14-2
どす黒い暗雲となった煤は、澄んだ空を目的を持って一直線に突っ切っていた。
アーユイもまた、屋根を伝い塀を跳び越え、なるべく一直線にその後を追う。
「うわっ!? 何だ!?」
いきなり降ってきた人影に使用人が驚くのも構わず、走った。
やがて、煤は王族の居住区の隅で、竜巻のように高い柱を形作った。人影を襲う直前、透明な結界が竜巻と術者を隔てた。
三十代半ばくらいだろうか。やつれてはいるが気品のある美しさを持つ、アールの伝統服を纏った女だった。襲ってきた竜巻と、突如自分を守るように現れた結界に驚き小刻みに震えながらも、悟ったように歯を食いしばり、返ってきた呪いを見つめていた。
「フィーゴ様!」
古来より、呪いに頼るのは女性のほうが多いとされている。男性よりも非力で立場が弱い者が多く、物理的な手段に出ることが難しいからだ。
「これはまた、大物が釣れたな! いくら
アーユイを抱えた炎神フィーゴが、竜巻に巻き込まれない距離から地上の女を眺める。
「そこをなんとか」
「助けるのか? 唆されたとて、他人を呪い殺そうとした女だぞ? 魔物に成り下がってからのほうが、大義名分を持って始末できるというものだろう?」
人間の営みを長年見てきた戦神は、首を傾げた。同族を殺すことには抵抗があるが、異種族ならば容易く一線を越える。時にはこじつけの理由をつけて、同族を異種族にしてしまうことすらある。
だが、アーユイは首を振った。
「彼女には人間のままでいてもらう必要があります。首謀者を吐いてもらわねばなりません。それに――」
ちらりと、大柄な人間の姿を取っている神を見上げる。
「魔物になってからでは、自分のやらかしたことの大きさが知覚できないでしょう。人間のことは人間同士で解決する。ですよね?」
「はっはっは、つくづく残酷な女だ!」
そう言いながらも、炎神は上機嫌だった。そして空中に向かって呼びかける。
「おい、風の! 見ているんだろう、手伝え!」
すると、突風が竜巻の上半分を削った。
「その呼び方、やめてくれない?」
涼やかな声と共に、淡い緑の髪と衣を風にはためかせるかせる線の細い男神が、空中に現れた。
「まあ、きみやタラッタが気に入るのもわかる。風神フラガノン。ピュクシス神の愛し子に、風の祝福を授けてあげるよ」
フラガノンが腕を振ると、収束しようとした煤が再度霧散する。その間に、残った部分をフィーゴが握りつぶした。更に、
「ふん!」
半量となっていくらか細くなった竜巻に向かって、火球を放った。
「そーれっ」
追撃とばかりに、フラガノンが火球に風を纏わせる。協力技によって生まれた巨大な火柱は、あっけなく煤の竜巻を飲み込んだ。
*****
「初めまして、フラガノン様。急なお願いに、お力添え頂きありがとうございます」
「ん、くるしゅうない!」
アーユイが挨拶すると、屋根の上に降り立った風神は満足そうに胸を張った。
「それじゃ、僕はもう行くね! 風はいつもきみと共にある。面白そうなことには呼んでくれっ」
バチンと気障にウィンクすると、風神は再び突風を伴って消えた。
「さすが風神。速いですね」
「忙しない奴よ」
まさに暴風。風とは爽やかなばかりではない。
「他に手伝うことはないか? 他の煤はもう返ってしまったと思うが、様子を見に行くか?」
一方の炎神は、気に入った者にはひっついていたい性質のようだ。
「私は彼女に用があります。フィーゴ様もお話されますか?」
「いや、
「善処します」
苦笑するアーユイを置いて、じゃあな、と炎神も消えた。
「……さて」
結界を張ったのは、呪いに彼女を襲わせないだけでなく、彼女をその場から逃がさないためでもあった。
「もう一仕事だ」
屋根から軽やかに飛び降り、女の前に立つ。
「貴女は、誰? どうして私を助けたの?」
アール語を話す女に、アーユイは微笑んだ。
「助けたのではありません。……むしろ、私を恨みながら、もっと酷い方法で死ぬことになるかもしれない」
「いいえ、もう、誰も恨まないわ。……男装の綺麗なお嬢さん。少しだけ、身の上話を聞いてくれる?」
「ええ、構いませんよ」
アーユイは、逃げようともしない女の隣に腰を下ろし、あぐらを掻いた。
「……私はね、前皇帝の妾が産んだ子なの。反乱因子として疎まれて、でも皇帝の血を引いているから殺すこともできない。かといって変に知恵をつけられたら困るから、使用人も最低限で、王族らしい教養も与えられなかった。……この生活区ヵら出ることも許されず、腫れ物扱いされて、死ぬことも出来ずに生かされ続けてきた」
ぽつりぽつりと、虚空を見つめて話す女。
「そんな中で、あの子が生まれたの。私とは正反対。みんなに愛されて、望まれて生まれてきたの」
羨ましい。妬ましい。同じ皇帝の娘なのに、どうして私には彼女と同じものが与えられないのか。
「そうしたら、大臣の一人にね、そそのかされたの。そんなに憎いなら殺してしまえばいいって。そいつの手駒にされることもわかっていたけど、もう、どうでもよかった。こんな国、なくなってしまえばいいと思ったの」
その目には光も希望もない。わけもわからないまま呪いに取り殺されるのは、むしろ本望だったのかもしれない。
「そうですか……」
憐憫でもなく同情でもなく、ただ事実を聞き入れるだけの相づち。そして、ふと思いついたように、女のほうを振り向いた。
「ものは相談なんですが、ご婦人。ちょっと今から、そいつに嫌がらせしにいきませんか」
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