第百五十七話 黒渦
俺達が役所を出て少し待てば、ファルド殿達がやってきた。
三人三様の様子だが、マイペースな彼等も流石に焦りの色がその表情に浮き出ていた。
ルーファス隊長は、こちらで得た情報とファルド殿達から得た情報を擦り合わせ、状況を整理し話し始めた。
「――成程。やはり事態は深刻なところまで動いている様ですね」
ルーファス隊長も冷静さこそ失わないものの、表情は険しい。
「私なりに説明します。ウェスティン商会を襲撃したのは、『黒き風』でしょう。彼等なら、紅の黎明専用フロアの存在も知っていてもおかしくはありません」
「黒き風って……。スティルナ団長とネイヴィス・ヘイズゲルトは協定を結んだ仲ッスよね!? そいつが、なんだってこんな……!!」
「そのネイヴィスが、大地の起源者を殺害したようなのです」
ルーファス隊長が言えば、全員が息を呑んだ。
驚愕に刹那の沈黙が流れるが、次に出たのは悲痛な怒号だった。
「嘘だ!! アーレスの異能者如きが、起源者であるグスタフに打ち勝てる訳が無い! 眷属体の身とはいえ、我々は四大起源と呼ばれた存在です! それが殺される、訳が……!!」
大きな手振りでイドラ殿は、ルーファス隊長の言葉を受け入れられず、激しく動揺した。
「この話はグスタフさんの奥様から聞いた話です。おそらくは、彼女を人質に取り、ネイヴィスがグスタフさんを殺害したのでしょう」
「奥、様? そんな人間の真似事なんかをした結果がこれですかグスタフ……!」
「悔やんでも悔やみきれません。もう少し早くファーランドに来れていたら」
「違う! そんな事では無い! 我々は眷属体の身が滅びた所で本体が死ぬ事は無いのです。つまり、グスタフの生命体としての生命はまだある。きっと今は、テラリスの本体に意識を戻している。だが……眷属体とはいえ、我々の意識は本体と起源紋との楔になっている。
これでは……テラリスの四象封印に亀裂が入る可能性が……!」
俺にはイドラ殿の言葉が良くわからなかった。それは、ルーファス隊長達も同じようだ。
気にはなるが、ルーファス隊長はイドラ殿を諭した。
「あなた方起源者の問題や、テラリスの事象はよく分かりませんが、今はこの場の問題に区切りをつけ、ネイヴィス達よりも早く火の起源者に接触する事が先でしょう」
ルーファス隊長の言葉に、イドラ殿はそれでも焦燥を抑えきれず、瞳が揺れていた。
「分かっています。分かってはいますが……!」
イドラ殿は冷静になろうとしているのは分かるが、かなり動揺している。
理知的な方だと思っていたが……それ程に、そのテラリスで起きている事が切実なのだろうか。
「ファルド。貴方はこのファーランドに残って、ベルメティオさん達からの補給部隊の充員を待ちなさい。そして、役所にいるグスタフさんの奥様であったウェンティア・アウローラさんとその家族の保護を伝えてください。私の方から彼女の護衛の為に、団員を数名寄越してもらうよう伝えますので」
「了解。その後、単独で隊長達を追いますわ」
ルーファス隊長の指示にファルド殿が応じ、ルーファス隊長はそれに頷いた。
二人の信頼の強さが伺えるが、人材の割り振りとしても適当だろう。
「イドラ。火の起源者はオルディネル山に居るのでしたね?」
「え、ええ」
「――。とにかく行きましょう。少し気になる事もあるので行きながらお話します」
「オルディネル山には、ザルカヴァーの国営鉄道で丸一日……。黒き風が一昨日ファーランドを出たというのであれば、我々は二日も敵より遅れている事になるのか……!」
俺の言葉にルーファス隊長は神妙に頷いた。
「一先ず鉄道を使うより、車を調達します。幸い、私とファルドはこの辺りの土地勘があるので、鉄道よりも早く着ける筈です」
普段はそりの合わないイドラ殿もルーファス隊長の言葉に従った。
「私は車を手配してくる。物資の確保はヴェンダー。あなたがして」
シグレ殿は車の調達を引き受けると、俺に指示を出した。
「了解しました」
ルーファス隊長に目配せをすると、無言で頷き、俺は食料と燃料の確保に向かった。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
「――大丈夫ですか。イドラ殿」
「ええ……」
移動中の車中で、隣に座るイドラ殿に声を掛ければ、イドラ殿は難しい表情のまま返事をした。
先程の四象封印とやらの事がきになっているのだろうか? それがなんの事か聞いてみたものの、「今、貴方方に話しても絶対に解決する事はできない事です」と言われ、それ以上の言及はできなかった。
仲間として信頼して欲しい気持ちが無いわけではないが、俺は自分の実力でアリア殿と同じ四大起源と呼ばれるイドラ殿の悩みを救えるとは思えなかった。
思わぬところが無いわけではないが、今の俺では現状への対処で精一杯だ。
――いや、相手が紅の黎明にも引けを取らない高位傭兵団なのならば、その対処すらままなるか自信は無い。
ルーファス隊長を始めとした他のメンバーが、黒き風に引けを取るとは思えないが、自分は別だ。
足手まといにだけはなりたくないと考えているが、今の俺にできる事はそう多くは無いのだ。
「火の起源者は、オルディネル山のどの辺りに居るか分かりますか?」
運転しているルーファス隊長が、バックミラー越しにイドラ殿に視線を送った。
その視線に気付いたイドラ殿は、口の端をきゅっと結んだあと、軽く瞑目し瞑想しているかのようになった。
「――シャルの起源力は、中間よりは下……三合目辺りでしょうか。その辺りで感じます」
イドラ殿の言葉に、ルーファス隊長は視線を鋭くした。
「車で行けるのは二合目までです。それより上となると、徒歩での移動が必要な上、険しい山道を登ることになります」
「二合目からの移動距離は、どのくらいですか?」
「大凡二千メテル。そう簡単に登れる距離ではありません」
ということは、黒き風の者達もまだ火の起源者と接近していない可能性もある。
しかも、こちらには互いの存在を感じ取れるイドラ殿も居るのだ。もしかすれば、まだ逆転の目はあるかもしれない。
オルディネル山自体は、遠く離れたここからでも見えている。このアーレス最大の山でであり、標高は二万メテルを超え、山頂は宇宙空間にまで至っている。
今、火の起源者がいるであろう三合目付近ですら、人が住むことなど到底出来ないような環境だ。何故、そんな所に居るのか疑問に尽きないが、今回に関しては簡単に辿り着けないところにいるのが幸いしたのかもしれない。
「二合目に至れれば、私の起源術で全員をシャルのところまで飛ばせると思います」
「それは助かりますね」
飛ばすとは、文字通りの意味だろうか。もし、そうならば体力も温存できるし、険しい山道もショートカットできる事になる。それに、広大なオルディネル山のどこに火の起源者が居るか分かるイドラ殿が最短で導いてくれるのであれば、アドバンテージとしては相当に有利になる。
「でも多分、戦闘になるよね。
助手席のシグレ殿の表情は見えないが、声色は普段の淡々としたものと比べて、重く感じる。
「きっと大丈夫ですよ。私も弱くはありませんし、貴方達も居ます。なんとかしてみせますよ。きっとね」
ルーファス隊長の言葉には力を感じる。かつての最強とはいえ、ルーファス隊長の実力は俺から見てもとてつもないものだ。
模擬戦くらいしか見ていないが、はっきり言って底が見えない。いつも、「ここまでにしましょう」と言って、決着をぼかしているが、その過程で本気になっているとはとても思えない。
俺から見ても、リノン殿やアリア殿から感じる圧倒的な力量から来る雰囲気と大差無いように思える。
ルーファス隊長に確実に勝てるだろうと思わされるのは、皇都で戦う背をみたサフィリア団長くらいだろうとすら思う。
そのルーファス隊長に、シグレ殿やイドラ殿も居る。後詰めにファルド殿も来る。助けになるかは自信がないが、俺も居る。
――だから、きっと大丈夫だ。
そう思いながらも、小さな不安はまるで渦の端に、だが確実に流れに呑まれ始めたような、そんな不安を感じる。
「……」
まだ遠く、しかしその巨大な姿を既に見せるオルディネル山を見据えながら、俺は不安に震える拳を、強く握りしめていた。
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