1章 方舟とひとりぼっち

1-1 『まずは食べないと(上)』

 あれからどれくらい眠ってしまっていたのだろう。

 気がつくと、私はテントの中で横たわっていた。


 テントというが、某アニメで見たような近代的なものではなく、木製の支柱数本を頂点で交わるように組み合わせて、その周りを布で覆った遊牧民風のテントだ。


 それから頭だけを動かして見回そうとすると、なぜかアンナさんが私を見下ろしていた。


「よっ、どうだい私の膝枕は?」


 ん、膝枕?

 頭の下を手で触ってみると、少し冷たいけど人肌の感覚がした。


「うおわぁああああああ!」


 驚いてそのまま飛び起きようと頭を振り上げる。

 当然アンナさんの顔がある想定なんてしてないから、思いっきり頭突きをくらわす形になった。


「ごふっ。⋯⋯いたたたた⋯⋯」


 アンナさんは顎をさすりながら、私を涙目で睨む。

 私も負けじと睨み返した。


「痛いじゃないかよこのーっ、急に立ち上がらなくてもいいだろー普通!」


「いやいやいやそっちこそ、なに自然な流れで膝枕やってんです?

 ウチら恋人じゃないんですよ?見ず知らずの相手にそこまでやるとかあり得なくないです?」


「んー⋯⋯そんくらいいーじゃん。つかアタシ、友達にもやったことあるし」


 ——なるほど、価値観の違いってやつか。

 私はあまりボディタッチが好きじゃない方だったから嫌だったけど、アンナにとっては普通、と。


「あーでもでも。誰にでもするーってわけじゃないし。

 そりゃ男の人相手にやったことはないよ。あと知らない女性にむやみにやったりするものじゃないし」


「知らない相手に『むやみに』膝枕をする状況って、どんな状況ですか、まったく⋯⋯」


 そんなバカみたいな話をしていると、ぐぅ、と私のお腹が鳴った。


「いまのって、もしかしてレイレイ?」


「⋯⋯は、恥ずかしながら」


 思わす顔が赤くなってしまう。

 だけどアンナさんはそんな私を揶揄うかと思いきやそんなことはしなかった。


「あー⋯⋯そっか。ごめんっ!気が利かなくて。

 すぐになんか食べれるもの探してくるから!」


 そう言ってテントを出て走ってしまった。


「お、おかまいなくー?」


 そして体感5分後。

 目の前には、皿に盛られた謎の赤茶色の粉。


「さ、さささ食べて?」


 ⋯⋯ごくり。唾を飲み込む。

 食えるのか、コレ。


 謎の白い粉ってのはよく聞く怖い話の一つだけど、謎の茶色い粉ってのは初めてだ。


 とりあえずスプーンみたいなのもないし、手で食べるしかないか。


「い、いただきます」


 指でひとつまみして、とりあえず鼻の近くへ。

 ふっと鼻息をかけるだけで粉が舞う時点で食べるものでもない気がするが。


 匂いを嗅いでみると、コレまた嗅ぎなれた匂いである。

 鉄棒を触った後の手の匂い、もしくは血の匂い。紛うことなき、鉄錆だ。


 コレだけでも地雷臭しかしないが、ここに断るという選択肢はあるのだろうか。

 いやそもそも助けてもらった方のご厚意を無駄にするのはいくらなんでも許されないだろう。


 せめて味だ。味だけでもどうか食べられることを祈ろう。

 相手も同じ人間だろうし。少なくとも毒物ではないと信じよう。


「⋯⋯⋯⋯はむ」


 口に含むと広がるのは、大自然を広大に感じる⋯⋯わけもなく天然のどこにでもある鉄の味だ。


「ゲホ、ゲホっ、おええええええええぇ⋯⋯」


「ど、どうしたの、大丈夫?!」


「大丈夫はコッチのセリフですよ!

 一体どんな頭してたら鉄錆食わそうという気になるんですか!」


 ふとアンナさんが、目を丸くしているのに気づく。


 ⋯⋯言い過ぎた。


 というより、明らかに人として間違ってるとこまで言ってしまった。

 見ず知らずの相手に、食料(?)まで分けてくれる人に向かって。


 少なくともあの目は、私に食べ物以外を騙して渡した人の反応ではなかった。


「⋯⋯ごめん、一旦頭冷やしてくる」


 起き上がって、テントから出ようとする。

 ⋯⋯最悪だわ、私。


「待てよ、どこ行くんだ?」


 アンナさんが、私の手をぎゅっと掴んだ。


「⋯⋯離してよ」


「ダメだ。どこへ行こうとしてるか聞くまでは。

 何も食べてないのに、歩き回るのは無茶だ」


「⋯⋯でも。でもでも私、アナタを疑ったんだよ?

 アナタが私に毒を盛ってるって、殺そうとしてるって疑ったんだよ?」


「⋯⋯そっか。なら、おあいこだな」


「えっ?」


「アタシだって、自分の食べれるモノを相手に無理やり押し付けた。

 アンタの事情なんかお構いもなしに、自分の『優しさ』を押し付けようとした。

 少し考えれば、同じモノを食べられない可能性だってあるはずなのに」


「⋯⋯⋯⋯どうして。どうしてそんな優しくす——」


「わかってたんだよ。さっきレイレイの体を触ったときに」


 それだけ言うと、アンナさんは申し訳なさそうに笑う。

 そして右肘を見せると、縫い目のようなものを開いた。


「嘘⋯⋯なに、これ⋯⋯⋯⋯」


 パックリと開かれたアンナさんの体内。

 そこにあったのは血だらけのグロテスクな光景よりも、もっと衝撃的なものだった。


「⋯⋯やっぱり、違ったんだ」


 アンナさんは、金属でできた体内からワッシャーのようなものを一つ弾く。

 そのワッシャーの下を、不恰好な歯車がカタカタと回っている。


 金属でできた骨によく似た部品の隙間を、銅色のドロっとした液体が流れる。


 それは機械にしては不恰好で、人間にしては異質すぎるものだった。


「今さっき倒れたときに触ってみたら、どこにも縫い目がなくて。

 アレっと思って胸の音を聞いてみたら、全く別の音だった。

 ⋯⋯ごめんね、黙ってて」


「ううん。聞いてたとこで多分、受け入れられなかったと思うから」


「そっか。⋯⋯強いよ、レイレイって」


 アンナさんが、腕の紐を締め直しながら言う。


「ううん、そんなことないよ。まだ全く受け入れられてないし」


「違うよレイレイ。強いよ、強いんだよ。アタシなんかより」


 そう言って、アンナさんは私をぎゅっと抱きしめた。


「アタシなんかより、ずっと」

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