第16話 side.ゲビン ②


 その日の夜。


 俺が根城にしてる宿の部屋にズークゥが訪ねてきた。ひでぇ青い顔で、よく見れば小刻みに震えてやがる。俺はその尋常じゃない様子に驚き、問いただした。


「なにがあったんだ!?」

「じ、実は……」


 ズークゥはおもむろに昼間の出来事を語りだした。言葉が途切れ途切れで話が聞き取りづらかったが、我慢強く耳を傾ける。すると、どうやらあのクソガキにやられて逃げ帰ってきたってことが分かった。


「それで、おめおめと引き下がったのか? やられっぱなしで、ヤツの情報を何一つ持ち帰れずに?」


 頭がどんどん熱くなってくる。あっという間に熱は頂点を越え、俺はズークゥの胸ぐらをつかんで引き寄せた。


「ふざけんなよ! 一度見破られたくらいで諦めやがって、この根性無しがっ! 秘密をあばくまで帰ってくんじゃねぇよ! おら、今すぐに行ってこいや!」

「ひぃっ! も、もう勘弁してくれ!」


 俺はズークゥを突き放すように押し出した。すると、ズークゥはよろめいて床に尻もちをつき、そこで頭を抱えてうずくまっちまいやがった。しかも、なにやらわめくように言い訳してきやがった。


「あいつに近づくなんて二度とゴメンだ! あ、あいつは本当にヤバいんだって! 思い返してみればそれがよく分かるぜ! なあ!? たとえ偽物だって分かってても仲間と外見がそっくりなヤツを躊躇ちゅうちょなく刺せるか普通!? ムリだろそんなの! あ、あいつは普通じゃねぇんだよ! 頭のネジが外れてやがる! も、もし、あの後にもう一度ヤツに近づいて、そ、そこでまた正体がバレたりなんかしていたら……俺は……俺は……確実に殺されてた!」


 こいつ……ビビリすぎだろ、ガキ相手に。


 ガタガタと音を立てて震えるズークゥを眺めているうちに、心を占めていた怒りが薄れ、代わりに情けなさが濃くなった。


 こいつとは長い付き合いだ。数々の死線をともにくぐり抜けてきた。お前は凶暴なオーガの群れを相手にしたときでさえ、軽口たたきながらヘラヘラしてたようなヤツだったろうが。


 どうしちまったんだ? お前はいつからこんな腑抜ふぬけになっちまったんだよ?


 俺が静かに憐れみを乗せた視線を送っていると、ズークゥがまた口を開いた。さっきまでとガラリと変わって、その声は低くて小さかった。


「あいつ、笑ってたんだぜ? 俺が自分の血にまみれてもがき苦しんでる姿を見ながら笑ってたんだ」

「あん? 笑ってただぁ?」


「ああ。耳まで裂けるほど口端が大きく吊り上がっててよぉ、新月みてぇに細まった目はゾッとするほど暗くて冷たかった。魂まで凍りつくんじゃねぇかと思ったぜ。あ、あれは人間の顔じゃねぇ」

「は? だったらなんだってんだ?」


「あれは……あれはまるで……」


 ズークゥは一拍の呼吸を挟むと、かすれるような声で答えた。


「悪魔だ」

「あん? なんだって?」


「悪魔だって。小さい頃、おふくろに読んでもらってた絵本に出てきた悪魔とそっくりな顔だったんだ」

「悪魔だぁ?」


「そうだ。あ、あれはきっと悪魔だ。ひ、人の皮をかぶった、あ、悪魔なんだよぉ」


 ……アホか。んなもん、本当にいるわけねぇじゃねぇか。そもそも、その絵本は子供をしつけるために誰かが考えた空想の産物だろうが。

 

「あっ!!!」


 うおっ!? なんだ!? 突然大きな声だしやがって!


「あ、あいつの、右手の……どっかで見たことある刺青いれずみだと思ってたが……あ、あれは……間違いねぇ! ひ、ひぃぃぃぃぃぃ!!!」

「お、おい!?」


 ズークゥの野郎、情けない声で叫びながら立ち上がって駆けだしやがった。慌てて部屋を出ようとする。わけが分からず、俺は無理やり肩をつかんで止めた。


「は、離せ!!! 離してくれ!!!」

「急にどうしたんだよ!?」


「どうしたもこうしたもねぇ!!! あれは本物だ!!! なあゲビン、悪いことは言わねぇ!!! あいつにはもう関わらねぇ方がいい!!! 近くにいたら命がいくつあっても足りねぇからな!!! と、とにかく俺は逃げるぞ!!! リトリオンを出るんだ!!!」


「ちょっ、ちょっと待てよ! お前がいなくなったら、一体だれがあのクソガキの秘密を探るってんだよ!?」

「ゲビン、俺の話を聞いてなかったのか!? だから……ああ、もういい!!! やりたきゃ一人で勝手にやれ!!!」


 ズークゥは強引に俺の手を振りほどくと、扉を開けて一目散に走っていきやがった。俺はただ呆然と、その後ろ姿を眺めていることしかできなかった。

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