港町 23 (リャン視点)
リャンが港町まで流されて二月近く経つ。
満身創痍、下手したら命を落としていた状態から、杖を用いながら歩行できるまで回復した。痛みはあるものの腕も自由になった。
不自由な日常。日がな寝台の住人で退屈だったが、女の格好をした弟分が毎日顔を見せに来る。
正直、違和感が強い。リャンの中でリーは『男』なのだ。
「そーいやー。おまえさあ、店はいいの?」
「っ! よくない!」
リーは剣を掴んで勢いよく立ち上がる。
扉に向かって一直線かと思いきや、振り返ってリャンを見る。
話はまだ終わっていないことを気にしているのだろう。
「腹減った。おまえんとこ、飯屋だろ?」
唐突な話の切り替えにリーの目が点になる。
仕事の途中で抜けてきたであろうリーに戻らせる理由を作ってやる。
お転婆だが律儀で真面目な性分であることを知っている。
「……店で何か作ってもらってくるよ」
「頼んだ」
返してやると表情が緩んだ。
背中を見送る。
「手伝う……」
「アンタは俺の相手してよ」
腰を浮かせるリーが連れてきた男を引き留めた。
初対面の人間相手にふたりきりになりたくない気持ちはわかる。
男は視線を彷徨わせ、浮かせた腰を腰掛けに戻した。
「んじゃ、ちょっと行ってくる」
病室にふたりを残して、リーは店へ戻った。
男は所在なげ、というかじっとリーが出て行った扉を見ている。
この時点で嫌な予感しかしない。
リーが友人と紹介した男を盗み見る。
確認したいことがあってリーを追い出し、男を引き留めた。
リャンの視線に気づいた男、スエンは警戒した目でリャンを見た。
「まずは名乗っておこう。リャンだ。あいつの……兄貴みたいなもんだ」
「兄……か。俺はスエンだ。この町の役所に勤めている」
「お役人さんか」
「平民だから、そんなに権限は持ってない。それに今日は非番だ」
今すぐ捕縛する気はない、と言外に告げた。
ガッチリした体格から力自慢の軍人かと思ったが、なかなか頭も切れるようだ。
リーの話によく出てくる口喧しい役人とは、彼のことだろう。
リーは人に好かれる。老若男女問わずに。
初対面で警戒の色を見せていたと思ったら、翌日には往年の友人かのように接している。
大人に可愛がられ、後輩に慕われてきた。
密かに憧れる娘もいた程だ、もちろん異性として。
そんなリーが女の格好をして町中をうろうろしていたら、どれだけの男に目を付けられるか。
先に再会してしまった手前、クロウになんと詫びていいものか、考えたくもない。
冷ややかな金の瞳を思い出し、背筋にゾッと寒気が走った。
「単刀直入に聞く」
「……応」
「あんたは、リーを……女として見ているのか?」
「………………はぁ!?」
しばらくの間の後、素っ頓狂な声を上げた。
そういえば、リンと名乗っていたのだったと思い当たり、瞬時にリーと結びつかなかったのだろう。
顔を赤らめるスエンの反応からして、答えは『是』。
なんともわかりやすい表現だった。
「手ぇ出した?」
「ばっ……! そっ、ンなことするわけねぇだろうっ!!」
見かけによらず純情らしい。
人からの好意に鈍感なリー相手では、彼の片想いは決定的に違いない。始終一緒にいたクロウでさえ手を焼いているのだから。
「なら良かった」
「良かった?」
スエンは怪訝な表情を浮かべリャンを見据える。
もしかしたら、リャンがリーに恋慕していると思っているのかもしれない。
リーを可愛いと思っているが、女として見ているかと聞かれたら、即『否』と答えられる。あくまで『弟』としてだ。
リー以上に可愛い婚約者がいるのだから、間に合っている。浮気する気もない。
「あんたが抱いている望みのない感情は、すぐに捨ててくれ」
「ーーーーなんでおまえにそんなこと言われないといけねぇんだ?」
スエンの眼光が鋭くなった。
苛立ちを隠そうとしないスエンに、リャンは滑稽だと吐き捨てた。
「あれは、クロウ様のものだ。体も心も、命もすべて」
「おまえたちの主人でも、人の生を縛るなら見過ごせねぇな」
「部外者が口を出すな」
クロウとリーの絆は強い。誰であろうと切れはしない。
互いを尊重し寄り添い合う日常も、戯れ合いのような喧嘩も、共闘する姿も、ふたりが一緒にいるのが当たり前すぎて、離れている今が許せない。
主がリーを必要と言うのなら、その願いは必ず叶える。叶えるられるべきだ。
「リーはクロウ様の元に返す。邪魔をするならーー排除する」
「おまえに何の権利が……」
「俺たちの主は神官だ。神官のものに手を出すことは許されない」
「……神官なら、女はいくらでもいるだろう。それに、リンは男として育てられたってンなら、神官はあいつのこと男だと思ってンじゃねぇのか?」
確かに、クロウの妃と目されいる候補の姫がいる。血筋からもその娘が適任だ。
けれど、クロウは選ばない。というか拒否をする。
リーが女と知らない時分は、リャンも娘たちの釣書を見てはクロウを揶揄っていた。
主を尊重する、といっても跡継ぎは必要。クロウが伴侶を迎えることは絶対だ。
性別を偽ることなくリーが女ならば、表面的には問題ないことになる。
何よりクロウがリーを求めている。
反対する理由はない。
「……クロウ様にとって、リーはずっと女、だったと思う」
リーが女ということをクロウが知っていたのは確実。
女に興味がないと思っていたけれど、リー以外に興味がなかったのだ。
子供の頃はひとときも側から離さなかったくらいだ。
依存とも取れる関係性はすんなり納得できる程当たり前の光景。逆に、ふたりが一緒にいない方が落ち着かない。
「二人は、互いが片翼なんだ」
大陸にはいくつもの逸話や寓話があり、中でも有名なもので『比翼の翼人』という物語がある。
今より昔、翼を持つ種族がいた。彼ら翼人(よくじん)は、自分の背丈より大きな翼を操り、自由に空を飛ぶことができた。
とある一人の男の翼人が雷に打たれ、地に落ちてしまう。その衝撃で左の翼が折れてしまい、飛べなくなってしまった。
飛べない翼人は仲間から迫害される。孤独に耐えかねた男は仲間から離れ、新しい仲間を捜した。片翼の翼人は翼人と認められず、歓迎されなかった。
ある日、男は左翼しか持たない女と出会った。女は生まれついての片翼で親に捨てられたと語る。
右の翼しか持たない男と、左の翼しか持たない女。二人の翼があれば空を飛べる。
片翼同士が補い合い、助け合って生きる、という話だ。
男女の翼人のため、現代では仲睦まじい夫婦、または必要不可欠な相手に例えられる。
まさに、クロウとリーは物語の翼人のように、互いを必要としていた。
「それに、クロウ様はリーに赤い石の装飾品を贈っている」
「な、なるほど……?」
赤い装飾品は、神官が愛する女性に贈る求婚の証。
擦った揉んだあった末、結局受けとったらしい赤い石を、リーは大切にしていた。いつだったかクロウが惚気とも取れる調子で言っていた。
では何故、クロウはリーが女であることを隠していたのか。
あれだけ愛情をひけらかせておいて、黙っていたのか。
リャンでさえ勘違いしたままだった。
リー自身も男であろうとしているかのように振る舞っていた。
リオンとチェンは知っていたにしても、公表することはなかった。
神官の妃は家名持ちから選ばれる。
平民のリーはクロウの妃になれない。仮になれたとしても誰にも、特に家名持ちたちには認められない。
それでもクロウはリーを傍に置こうとした。女としてではなく、男として。
突然湧いた疑問に言葉が詰まる。
「それでも」
俯いているスエンの声に、リャンは我に返り、目を細めてスエンの顔を眺めた。
寄っている眉間の皺が、諦めの拒否を表している。
苛立った。
「それでも、俺が気持ちを終わらせる理由にならねぇ」
「…………あっそ」
嘆息で苛立ちを逃がす。
牽制は失敗に終わった。
リーの様子から、クロウが未だ大きな存在であることがわかった。
それにまだスエンの恋情に気づいていないようだ。
勘は良い方なのに、愛だの恋だのが絡むと途端に鈍い。
どれだけ惚れ込んでいるか知らないが、諦めないと言うのだから、リャンが横から何を言っても無駄なのだろう。
玉砕確定の想いをどう消化するかは、スエン次第だ。
「……あいつ、女みたいになっちまったなぁ」
「女だろ?」
「俺にとっては弟なんだよ」
クロウの手を引いて、リャンの後を付いてまわった弟だ。
過去の記憶がある限り、変わらない。
大人になっても変わらない関係でいられると思っていた。思いたかった。
「弟ねぇ。そういやあ。あいつの兄貴ってことは、強ぇんだろ、お前」
「まあ、それなりに自信があるけどぉ?」
生憎怪我の為、自由に振る舞えないが、邑の同年代の中では負け知らずだった。
幼少期から叔父に鍛えられた。魔憑きとの実戦も多い。
リーから聞いたのだろう。どのように伝わっているかは知らないが。
「怪我が治ったらでいい。手合わせしてくれ」
「……気が向いたらな」
きっと、怪我が治ったら、すぐにでも邑に帰るだろう。
手合わせは叶わない。
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