました。リアルに釜茹での刑です。でも、冬はホカホカと下から温かいのが上がってきて、気持ちいいんですよね。お湯が熱すぎたら、自動じゃないですからお水で埋めて、自分で上手に温度調節しました。よく子供があんな危ない風呂に一人で入っていたなあと思います。
……ということで、地獄のようなお風呂だったけど、また五右衛門風呂に入ってみたいなあと思う今日この頃です。もちろん蜘蛛はパスですが。
お風呂のたき口に、母はいろんなものを入れました。なすびをそのまま突っ込んで焼きナスを作ったり、サツマイモを突っ込んで焼き芋にしたり。子どもはちょっと点数の低いテストとか、都合の悪いものを抹消することもできました。
薪は「ひばし」とか「ひばさみ」とか呼んでいたアレで挟んでくべていましたが、例によって正式名称を知りたいと思って調べてみました。
「ゴミ拾いトング」
なんてイマドキな名前。そっちの用途の方が主流なのね。でも一方で、火箸、ひばさみという名前でも販売していたので安心しました。
小学校5年生の時、家を建て替えるために安くて古い借家に引っ越したのですが、そこには風呂がなかったので、お風呂屋さんに行きました。入り口に「ゆ」と書いた暖簾が下がっていて、入り口に番台がある、ドラマ「時間ですよ」のような風呂屋です。ケロリンと書いてある黄色い洗面器があったような気もしますが、マイ洗面器を風呂敷に包んで持っていきました。
入浴後は、残念ながらフルーツ牛乳などの定番ドリンクを買ってもらったことはありません。当時の風呂屋にはドライヤーなんかなかったから、髪が濡れたままで、てくてく歩いて帰りました。そんな家族で歩く夜道も懐かしいワンシーンです。
ちなみに新しい家ではユニットバスになりましたが、父と母のこだわりで薪を炊ける風呂でした。
ところで、五右衛門風呂とセットで思い出すのが
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