11章:エンネア王家
11-1
階段を上がり、長い廊下の果てに、ようやく王の執務室はあった。
部屋に入った途端、アーユイはスン、と鼻を鳴らした。
「どうかした?」
ロウエンが目敏く気付き、首を傾げる。
「いえ……」
どうして、王の執務室から例のかび臭がするのだろう。
「よく来てくれた。楽にしてくれ」
国王は、かびの臭いを気にしている様子はなかった。
「城を改めてくれているそうだな」
オリバーから野性味を抜いたような顔立ちで、ロウエンと同じく憧れの英雄に会った子供の表情をしている国王は、さあさあとソファを勧める。
「勝手なことをして申し訳ございません」
「何、聖女の力を国のために使って貰っているんだ。感謝こそすれ、勝手などとは思わん。……それに、おかげでいくつか暴かれたこともある」
伯爵の謀反、仕入れ先不明の呪い紙。
「それについてですが。陛下、お身体の不調などはございませんか」
「不調? いや、年相応に肩凝りや何かはあるが……」
「そうですか……。まあ、やってみればわかるでしょう」
何の呪いだか知らないが、さっさと見つけたほうがいい。パチンと指を鳴らすと、レンの執務室の時と同じように爽やかな風が吹いた。そして、
「何だ!?」
パン、と壁際のスタンドライトが割れた。更に、机の引き出しの中と、本棚から煤煙。
「うん? おお! 肩が軽くなった!」
「……さすがというか……。お強いですね、国王様ともなると」
三ヶ所から呪われていてもピンピンしているとは。一切効かないアーユイには及ばないが、レンの上を行く呪い耐性だった。
*****
執務室の呪いの後処理を聖堂の呪術研究室の職員たちに任せ、アーユイたちは王太子妃の部屋へ向かう。
「実はこっちが本命なんだよね」
「本命?」
返事を聞く前に、ロウエンは扉をノックした。
「ロウエンです。聖女様をお連れしました」
「入ってくれ」
男性の声が聞こえ、ロウエンが扉を開ける。と、
「うわ」
臭いどころか、目に見えてわかるほどのもくもくとした何かが、部屋中に渦巻いていた。
ヤバそう? と王子が目で訊ね、これはヤバい。と聖女はヴェールの下で眉間に皺を寄せて頷いた。
「お初にお目に掛かります。アーユイでございます」
まずは入り口で一礼。
「ご足労ありがとうございます、聖女様。ロウエンの兄、と言った方が通りがいいでしょうか。ヴィンスと申します」
ロウエンと同じつややかな金髪と緑の目を持つ王太子殿下ヴィンスは、丁寧に挨拶した。穏やかで誠実そうだが、今はかなり無理して微笑みを作っていることがわかる。
「……王太子妃の体調が、よろしくないのですね」
来客にも気付かずベッドで眠っている王太子妃の肌は青白く、痩せて目の下にくまができていた。
「ええ、懐妊を発表するまでは普段通りだったのですが……。急に体調を崩し、ここ一週間ほどは起き上がることもできないような状態で」
ヴィンスは頷いて、ふらふらとベッド脇の椅子へ腰掛け、王太子妃の手を握る。
原因はもはや、この蔓延する呪いの煤しか見当たらなかった。
「早速ですが、失礼いたします」
アーユイ自身、これ以上この空気の悪い場所には居たくない。指を鳴らし、浄化の風でもやを吹き飛ばす。と、ドレッサーの上に置かれた小箱、ベッド脇サイドボードの置物の二ヶ所から、今までで一番の煤煙が吹き上がった。更に、
「きゃああ!!!」
窓の外、王家の居住地の中庭から、女の悲鳴が上がった。
急いで窓へ向かい外を見ると、
「嫌! 来ないで! いやああぁ!!」
複数の従者が倒れ伏す中、もやが凝縮され雲のようになった何かが、腰を抜かしたドレスの女性に襲いかかるところだった。
「フィーゴ様! いけますか!?」
間に合わない。アーユイは窓を開け、いつでも力を貸すと言ってくれた炎神の名を呼んだ。
「おう!」
途端、ゴッ、という短い爆音と共に、もやを炎が握り潰した。女はその場で気を失い、
「あ、ちょっ、聖女様!?」
ためらいなく窓枠を越えて飛び降りたアーユイを、突然現れた燃えさかる髪を持つ男神が受け止めた。
「ナイスキャッチです、フィーゴ様」
「うむ!」
頼られて嬉しいという顔の炎神は、アーユイを丁寧に地上に降ろした。
「ここ三階……。はあ……」
聖女の行動にいちいち驚いていては身が持たない。わかってはいるのだが、ロウエンはため息をついて窓枠にもたれかかった。
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