1-2 『まずは食べないと(下)』

「⋯⋯ごめんね、アンナさん。服汚しちゃって」


 泣いていた私を抱きしめたせいで服を濡らしてしまったことに、私は申し訳なさを感じた。


「ううん、だーいじょーぶ。洗えば落ちるし。

 それより、落ち着いた?」


「うん、大分。おかげさまで」


「そっか。⋯⋯アンナでいいよ、むず痒いし」


「そっか。ありがと、アンナ」


「うん、それでいい。⋯⋯それよりレイレイ、見てほしいものあるんだけど」


 アンナは立ち上がると、部屋の隅に置かれたカバンを指差した。


「アレ、見覚えあったりする?」


「いや、まったく⋯⋯ってアレ、私のストラップじゃん?!」


 見覚えのない緑色のキャンプ用リュックに付けられていたのは、私の学校カバンにつけていた水色のメンダコのストラップだった。


 たしか前に水族館に行ったときに友達と色違いで買ったような気がする。関係ないけど。


 リュックのフタを開けてみると、中には一食分のフリーズドライのパックと救急バッグ、普段着が一着と水の500 mL長期保存缶が二本、軍手、防水マッチ、タオル二枚、簡易濾過フィルター、それに謎の大きな紙袋が一つ入っていた。


 リュックの中から恐るおそる紙袋を取り出してみると、中には謎の錠剤みたいなのが入っている。


「ね、これ何て書いてあるの?」


 アンナが紙袋の反対側を指さした。


「えーと⋯⋯『食料』、うおっ食料だよこれ!」


 ガサゴソと中のカプセルを包装ごと取り出し、数を数える。


 一つの包装で十錠入っているから、それが五つで五十錠。

 説明書によれば一食につき一錠だから、ざっと十六日分。二週間は持つ。


 ありがたい。本当にありがたい。

 どこの最先端技術かわかんないけど最高だよ、コレ。


 一錠を包装から出すと、口の中に放り込む。

 水は——、どうだろ。保存缶の水を信用できるかどうか。


 あの部屋の天井の荒れ具合をみても、保存水とはいえ多少腐ってても文句は言えなさそうな気がする。


 そもそもカプセル自体もダメになってないか怪しい気がしてきたけど。


「ところでなんだけど、このリュックどこにあったの?」


「んーとね、レイレイが寝ていたカプセルのわきの機械の中。

 ガラス割ったらね、プシューって感じで空気が入る音がしてね、手を突っ込むとキンキンに冷えてたの。

 ホント指が取れそうなくらい冷たかったよ、このカバン」


 ⋯⋯なるほど。つまるところ冷凍保存されてたのは確定でよさそう。

 なら空気の音はなんだろう。装置内が真空だったとかだろうか。


 そもそもリュックがわりと新品同然なところを考えても、多分水も安全とみて良さそう。

 ペットボトルを開けて、ぐいっと飲み込んだ。


「ふー⋯⋯、生き返るー⋯⋯」


 お腹の減りがすぐに満たされていくような感覚は流石にないが、少なくとも新鮮な水を飲めただけでも何割かは生き返る。


 ちなみに『食料』カプセルの方は大体三十分くらいで効いてきた。

 何も食べてないのに空腹感がなくなるのも、変な話だけど。


「んで、これからどうする?」


「どうする、かぁ」


 ⋯⋯確かに。

 当面の食料の心配がなくなったところで、将来のことも考えていかなければいけない。


 アンナにいつまでもお世話になるわけにはいかないし、少なくともこの世界のことをもっと知っておく必要がある。


 最低限、物々交換が成り立っている世界なのか。

 それともヒャッハーなモヒカンが闊歩する無法地帯なのか。


 経済がある程度存在している社会なら最低限の職を見繕う必要があるし。

 少なくともアンナの口ぶりからして、ヒャッハーな感じはしないし。⋯⋯しないよね?


 あと私の他に『普通の』人間がいるのかも気になる。

 仮にいたら、助け合えるかもしれない。


 加えて二週間で食料が尽きるのもいささか問題だ。

 外の様子も早めに把握しておく必要があるだろう。


 その上で優先順位を決めるなら⋯⋯。


「まずは外の様子を見てみたいと思う。それから一度、あのカプセルがあった場所に戻りたい。

 使えるものがあったら回収したいから」


「りょーかい。ならアタシと一緒だ」


 そう言うとアンナは立ち上がって伸びをした。


「出発前に長老に会ってくる。ちょっと待ってて?」


「あ、私もついていっていい?挨拶しとこうと思って」


「りょーかい。身支度整えてからでいーよ」


 ウインクしてから、アンナは駆け足でテントを出て行った。



 *



 とりあえずリュックに入っていた普段着に着替えると、テントの外に出る。


 予想してはいたことだが、一面の森の中にいたことに少々驚いた。


 周囲には十数ものテントが設置されており、住民がその間を行き交っている。


 しかし、そのどこからも近代的な様子とか、テレビ番組特有のやらせ感とかは感じられない。


 例えばテントのそばに実はアンテナがあって、テレビなりラジオなりで情報を取っているとか、実は住民が携帯を持っててちょくちょく電話しているとか。


 少し怪しい宗教風に言うならば、電波の気配が全くしないというか、なんというか。


 そしてそのいくつかのテントの中で、一つだけが黄色と赤の模様が描かれている。

 長老って人が住んでいるなら、あのテントだろう。


 近づいてそっと覗き込むと、アンナの笑い声が聞こえてきた。


「——あはは。でねでね、それでアタシが思いっきり投げつけたらね、どかーんって!」


 アンナは、両手を広げながら楽しそうに白のローブを羽織った初老の男性と話し込んでいる。

 二人の他に人がいないのを見るに、多分男の方が長老で間違いないだろう。


 それにしても、頭の毛のさっぱりした感じに白のローブって、いかにも長老って感じの人だ。

 話は変わるが、ライトセーバーなるものを持たせたら某映画に出てきてても違和感ないんじゃないかと思う。


 それにしても、やっぱり何度見ても人と見分けがつかない。


 普通、こういうのって年老いてくると微妙に人間っぽくなくなっていったり、逆に赤ちゃんがまるっきり人外だったりするのが定番だとは思うけど。


 見たところ、あの『長老』って人にはそれが感じられない。


 それが意外で意外で仕方ない。


「⋯⋯ほうほう。それで⋯⋯その、さっきから入り口に立っている子は、さっきの子かい?」


 ——ギクゥ。

 失礼に当たらないことをしてたかと聞かれたら、自信を持ってハイとは言えない状況に少しヒヤッとする。


「あーそうだそうだ。紹介するよ、入ってはいって」


 アンナが、私の腕を引っ張りながら長老のそばまで引きずろうとする。


「まってまって、土足どそくっ!汚れついちゃうから、脱いでこないと!」


「うわわわあ、ごめんっ、長老!」


「いいって、いいって。そんなの後で掃除すればいいさ。

 あーいいよいいよ。靴はそのままで。あとで婆さんに頼んで拭いてもらえばいいから」


 長老は慌てて靴を脱ごうとする私を、いいよいいよと止めた。


「す、すみません。ええと⋯⋯」


「紹介するね。この人がね、長老。エライ人。

 んで、こっちが——」


「蓮見 玲香です、この度は助けていただきありがとうございます」


「うんうん、良い子だ。それこそ、アンとは違ってな」


「もー、今それ言う?!」


 ガハハハと笑う長老に釣られて、私も吹き出す。


「んで、この後はどうするんだっけか。

 あーっと確かアンと一緒に地下遺跡に潜ってくれるんだって言ってたか」


「うん。使えるものがあるか見たいんだって」


「そうかい、そうかい。気をつけて行ってくるんだよ。怪我のないようにね」


「はい、ありがとうございます」


 優しい人でよかった。ペコリと頭を下げる。

 じゃあ行こ、とアンナが手を引いた。


「あ、そうだ。玲香ちゃんだけちょっと話があるんだけど、いい?」


「は、はい⋯⋯」


 アンナの手を離すと、長老の方へ体を戻す。

 あっ、とアンナが少し寂しそうな声をした。


「アン、お前は荷物の用意があるだろ?

 どーせこのお嬢ちゃんをみつけたときだって、まともな装備をしてなかっただろうに」


「う、うっさい!必要なものは持ってましたよーだ!」


 靴を踏み潰すと、パタパタとアンナはテントから出て行ってしまう。


「⋯⋯はぁ。アイツはもう少しおとなしくというか、慎重さを身につけてくれればいいのに」


 ぽつりと長老は呟く。


「仲良いんですね、お孫さんと」


「お孫さん⋯⋯はっはっはっ、なるほどなぁ、そう見えたか」


 目を丸くする私に、長老は丁寧に説明する。


「いやぁ、私はアンの親でも祖父でもないよ。

 ただ、よく面倒をみてあげてる、物好きなおっさんだ」


「⋯⋯そうですか。すみません、そこまで頭が回らなくて」


「いやいや、気にすんな。

 それで⋯⋯なんだが、麗香ちゃんから見て、アンはどんな感じか?」


「アンナさんですか?

 そうですね⋯⋯、元気でパワフルで、それでいて優しい。そんな感じです」


「そうか、そうか。ふむ⋯⋯なるほど」


 長老は嬉しそうに微笑んだが、どこか心から笑っていないような、むしろ心配しているような気がした。


「もしよかったら見てやっててくれないか、アンのこと。

 アイツが無理して笑ってないかだけでも」


「⋯⋯それは、どういう?」


「いやあ、私からは言えんよ。言ったら多分半殺しにされるし」


 ⋯⋯じゃあなんで私に頼むし。

 そう突っ込みたくなる。


 だけど、それ以上にアンナと一緒に行動していることを嫌がっているわけじゃないのはありがたい。


 少なくとも、今現在ではあのお人好しアンナの助けがなかったら生きていく目処も立たない。


 だけど⋯⋯こんな馬の骨とも知れない異種族ヒトが一緒にいて、本当にいいのかな。


「ふふっ、今自分がアンと一緒にいていいのか、そう考えただろ?」


 ——図星だ。超能力者かよ。


「ど、どうしてそれを?」


「なーに、分かりやすすぎるだけだよ。

 大丈夫、アンが問題ないって言うんだ。きっと大丈夫さ」


「なるほど。信用されているんですね、アンナさんのこと」


「当然だ。赤子の時から面倒みてきたからな」


 長老は、今度こそ嬉しそうに頷いた。


「あとそれと、お前さんがウチらとは違うってことは黙ってた方がいいと思うぞ。

 私は気にせんけど、色々言ってくるヤツもいるだろうし。

 それじゃあ、気をつけて行ってこい」


「ありがとうございます。色々と」


 もう一度私は、この親切な老人に頭を下げた。



 *



「⋯⋯⋯⋯遅い」


 長老のテントの出口で、アンナは頬を膨らませながら待っていた。


「ごめん、ごめん。ちょっと話が長引いちゃって」


「んで、なんの話してなの?」


「んー、色々?改めてアンナと一緒に行動する許可を取ってた感じ」


「ふーん。⋯⋯変なの」


 アンナはむすっとしたまま返事した。


「許可なんて、アタシがよければそんなのいいのに」


「うん。大体そんなこと言われた」


「それで納得した?」


「うん、まーね。

 あとは一応、私が違う『人間』だってことは伏せといた方がいいって言われた」


「んー、そんなもんかね」


「そんなもんらしいよ」


「⋯⋯そっか。なら二人の秘密ってことで」


 ニヤリ、とアンナが意味ありげに笑う。


「いやいや、長老も知ってるから」


「よし、長老一回殴ってくる」


「やめなさい、まったく」


 顔を見合わせると、二人で噴き出すように思いっきり笑った。

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