16-3

 瓦礫の撤去も終わらぬ夜。


 アーユイは、ヘプタとエンネアを隔てる砦の上にいた。


「生きているうちに空を飛べるとは思いませんでした。貴重な体験をありがとうございます、フラガノン様」


「どうってことないよ! アーユイの望みを叶えたら、面白いことがありそうだからね!」


ヘプタが位置する西方には、アーユイはあまり縁がなかった。西都までは転移できるが、さてそこから最速で国境に辿り着くにはどうしたものか、と策を練っていると、再び風神が現れたのだ。


「あの時も、良い演出をありがとうございました。まさか、魔物を浄化すると花びらになるなんて」


一度魔物に成り果てたものは、元に戻ることはない。ただ安らかに眠れと、アーユイは祈った。


「必ず花びらになるわけじゃないよ?」


「そうなのですか?」


「うん。あれはねえ、術者が思う美しいものに変わるんだ。雪だったり、光の粒だったり、宝石だったりしたこともあったかな。アーユイの思う美しいものは、あの白い花だったんだね」


「……あれは、母が好きだった花ですから」


「そっかあ。お母様は、趣味がいいね」


「ありがとうございます」


石造りの砦の上、見張りにも気付かれない隅のほうに一人と一柱で腰掛け、うふふと和やかに話していると、


「おい! おい! アーユイ!!」


呼んでもいないのに、炎神が現れた。


「フィーゴ様。どうなさいましたか」


「何故オレを呼ばなかった!! 戦だろう!?」


「フィーゴ様、しーっ。あと、その炎も消えませんか。目立ちます」


「む!?」


燃えさかる炎の髪は、松明よりもよほど明るかった。注意されてしゅんとなり、言われたとおり炎が消える。髪が落ち着くと、世の乙女がうっとりと惚れ込みそうな美丈夫になった。暗がりなのが勿体ないな、とアーユイは感心した。


「もう少ししたら、フィーゴ様を呼ぼうと思っていたんですよ」


「そうなのか? 何をするつもりだ?」


「とっておきの出番です」


首を傾げつつ、フラガノンの反対側に腰掛けるフィーゴ。


「こんな風に僕らだけで話してたらさあ、またロウエンがやきもちを焼くんじゃない?」


「また?」


いつの話だろうかと、今度はアーユイが首を傾げた。


「もしかして気付いてない? 部下の騎士くんたちにも、フーヤオにも、オリバーにまで、めちゃくちゃ嫉妬してたじゃない、彼」


「本当ですか? そうか、なるほど……」


様子がおかしいとは思っていたが、あれが俗に言う嫉妬という奴だったとは。


「逆にさあ、アーユイはどうなの? ロウエンが他の女の子と親しくしてたらさ」


「王子が?」


あの容姿だ。本人も自覚している通り、彼は大変よくモテる。男所帯の騎士隊にいるところしか見たことがないので、想像するのに少し時間が掛かったが、


「……あまり面白くありませんね。私に告白しておきながら、そういう態度を取られるのは」


改めて考えてみると、なんとなく胸の辺りがもやもやとした。


「それって、ロウエンに好かれるのは嫌じゃないってことでしょ? 帰ったら、ちゃんと応えてあげなよ」


「……うーん……」


「何だ、お前らしくもない。もっとさっぱりと、単純に考えればいいのだ」


今度は、フィーゴが口を出した。


「お前が『ただのアーユイ』で、あ奴が『ただのロウエン』だったら、すぐに返事をしていたのではないか?」


アーユイがアインビルドの暗殺姫でも聖女でもなく、ロウエンも王子ではなく、例えばフーヤオのような気安い関係だったら。


「……確かに。ロウエンは、いい奴です」


初めて出会ってからずっと変わらない、人なつこい大型犬の笑顔を思い出し、ふ、とアーユイは微笑んだ。


「それが答えだ! 邪魔な奴がいたら、オレが焼き払ってやろう!」


「フィーゴは乱暴だなあ。その時は僕も呼んでね!」


優男なのは見た目だけだった。




 スッキリしたところで、フラガノンは遠くに視線を戻し。


「アーユイ、もしかして待ってたのって、あれのこと?」


何かに気付いて、地平線を指さした。


「あれは――、ヘプタ兵か!」


暗闇をひたひたと移動する、大量の人影。虫のように蠢きながら、徐々に近づいてくる。


「行きましょう、フィーゴ様。蹂躙です」


「おう!」


急に上機嫌になったフィーゴは、アーユイを抱えると、星空の下へ飛び出した。


「僕もいこーっと」


炎神と風神は正反対に見えるが、二人の気が合うと手が付けられない悪ガキコンビになる、とは、後にアーユイがピュクシスから聞いたことだ。




 タブシルの乱の後始末に夜通し追われていたエンネアの大臣たちは、翌朝「秘密裏に緩衝地帯を越えてエンネアに進軍していたヘプタ軍の弾薬が、何らかの理由で大爆発を起こし、一面が火の海になった」という連絡を受けて腰を抜かした。



 表向きには進軍を急ぎすぎたヘプタの落ち度が生んだ悲劇の事故とされたが、あまりにも都合のいい偶然が重なったことから、聖女が起こした奇跡の一つとして、まことしやかに言い伝えられることになる。



 大打撃を受けたヘプタは、王子がやらかしたことも含めて、エンネア及び当時エンネアに要人が滞在していた各国へ莫大な賠償を支払うことになった。


 時期を同じくして、突然ヘプタの領土を流れる川やオアシスの水が干上がり、国内でも多数の死者が出た。現人神としての求心力をなくした王は討ち取られ、静かに衰退していくのだった。

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