振袖
増田朋美
振袖
寒い日であった。とにかく風が吹いて寒い日だ。そんな中でも、いつもと変わらないのは、介護とか、医療とかそういうものだ。今日も、何故か製鉄所の利用者は多かった。もしかしたら、お正月に家族が、帰省したりしていると、利用者たちは、辛くなるのかもしれなかった。お正月というのは、決められたレールに乗って生きている人たちだけが幸せで、それ以外のひとにとっては、大変な負担になるのかもしれなかった。そういう辛いことは、なかなか明言されないから、知られていないだけのことであって。
その日、浜島咲が、下村苑子さんのところに弟子入りしている、女性を一人連れて、製鉄所にやってきた。
「あら、はまじさん、今年最後の日まで、どうしたの?」
杉ちゃんが、咲と一緒にやってきた女性を眺めながら言った。
「まあ、取り敢えずあがれ。」
杉ちゃんは、二人を製鉄所の中にいれた。ふたりとも、明日、ショッピングモールで、お琴とフルートを演奏するという。たしかに元旦なので、そのようなイベントが行われても、珍しいことではない。曲は、六段の調であるという。
二人を四畳半に連れていくと、水穂さんがめをさまして、よろよろと布団の上に起きた。
「で、今日は一体どうしたの?また、着物のことで叱られた?」
杉ちゃんが、そういうと、
「そうなのよ。彼女の着物、どこがいけなかったのか、教えてあげてよ。」
と、咲が言った。
「ことのはじめは、この着物で明日の演奏会に出演したいって言ったら、苑子さんが、そんな縁起の悪い柄を着るものではないと、怒ったのよ。」
「はあはあ、わかりましたよ。彼女の着ているお着物は、間違いなく正絹ではあるんだけど、その柄が問題だったようだね。カタバミは、宇喜多直家の家紋でしょ。宇喜多といえば、戦国大名でも、有名な悪役だ。つまり、悪役が、着ているような着物を、おめでたい正月に、着用するのは、まずいという意味で、叱られたんだよ。」
と、杉ちゃんが明るく言った。たしかに彼女は、紺色に黄色でカタバミの花を描いた、一見すると、可愛らしい感じの着物を、着ている。
「たしかに、ヴィランズとされている、戦国大名はいますからね。松永弾正、宇喜多直家、斎藤道三の三人が、有名なヴィランズだったとか。まあ、お祝い事ですから、ヴィランズになっている戦国大名ではなく、豊臣秀吉に、起因する桐紋とか、そちらを身につけると良いのでは?」
水穂さんが、優しくそんなことを言った。
「そうそう、おめでたい日には、悪役の柄ではなく、ヒーロー視されている武将の使用した柄を着るといいよ。着物の柄って、戦国大名に由来する柄は多いけど、その人が、どんな大名だったのか、考えて着用しないと、行けないこともあるよ。」
杉ちゃんも、にこやかにわらってそう言ったが、彼女はとても悲しそうな顔をして、
「そんな、とても気に入って、購入した振袖だったのに!」
といった。
「そうかもしれないけどさ、苑子さんに、叱られた原因は、それしかおもいつかないよ。」
「最近の振袖は、縁起の良くないとされるものであっても、平気で、使ってしまいますからね。」
杉ちゃんと、水穂さんは、相継いで、そういった。
「他に、桐紋とか、葵とか、そういう、縁起のいい柄の振袖はないのか?」
杉ちゃんが、いそいでそう聞くと、
「いえ、ありません。振袖はこれしか持ってないんです。かったときは、全然問題はないっていわれたし、成人式のときも、写真撮影のときも、問題はないって言われました。」
と、彼女は言った。
「振袖は、いくらしたんですか?」
水穂さんが聞くと、
「15万です。まだ安い方だと呉服屋さんが言ってました。」
と、彼女は答える。
「そうなんだね。まあ、いずれにしても、お琴の世界は、成人式の振袖では通用しないこともあるんだ。カタバミの振袖は、悪役武将が使っていた柄だから縁起が悪いんだ。これは、覚えておいて、いまから、別の振袖を買いに行こう。」
と、杉ちゃんがいきなり言った。
「そうよ、それがいいわ。あたし、タクシーお願いするから、杉ちゃん、梅木さんと二人で、買いに行ってきてよ。」
咲は、急いで、岳南タクシーの電話番号に電話した。
「でも、私、また15万も払えない。」
梅木さんがそういうと、
「大丈夫です。振袖は、リサイクルであれば、三千円で買えますから、高くありません。」
と、水穂さんが優しく言った。
「三千円?」
梅木さんは驚いているようであるが、
「そうですよ。だから、大丈夫。気にしないで、買いに行ってください。」
水穂さんは、にこやかに言った。数分後に、タクシーがやってきて、杉ちゃんと梅木さんを乗せて、カールさんの店である、増田呉服店に向かって走っていった。
カールさんの店は、大晦日にも営業していた。いつも、お正月はかきいれどきだといって、カールさんは営業しているのだった。お正月に、着物をほしいという、客は多いのである。
店の前で、タクシーは止まった。杉ちゃんと梅木さんは、店にはいった。入ると、ドアにかけられたコシチャイムが、音を立ててなった。
「はい、いらっしゃいませ。」
カールさんが、二人を出迎えると、
「カールさん、振袖はないかなあ。しかも、桐紋とか、松とか、そういう、縁起の良い柄の振袖だ。」
と、杉ちゃんは聞いた。
「ございますよ。しかし、本振袖でしょうか?それとも、中振袖とか、そういうのかな?」
カールさんがそう聞くと、梅木さんは、困った顔をした。
「本振袖は、足首まで袖があって、中振袖は、膝から足首の間で終わっているのだよ。」
と、杉ちゃんが、いう。
「じゃあ、お琴教室に向いているのはどちらですか?」
と、梅木さんは聞いた。
「どちらも、向いているとおもいますよ。お琴教室でも、大規模な、お教室であれば、本振袖を使ってもいいでしょうし、こじんまりしたお教室なら、中振袖でも良いのではないですか?」
カールさんは、親切にそう言ってくれた。大概の呉服屋は、そんなことも知らないか、とか言うのであるが、カールさんは、そのようなことは言わなかった。
「じゃあ、本振袖のほうが、可愛いのがあるということですか?」
梅木さんがそう言うと、カールさんは、そうですね、といった。
「わかりました。それでは、本振袖にします。」
梅木さんがそういうと、カールさんはわかりましたと言って、何枚か本振袖を出してきてくれた。どれも、菊や松などの、縁起の良い柄ばかりの振袖だ。袖は、梅木さんの身長であれば、ちゃんと足首まで届く長さだ。
「どれも、縁起の良い柄ですからね。お琴教室にも良いのではないでしょうか。」
梅木さんは、どうしようか、迷っているようである。
「これが良いです。」
梅木さんは、一番最後に見せられた、赤い振袖を見て言った。
赤に松や御所車を入れた、縁起の良い柄のものだった。
「了解しました。こちらは、3000円になっております。」
カールさんがそういうと、梅木さんは少し驚いた顔をしたが、
「3000円で大丈夫ですよ。」
カールさんはにこやかにわらった。
梅木さんは、ありがとうございますと言って、3000円を、カールさんに支払った。
「日本の正月が、もうちょい、手軽に迎えられるようになると良いのにな。」
と、杉ちゃんが、いった。
「そうですねえ、たしかに日本の伝統は、お金がかかって、手軽に迎えられない、イメージあります。」
カールさんも苦笑いした。
「着物も、そんなふうに手軽に買えると、いいんですけどね。」
カールさんがまたいうと、杉ちゃんも、そうだなといった。梅木さんは、新しい、というか、美しい振袖を買えて嬉しそうな顔をしていた。
振袖 増田朋美 @masubuchi4996
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます