クロウ 19歳 邑3

邑 5

邑は大陸の西の端にある半島に位置している。

大陸の中心部とは魔の森と海に阻まれ孤立状態。

森はもちろん、海も大変危険だった。

半島の先端は断崖絶壁の崖。足場になるような箇所もない。

降りる事も困難で、ましてや荷を担いで崖を登る事など現実不可能だった。

たとえできたとしても、張り出した崖の下は年中荒れ狂う波が岩肌を打ちつけ、真っ逆さまに落ちれば忽ち揉まれ海の底に飲まれてしまう。


2年前、大嵐がやってきた。

吹き荒れる風と大粒の雨は邑に甚大な被害を出した。

石壁が崩れ、何棟か住居が倒壊した。

半島の先端に雷が落ち、崖の一部が崩れた。

住民の殆どが神殿に避難し、嵐による人的被害は多くなかった。

だが、夜こそ魔の領分。

どんなに強い暴風だろうと、稲妻が落ちても、魔の森は葉一枚落ちることない変わぬ姿を保っていた。

崩れた石壁から魔憑きが邑内に侵入してしまい、人為被害は出た。

嵐の後、より強固な石壁を築き直した。

以降、魔の侵入を許していない。


何もない邑ではあるが、収入源がいくつかある。

魔の森に囲まれ孤立していても、外と繋がりがなければ人は生活できない。

なんせ資源がまったくと言って良い程に乏しい。

自給自足できない邑では食料に香辛料、衣類、金属……いろいろと、一年に数度来る商隊から購入して賄っている。

彼らは商売しにやってくる。対価を支払わなくてはならないのだ。

邑の主な産業の一つに林業がある。

魔の森の木々は自然とは違う理で育っている為、木材としてはとても良質。

魔の森の木の幹や蔓や葉を加工して作る品は名家や富豪が飛びつく高質品として高価取引されているらしい。

幹は木材に、蔓は丈夫な網や織物に、葉は鮮やかな染め物に。

生活必需品の八割は木材や加工品と交換され、賄われていた。


森の木は魔に侵されている。

魔の浸透度は森の深さに比例して強くなっていく傾向がある。

魔は人を拒み、魔に侵食されている森は人を襲う。森の奥に進むのは到底無理な話だ。

比較的、森の端は魔の影響が軽く、立っているだけで人を襲うことはない。

クロウたちは炎で森を焼くことを試みたことがあった。

だが、木が燃えることはなかった。

調べてみると炎を浴びた木から魔が抜けていたのだった。

斧を叩き付けても傷がつくことのない程固い幹が切れ、乱暴に揺らしても落ちない葉が簡単に手折れした。ただの木になっていた。

炎によって焼かれた木は浄化され、魔から解放されると実証された。

不思議な事に、白炎を浴びても朱炎のように焼け跡が残らない。

物理に反する炎は魔のみ燃えたと仮定できる。

しかも、切り株を残しておけば数ヶ月後には魔の影響で再び同じ姿に戻る。無限資源だ。

木は無限にとれるが、クロウの炎には限りがある。

毎日何本も浄化はできない。

神官の炎は、神官の生命そのものなのだから。




魔の森に面した邑の門は三ヶ所。

南区にある林業従事者や採掘者が使用する門、北区と外部の連絡通路に使用される門、神殿の裏にある最も森に近い門。

どの門も常時施錠し厳重に管理されている為、許可なく出入りできない。

神殿の裏手に九人の男が顔を揃えた。

その内、七人が鎧を身に着けている。

普段、魔の森に入る際は二人一組になり、一人が松明と盾、一人が攻撃する武器を手にしている。一人が炎で怯ませ、一人が止めを刺す。

森の奥に入る事は許されておらず、逃げ切れる外壁が見えるところまで。

身軽に動けるように鎧も篭手と胸当てと鐵笠の簡素なもの。

この度は森の奥まで入る為、全身重装備が用意された。


「無茶はするんじゃないよ」

「わかってます」


見送りにきたリオンがクロウの頭を撫でようとする。

クロウは虫でも払うようにリオンの手を叩いた。

子供の頃から事あるごとに撫でていたたが、いつからかこの光景が当たり前になっていた。


「あなたたち。クロウ様に無茶をさせないで下さいよ」

「しっかり見張ってるさ」

「勝手に無茶するのがクロウ様ですけどねぇ」


同じく、リオンに付き合って見送りにきたチェンがルオウたちに釘を刺す。

チェンとルオウは都の神殿付きだった頃からの付き合いなので、態度は互いに気安い。

日頃よりリオンとクロウの無茶ぶりを押さえる同士でもある。


「では、いってきます」

「ご武運を」




暗い森の奥へ足を進める。

また数十歩しか歩いていないのに、日暮れのように暗い。

じっとりと重く湿った空気が、これから先に待つ不安を煽る。

壁が見えなくなる程遠くへは初めての者が多い。

もっとも奥へ入ったことがあるルオウでも、一刻も経たず邑へ戻った。

どんなに勇敢な者でも本能からの恐怖に抗えなかったと語る。

そのルオウが先頭に立ち、獣道を歩く。

生き物などいないはずなのに、人が一人歩ける程度の経路があった。

踏みしめたあとはない。

木の根が絡み合って道ができていた。

まるで奥へと案内をするように。

不気味だが、単純なリーならきっとこれを通る。

宛もなく探しまわるより罠だとわかっていても示す道があるなら道標として利用する。

後悔はし尽くした。何が起きようと対処する覚悟はある。

木の根に躓かないよう慎重に歩いた。

魔はとにかく神官の炎を嫌う。

先頭を行くルオウ、クロウのすぐうしろを歩くリャン、殿の若い兵士が炎の松明を持っている。

歪に歪曲した木が目につく。

魔に侵された森の木が炎を避けようとして道を作っているのかもしれない。

ただの木ではないことが察せられる。


歩いても歩いても景色が変わらない。

あるのは木のみ。

目印らしい目印もない。

同じような種類の木しか生えていないらしく、ぐるぐると同じところを歩いているようだった。

上を見上げても、生い茂った葉が空を遮っており、わずかな光しか届かない。

振り返っても、前方と同じ風景が広がっている。

一本道は何度も曲がりくねり、北なのか南なのかもわからなくなっていた。

どこから来たのかどこへ向かっているのか錯覚させられているようだった。


「クロウ様。先も変わらない様子。一度引き返してみましょう」

「なら、変えるまでだ」


クロウは言うなり、近くの枝を掴み、朱い炎で燃やした。

すると木々は大きくざわめき、小刻みに枝を揺らした。

一本に炎が移ると連動したかのように周囲の木も次々に燃えた。

やがて黒い煤となり、空気に解けて消える。


「この辺りは魔が多いようだ。見ろ、道が変わった。行くぞ」

「は、御意……」


力任せなクロウの解決法に一同唖然とする。

一見、理論派に見えるクロウだが、実のところ脳筋である。

一応考えてはいる。やることに意味はある。ただし、解決方法は力業。

これというのも、考えるより先に体が動いてしまう幼なじみの所為で力業のが早いと学習してしまった。


「こっわぁ……」


クロウのすぐうしろにいたリャンの呟きはばっちり聞こえた。

クロウは冷たい一瞥をやる。


「のんびりしていたら日が暮れる。魔の森で野宿したいのか?」

「まっさかぁ。さっすがクロウ様!」


夜盗はいないだろうけれど魔は常に近くにいる。

常に危険な状態だ。

今だって剣から手を離せない。

睡眠は人が最も無防備になる瞬間。眠ったら最後、一瞬で魔に取り憑かれてしまう。


先程より足一つ分広くなった道を進む。

行き詰まったら燃やして道を作ることを繰り返すと、だんだん葉の色が濃くなっていることに気づいた。

森に入って半日は経っている。

これほど長く魔の森に入っていたのは初めてのこと。

太陽で時間を計ろうにも重なり合う枝葉によって空は見えない。

周囲を照らすものは松明のみ。

明かりがあっても手前より奥はまったく見えない程真っ暗だった。

森の中だというのに空気が重い。ねっとりとした気配がまとわりついているようだ。

魔は人の意識に入り込み気を狂わせる。

四肢の自由を奪い、思考を奪い、命を奪う。

加えて歩き通しで体力も大幅削られていた。


「クロ……さま。お待ちくださ……」

「どうした?」


うしろを歩く兵士の一人がクロウを呼び止める。

振り返ると、兵士が胸を押さえて膝から崩れ落ちていた。

一人ではない。さらにうしろを歩いていた二人も苦しげに踞っている。


「おいっ!」

「くる……しぃ」


皆荒い呼吸を繰り返していて、一人は嘔吐もした。

兵士の近くに朱炎を出すと少し息が落ち着いたがまだ顔色が悪い。

魔の領域に長く居過ぎた所為だ。

神官であるクロウはともかく、リャンとクロウの前を歩いていた若い兵も顔が土気色だった。

倒れないまででも魔の影響を受けていることは明白。

リーを見つける事を優先したクロウの判断が招いた事態にくらりと目眩がおきた。

強い後悔に爪を噛みそうになる。


リーを必ず見つける。

けれど、犠牲を出したいわけではない。

彼らはクロウの強い願いに付き合ってくれた。

彼らを無事に邑へ帰すまでがクロウの責任。

送り出してくれた彼らの家族に申し訳が立たない。


「引きかえ……」

「クロウ様っ!」


撤退するしかない。

遅くなった決断を下したところにルオウの鋭い声が被さった。

何かを発見したような逸る声色に、倒れている兵士たちを二人に任せ、クロウは少し先にいるルオウの元へ急いだ。

ここまでは迷うことのない一本道だった。

だがもう目の前に道がない。茂った草葉の壁になっている。


「どうした?」

「あれを」


ルオウが指しているのは壁の向こう。

茂みの隙間から奥を覗いた。

少し開けた空間にむき出しの土、その中央にまるで墓のように黒い石が鎮座していた。

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