第百五十六話 驚天動地



 ――夫、


 過去形で語られた言葉に、様々な可能性を考えてしまい、続く言葉が自分の喉からは、詰まったようにして口まで届く事は無かった。


「す、すみません」


 ウェンティアさんは、俺に謝りを入れると、アイスティを差し出してきた。


「い、いえ、こちらこそ――! そ、その、申し訳無いっ」


 俺は、アイスティを受け取ると逃げるようにして、窓側の席へと脚を進めた。

 自分の対人スキルの低さに絶望すると同時に、両肩にずっしりと自己嫌悪と罪悪感がのしかかった。


 (ああいう時、ルーファス隊長ならどうしただろうか。)


 考えては見るものの、そもそも俺はルーファス隊長の様には考えられないし、それができればとっくにしているのだと気が付き、窓の外を眺めながら大きく溜め息をついた。


「あ、あの――」


 掛けられた声に、俺はびくりと肩が上がり、そちらに向き直れば、やはりというべきか、声の主はウェンティアさんだった。

 謝らなければ……! その一心だった。


「さ、先程は、突じぇん無礼な事を――!」


 ま、まずい! 変な所で噛んだっ!? 俺の方を見てウェンティアさんも、ちょっと驚いているぞ。


「その――先程は突然無礼な事を」


 言い直した俺はウェンティアさんの顔を見て話す事は出来なかった。


「ふ、ふふ。いえ、お気になさらないで下さい」


 少し笑われたようだが、どうにか俺の詫びを受け入れてくれたようだ。


「そ、それで――なにか、御用でしたか?」


 俺は少しどもりながらも、ウェンティアさんがカウンターを空けてまでやって来た理由を聞いた。


「その、夫の事を、知っていられたようでしたので」


 ウェンティアさんは、トレーを抱きながら目を伏せていた。彼女もまた、夫だった人が何かに巻き込まれているのではと、気掛かりなのだろう。


「――俺は、紅の黎明という傭兵団に所属している、ヴェンダー・ジーンという者です。此の度は、グスタフ・アウグストゥス・アウローラ殿に危険が迫っている為、我々による保護、及び同行を願おうと、このファーランドに参りました」


 俺の説明に、ウェンティアさんの表情に影がさした。


「紅の黎明……。世界最高とも言われるあの……?」


 小声で、反芻するように吐き出されたその言葉は、震えていた。


「もう少し、早く来てくれていたら――」


「ウェンティアさん?」


「あの人は、死なずに済んだかもしれなかったのに」


「え――?」



△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△



「ヴェンダー君、お待たせしました。おや、そちらの方は?」


「ルーファス隊長……彼女は」


 ルーファス隊長が、俺の対面で泣き崩れるウェンティアさんを見て怪訝そうな顔をした。


「彼女は、グスタフ殿の奥方――だったそうです」


「なんですって――」


 刹那、ルーファス隊長の通信端末が鳴動した。


「失礼。――ファルドですか。なにか分かりましたか?」

 

 ルーファス隊長は通信を外部に聞こえるようにすると、ファルド殿の声が聞こえてきた。


『隊長! なにかもクソもないっすよ! 今、ウェスティン商会の団員専用フロアに来たら、補給部隊の連中、全員殺されてやがった!! クソ、どういう事だよ!?』


「――ッ。先ずは、落ち着きなさい。とにかく本部のベルメティオさんに連絡し、対応をお願いしてください。こちらでなにか分かれば、逐一そちらに報告すると」


『あぁ、ああ……クソッ!』


「上層フロアの方には問題はありませんか?」


『上は、別の世界かっていうくらい平和ッスよ。何がどうなってんだか』


 以前に聞いたことがあるが、商会の上層フロア――つまり、一般の方が買い物で利用するフロアは、雇用形態も一般の方から募る為、店舗スタッフも、店長を除いて紅の黎明の団員専用フロアがある事は知らないらしい。


「店長の安否だけ確認して、再度ベルメティオさんに連絡後、こちらに合流してください。こちらもまだ役所ですが――もう少し、掛かりそうなのでね」


 ちらりと、ウェンティアさんを見やり、ルーファス隊長はファルド殿にそう指示を出した。


『了解ッス』


 ルーファス隊長は通信を切ると、俺の方に向き直った。


「ルーファス隊長。事態は理解しました。ですが、彼女の話を聞いていただきたい……!」


「ええ、ファルドと通信をしていたときに、彼女のネームプレートが見えました。どうやら、話を聞かなければいけないようですね」


 ルーファス隊長はウェンティアさんの隣に掛けると、彼女に声を掛けた。


「ウェンティア・アウローラさん。私は、紅の黎明第二部隊部隊長、ルーファス・ラインアークです。

 ヴェンダー君から事情を聞いたかもしれませんが、我々は場合によっては貴方も保護しなければいけなくなったかもしれません。

 ですので、話していただけますか? あなたと、あなたの旦那様の事を」


 ルーファス隊長の言葉に、ウェンティアさんは顔を上げた。

 未だ、その肩は震え、瞳は潤んでいる。だが、なにか意を決したかウェンティアさんの瞳に強い意思が宿ったように思えた。


「分かりました。ルーファスさん、ヴェンダーさんには先程、少し話しましたが、夫は……グスタフは殺されました」


「それは、いつの事ですか」


 間を置かず、ルーファス隊長は質問をする。ウェンティアさんの精神が落ち着いているうちに少しでも情報を、というのは分かるが、ウェンティアさんにとっては悲痛な記憶のリフレインになる。


「一昨日の事でした。夜に突然男が訪ねてきて、私が玄関先に出たのですが、ドアを開けた途端、私は気を失ってしまいました。

 その後、目を覚ますと、私は家のソファで眠っていたようでした。私が目を覚ますと、家の中にあの時訪ねてきた男が居て、私にこういったんです」


『よう、目が覚めたかい』


『貴方は誰!? 夫は? 夫に何かしたんですか?』


『何か? あぁ、俺は変に希望を持たせるのは嫌でねぇ。悪いんだが、あんたの旦那はもうこの世にゃ居ねぇよ』


『それって――どういう』


『俺が、殺したって言った方が良かったか? とにかく、そういう事だ』


「男はそう言うと、私に彼の身に付けていた結婚指輪を握らせました。そして――」


『あんたは、しばらく何事も無かったかのように仕事や生活を続けろ。それができなけりゃ、あんたの実家の親御さんも殺す』


「そう脅すと、男は去っていきました。私が何かしたのかと叫びましたが、答えは返ってきませんでした」


 ウェンティアさんは、震える声でそう話してくれた。


「おそらくは、その男が事態の発覚を遅らせようとしたのでしょう。役所の知り合いに話を聞きましたが、有用な情報は何もなかった」


「しかし、起源者であるグスタフ殿を殺める事ができる者とは一体――」


 ルーファス隊長は、そこで何か思ったのか、通信端末を操作し、そこに写った写真をウェンティアさんに見せた。


「その男というのは……この男ではありませんか?」


 写真を見たウェンティアさんの瞳が開かれる。


「――はい。この人で間違いありません」


「やはり……」


 ルーファス隊長はウェンティアさんの答えを聞いて、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「それは、誰なのですか?」


「……ヴェンダー君たちの世代では知らない者もいるかもしれませんが、この男はネイヴィス・ヘイズゲルト。高位傭兵団『黒き風』の団長にして、かつては、世界最強と呼ばれた男です」


「世界、最強……」


 世界最強と聞けば、真っ先に思いつくのは、やはりリノン殿の母君のサフィリア・フォルネージュ。『灰燼』の二つ名を持つその力は、実際に俺も目にしていて、世界最強の名は伊達では無い事も知っている。

 となると、サフィリア団長がそう呼ばれる以前の話……大凡、二十年近く昔ということになる。


「ネイヴィスであれば、起源者……アリアさんと同等の力を持っていたとしても、グスタフさんを手に掛ける事は可能かもしれない。いや――寧ろ、彼以外にそんな事ができる者等居ない」


「ルーファス隊長。ファルド殿からの話も、それに噛んでいるとすれば……」


「そう考えるのが自然です……ですが、ネイヴィスはスティルナ団長と朋友の関係にあったはずです。紅の黎明と敵対してまでそんな事をする理由とメリットが彼等にある筈が無い……いや、そうか。そういう事か」


「ルーファス隊長?」


「ヴェンダー君、事態は思ったより深刻で、我々の考えていた以上に速く進んでいたのかもしれません。

 おそらく、『黒き風』――そしてネイヴィス・ヘイズゲルトは、戯神と手を組んでいる」


 ルーファス隊長の推測に、俺は背筋に嫌なものが奔る。


「戯……神」


 あのガレオン殿やサフィリア団長、そしてリノン殿を奪ったあの者が、かつて世界最強と呼ばれた男と手を組んでいる?

 となると、戦力的に、今の紅の黎明われわれは、戯神の側に勝てない可能性もあるのではないか? もし……もしそうなのだとしたら、残りの火の起源者だけは、絶対に奪われるわけにはいかない。

 向こうのチームは、絶対にリノン殿を取り戻してくれるはずだ。だが、だがそれでも……。


「ウェンティアさん。我々の到着が遅れた事、大変申し訳無く思います。その結果、グスタフさんを失う結果になってしまった事は謝りきれません。

 貴方と、親族の方々は、事が落ち着くまで紅の黎明が保護しますので、その点についてはご安心を」


「――はい」


 ルーファス隊長がウェンティアさんとそう話すと、ウェンティアさんは立ち上がった。


「必ず――必ず、あの男を殺して下さい」


 その目には、怒りと、悲しみと、絶望に彩られていた。

 まるで、負の全てが溜まる深淵の渦の様に。

 

 

  


 


 

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