港町 21

朝の掃除を終えたリンは、早々に出前桶を引っ掴んでシャオ老師の診療所に走った。

昨夜は酒場の接客ができないほど大きな精神的負荷が掛かっていた。

一晩一人で考えたが答えが出ない。

クロウのことが気になっているのに身動きが取れない。

不安だけが募って悪い想像しか浮かばなくなっていた。

リンは二年もクロウの側を離れてしまったのだ。

クロウの側にいなくては、と焦りが増幅していることが、また不安の一つだった。

診療室に一人分の料理を置いて、リャンが療養している奥の病室に向かった。

リャンもリンと同じならこの焦燥感をわかってくれる。


病室の戸を開き、そっと中を窺う。

部屋に三つ並んでいる簡易寝台の窓際一番奥で静かに眠っていた。

運び込まれて一月近く経つのに頭と脚、腕、胴に巻かれた包帯はまだ取れていない。

完治までまだ二月は掛かるだろうというのが老師の見立てだった。

痛みはあるものの意識はしっかりしているので、無理をしなければ命に関わるものではないらしいので、ひとまず安心はしている。

リンがすぐ傍まで近づくと、ふっと目を覚まし周囲を見渡した。

リンと目が合うとほうっと気を緩めた。

眠っていても警戒の糸を張ったままだったようだ。


「おはよー、もう昼?」

「まだちょっと早いな」

「んー……なんかあった?」

「これ……持ってみてくれ」

「うん?」


リャンが渡されたのは朱塗りの鞘に収められたリンの愛剣。

自由が利く手で受け取り、持ち上げたり裏返したりと、とりあえず仕掛けがないか探る。


「これが?」

「変な感じしないか?」

「いや、全然。ジジィとオヤジの印があるなーって思ったくらい。そりゃそうなんだけどさー」

「…………同じじゃないのか」

「え、なにが。これ偽物なの!?」

「偽物じゃない。俺のだ」

「えぇー、なになに?」

「何でもない。ひとまず忘れてくれ」


リャンの手から剣を奪い、隣の寝台に置いた。

リャンも同じなら、もどかしい気持ちをわかってもらえたのに。

少しばかりがっかりした。

本当はわかっていた。

同じなら、リャンの怪我はもう治っているはずなのだから。

リャンは訝し気な目で剣を追っていたが、リンが座ったので切り替えるように姿勢を改めた。

ずりずりと這い上がって上体を起こす。

明らかに様子がおかしい弟分から情報を引き出すことを優先した。


「で、何かあったん?」

「ロアン様にお会いした」

「ロアン……リオン様の兄君の?」

「そうだ」


役人の詰所へ出前に行ったら演習に参加させられたこと。

この時点で、何でそうなった!? と突っ込みが入ったがとりあえず無視した。

反射で叫んだ為、肋骨あたりを痛そうにさすっている。

剣技と戟の模擬戦に参加してそれぞれ勝ったこと。

帰ろうとしたらロアンに話しかけられたこと、をかいつまんで話した。


「馬鹿か!? なんで役人に勝っちゃったんだっ!」

「つい……」

「そこは役人に花を持たせてやる所だろっ!」

「強いわけじゃなかったし、隙だらけで。どう、負けていいか……」

「目ぇつけられるだろうがっ!」

「もうつけられてる。だから巻き込まれた」


ついでに少し前に現れた魔憑きのことも話した。

魔憑きの男の家名を口にすると、リャンの表情が一気に険しくなった。


「あの塵共は、性懲りもなく……」

「襲われたから斬っちゃったんだけど」

「いいよもう、自業自得じゃん、あいつら」

「クロウの命令で俺を、探しにきたんだろ?」

「うん。イ家とかト家とか、暇な奴らに捜索させてた。でも、きっとあいつらの目的はお前の首だ」

「行方不明から二年も経ってるのに?」

「クロウ様が『リーが見つかるまで結婚しない』って宣言しちゃったからさあ」

「ーーーー……冗談だろ?」

「いやー、本当に」


普通、魔の森で行方不明になったらもう帰ってこないと諦めるもの。

いくらリンの生命力が人並み外れて強くても、魔に喰われていると考える。

過去何人も魔の森で民を亡くしてきた神官ならわかっているはずだ。

リオンや周囲は止めなかったのだろうか。

邑でのリンは男だ。

いくら神官の発言力が強いからといって、婚期を逃して良いものではない。

リャンが一番止めなくてはいけなかったのではないのだろうか。

クロウがリンを諦めない限り、自身が結婚できない。

リャンたちが自身で決めた制約なのでリンがとやかく言えないが。


「そういうわけなんで、俺の怪我が治ったら速攻で帰るぞ」

「え……?」

「ここから邑までの道のりくらい調べてるだろ」

「あては考えてるけど……」

「あてまで考えて、なんで帰らないの?」

「それは……」


リンは口を噤んだ。

言ったらきっと軽蔑される。

下手したら斬られるだろう。

リャンは腕が立つ。

リンに勝てる見込みは僅かしかない。


「クロウ様が待ってる。てか、俺の為にも帰ろうっ!」

「それはごめん」


おそらくクロウを止めたけれどリャンの制止程度では止まらなかったに違いない。

クロウの発言を撤回できるのはリオン以外いない。

そのリオンが止めなかったのだから、他の誰も止められなかったのだろう。

リオンは何故止めなかったのか引っかかった。


『魔にとって鬼児は天敵で好物なんだよ。ってリオンが言ってた』


リオンは何を知っているのだろう。

クロウを連れて邑を出たのは、大神官からクロウを守る為だ。

クロウにもリンにも優しかったリオンに裏があったと思いたくない。

真実がわからない以上、不安は解消されない。

気持ちは今すぐに帰りたい。

クロウのことになると感情が抑えられない自覚がある。

その所為でいろいろ失敗をしているけれど、悪癖とわかっていても直せない。


「俺は、帰らない」

「はあ!?」

「リャンは帰れ。帰って俺は死んだって伝えてくれ」

「お前……何言ってるのかわかってるのか?」

「わかってる。帰らないのは俺の意思だ」


どんなに不安が胸を占めても、これだけは揺るがない。

クロウの為なら自分の命は二の次。

リンの存在はクロウにとって邪魔でしかない。


「ふざけるな……」


リャンがリンの胸ぐらを乱暴に掴む。

額がつくほど引きつけた。

間近に合った目に怒りが宿っている。

強い瞳に思わず瞼を伏せた。


「クロウ様を裏切る気か」

「そうじゃない」

「自分の役割がわかって言ってんのかっ!」

「だから……森で魔に喰われたって」

「お前はクロウ様に必要とされてンだぞ!」

「……リャン。傷に障る」


怪我をしているというのに強い力が込められている。

押し返そうとしてもがっしり掴まれて引き離せない。


「引きずってでも連れて帰るからな!」

「困る……」

「困ってるのはクロウ様の方だ。何のうのうとこんなところで暮らしてやがる。女だから? 女だからクロウ様の傍にいられない? それとも女の幸せに目覚めて、こんなところで男つくったって言うのか!?」

「ちがっ……そうじゃない」

「じゃあなんだよ!」


リャンの激昂がリンを刺す。

胸ぐらを掴んでいた手を外し、喉元を腕で押さえつけた。

息が詰まりリンの表情が苦しいものに変わった。


「放せ……っ!」

「っぁぐ」


リンはリャンの手を弾き、腕を伸ばしてリャンの喉笛を掴んで寝台に押しつけた。

リャンの頭が寝台に食い込んでいく。

衝動が止められない。


ーーーーバタンッ


「!? 何してンだ!!」


突然開いた扉からスエンが飛び込んできた。

目の前で起こっていることに声を荒げる。

スエンの声でハッとしたリンは、リャンを掴んでいない方の手で、もう片方の腕を押さえつけた。

しかし、片腕は外れない。

じわじわとリャンの首を締め上げている。


「スエン! 俺の剣を取ってくれ!」

「はあ!? そんなことよりそいつから離れろ」

「いいから、取ってくれ。早くっ!」


リンの焦った声にスエンは寝台に横たわっている剣を取った。

片手では鞘から抜きにくいので抜き身で渡してくれる。

受け取ったリンは、リャンを掴んでいる腕を躊躇いなく剣先で傷つけた。

刀身がぼんやり白く輝く。


「おいっ!?」


スエンがぎょっとしている間に、リャンは拘束から抜け、盛大に咳き込んだ。

ぐったりと寝台に横たわり、大きく早く、息を吸い込む。

光る剣とリンの腕を見たリャンはさらに表情を歪めた。

リンが帰りたがらない理由を思い至った。

リンが持つ剣は、クロウの力がわずかに宿っている特別な剣。


「お前……まさか」

「俺は、魔に侵されてる」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る