第25話 兄貴……大好き


 【辺獄迷宮】を出てから数日後、僕たちはペリュオン伯爵領内を歩いていた。


 領主、カダベル・ペリュオンへ会いに行くためだ。


 流民の問題は、単純に金で解決するようなものじゃない。一時いっときはそれで彼らを生きながらえさせられるだろうけれど、今後もずっととなると難しい。いくら金があっても足りないだろう。


 それに、これからも流民が増えてくる可能性が高い。となると、彼らが恒久的に安定した生活をしていくためには、問題の根元を断つのが一番の近道だろう。リリムの話を聞いてそう判断した僕は、流民を発生させる原因となっている領主を説得しようと考えた。それがこの問題の最善の解決策だろうからな。


 しかし……


「想像していたより酷い状態だな」


 領内にある村を観察していた僕は、表情を硬くしながらつぶやいた。村人たちは皆、やせて骨ばっていて顔色も悪い。満足に食事ができていないのだろう。栄養が足りていないのは明らかだ。


「何度か、飢饉ききんに瀕した村を訪れたことがあるんだが、それと似たような感じだな」


 なんてことを漏らしつつ眉をひそめながら歩いていると、僕たちのことを村の子供たちが物欲しそうな目で見つめてきた。隣を歩いているリリムがツラそうな顔を向けてくる。


「兄貴、バッグにはまだ食料が残ってるっすよね?」

「……だったら、どうする気だ?」

「あの子たちにあげたいっす」


 瞳を潤ませ、鼻をすすりながら見上げてくる。そんなリリムに、僕は素っ気なく言い放った。


「ダメだ。余計なことをするな」

「ど、どういうことっすか!?」


 リリムが僕の前へ回り込んで抗議してくる。拒否されるなんて微塵みじんも思っていなかったようで、かなり困惑した表情を作っていた。そんなリリムに、僕はわけを説明してやることにした。


「だって、あの子たちに食料を分け与えたところで、それがあの子たちの口に入ることはないもの」

「え!?」


「なんせ、周りの大人たちが食料を奪ってしまうだろうからな」

「なっ!?」


「人間てのは極限まで腹が減ってると倫理観がなくなるんだよ。そうなると、食べ物をめぐって醜い奪い合いが起きる。下手をすると殺し合いにまで発展する。相手が子供だって容赦してくれないだろうな」

「そ、そんな……」


「あの子たちが食べ終わるまで僕が守ってやるっていうのも一つの手だが……いや、やめておいた方がいいか。あとが怖いもんな。みんな空腹で苦しんでいる中で食べ物を口にしたヤツがいたら、当然みんなから恨まれるだろうからな。えげつない暴行を受けそうだ」

「……」


「悲しいことだが、それが現実さ。だから、あの子たちのためにも、むやみに食べ物をあげちゃいけないんだ。分かったな?」

「……うぐっ、わ、分かったっす」


 リリムがポロポロと涙を流しながら唇を噛んでいる。頭では理解できても心では割り切れないんだろうな。それは僕だって同じさ。こんな惨状は見ていて気分のいいものじゃない。なんとかしてやらなきゃな。


 ペリュオン伯爵によく言って聞かせてやらなきゃいけないのはもちろんだが、その前にできることをするべきだな。


 僕は首を後ろに回して、背負っているバッグを一瞥いちべつした。




◆ ◇ ◆




「着いたな」


 ペリュオン伯爵領最大の都市―――ダゴバ。円形の石造りの外壁に囲まれ、川から水を引いた水路が堀としてその壁の周囲を走っている。ここには領主、ペリュオン伯爵の住む居城がある。


「よし、入ろう」

「……」


 リリムに呼びかけ、門へと歩く。けれど、後ろから聞こえてくるはずのリリムの足音がしない。


 振り返ると、何か思いつめたような表情で遠くを見つめていた。


「おい、リリム!」

「はっ! ご、ごめんなさいっす! すぐ行くっす!」

「……」


 通行税を支払って壁の内側へ。すると入るなり、リリムが無理して張り切った声を上げた。


「それじゃあ早速、領主のヤツにガツンと言ってやりに行きましょうっす、兄貴!」

「いや、待て」

「ふぇっ!?」


 鼻息を荒くしてズンズンと進んで行こうとするリリムの首根っこを捕まえる。


「まずは換金所へ行くのが先だ。こんな大荷物を背負ったままずっと歩き続けてきたせいで疲れたよ。早く楽になりたいんだ」

「えっ……そ、そうっすよね。了解っす」


 実はちっとも疲れてなんかいなかったが、金を手に入れる口実がほしかったのでウソをついた。まあ、こういうウソならついてもいいだろう。


 と、自分を納得させつつ目的地を目指す。すると、横に並んで歩いているリリムが不服そうにつぶやいた。


「ここは活気があるっすね。外とは大違いっす」

「そりゃあ、壁の内側に住んでるのは貴族やら豪商やらの富裕層ばかりだろうからな。金も地位も権力もある連中だ。空腹とは無縁だろうな。村人たちにとっては重い税でも、彼らにとっては痛くもかゆくもないだろうし」


「……不公平っすね」

「そうだな。だが、どうしようもないさ。ほら、いつまでもそんなところに突っ立ってるなよ。通行の邪魔だぞ」


 リリムは、物悲しい目で遠くを見つめていた。そっちの方角は、さっきの村があった辺りだろう。やはり、まだあの子供たちのことが気になるようだ。




◆ ◇ ◆




「お待たせしました!」


 換金所の店員が査定の終了を告げる。僕はリリムを待合席に残し、カウンターへ向かった。


「こちらが内訳表です! ご確認いただいて、この金額でよろしければ、こちらの売却証明書にサインをお願いします!」

「………………おおぅ!?」


 そこには、目玉が飛び出そうなほどの金額が記載されていた。大きな城を買えるほどだ。リリムが鑑定してくれていたので、おおよその金額の見当がついていたとはいえ、それでも驚きだ。


 ペンを握る手を震わせつつ、了承のサインをする。やがて、僕の前にずっしりと重みのある革袋が置かれた。中には金貨がぎっしりと詰まっていた。いくつか白金貨も混じっている。白金貨は1枚で金貨100枚分の価値がある。


 初めて見たので、興奮して動悸がなかなか収まらない。僕は何度も深呼吸を繰り返し、冷静さを取り戻してからリリムのもとへ向かった。


「待たせたな」


 と、僕が話しかけたがリリムからの反応はなかった。うわの空で、イスに座ってボーっと遠くを見つめている。おそらく、あの村の子供たちのことを考えているのだろう。僕は、そんなリリムの頭に革袋を落としてやった。


「いたっ! ……あ、兄貴」

「あ、兄貴……じゃないよ、ったく。そんなに、あの村の子たちのことが気になるのか?」

「ふぇ!? ど、どうして分かったんすか!?」

「そりゃ、はっきりしっかり顔に書いてあるからな」


 リリムは驚いて自分の顔をペタペタと触りまくる。その様子がおかしくて噴き出しそうになるが、グッとこらえて言葉を継いだ。


「まったく。そこまで気がかりだっていうんなら、その頭の上にのっかってる金で食料を買って持って行けよ」

「え?」


 リリムが頭上に視線を移動させる。それから革袋を手にとって間もなくして、目の位置を僕の方に戻すと眉間にしわを寄せた。


「でも、兄貴は言ったじゃないっすか? 奪い合いになるから、食べ物をあげちゃいけないって」

「ああ、たしかに言ったな。けれど、それはあの時、食料が少ししか残ってなかったからさ」

「ふみゅ?」


 リリムがコテンッと首を傾げる。


「……あっ、そうか!」


 しかし、すぐに僕の言葉の意味に気づいたようで、みるみる表情を明るくさせていき、弾んだ声を上げた。


「領内の村人みんなに行き渡るくらい大量の食べ物を持って行けば、奪い合いなんて起きないっすもんね!」

「そういうことだ」


「そっかそっか! だから兄貴は、ぜんぜん疲れてなさそうだったのに先に換金所に寄ろうって言ったんすね!」


 あ、そこはバレてたのか。


「なんだぁ、だったら最初からそう説明してくれればいいのに、もーう!」

「いや、もしかしたら換金所にある金が足りなくて売却拒否されるんじゃないかと不安だったんだ。とんでもない金額になるのは分かってたからな。もし金を手に入れられなかったら、期待させた分だけ大きく失望させることになると思ってさ」

「ははぁ~、そこまで考えてたんすか!? さすが兄貴っすね!」

 

 またリリムはキラキラと、夜空に輝く星のような瞳で見つめてくる。僕はフッと相好そうごうを崩すと、リリムを急き立てた。


「ほら、早く行ってこいよ。食料と一緒に、それを運ぶための人手と料理人も雇うのを忘れるなよ」

「了解っす! それじゃあ、このお金を半分こして……」


「まて、その必要はない」

「ふぇ?」


 僕が制止すると、リリムは裏返った声をもらした。そんな彼女に微笑しながら近づくと、頭をポンポンと優しく叩きながら告げてやった。


「全部もっていけよ。食料を買う金が足りなくなったらマズいだろ? この広い領地に村人が何人いると思ってんだよ。それに、山分けしている時間があったら一秒でも早く食べ物を届けてやるべきだろうが。僕の取り分なんて気にしてる場合かよ」


 リリムの、他人を思いやれる優しい心に触発されたせいでカッコつけたくなった僕は、そう言うと彼女の肩をつかんで体を反転させ、背中を押した。


「わっとと!」

「さあ、早く行ってやれ。子供たちが腹を空かせて待ってるぞ」

「………………そ、そうっすね! 行ってくるっす!」


 なにか言いたげに僕と革袋へ交互に視線を送っていたが、やがてリリムは迷いを払うように頭を振った。


「僕は領主と話をつけたら迎えに行く。あの子供たちがいる村で落ち合うことにしよう」

「分かったっす!」


 元気よくそう言うと、リリムは走り出した。しかし、少し進んで止まると、なぜか僕の方へ駆け戻ってきた。


「ん? どうした?」

「あの、その……ちょっと内緒の話をしたいんで、お耳を拝借してもいいっすか?」


 ほっぺたを赤らめて、もじもじしながらリリムが声をひそめる。


「なんだ?」


 僕は腰を落とし、リリムに耳を近づける。彼女の吐息が顔の側面をなでる。その、なんとも言えない感触にくすぐったさを覚えていると、やがてリリムがささやいた。


「兄貴……大好き」



ちゅっ



 その声のすぐ後には、なにか柔らかいものが頬に触れる感覚があった。


「……え?」


 僕がキョトンとしていると、リリムはすぐさまきびすを返して外へ出ていってしまった。僕はほっぺたを押さえながら、数分ほど硬直することになった。

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