第百五十四話 オールド・ファッションド
大陸横断鉄道に乗り込んで、早二日。ザルカヴァーの領内にはとっくに入る事ができていた。
だが、ザルカヴァーは広大な領土を持つ大国である為、四大起源の一人が居ると言われている首都『ファーランド』に到着するまでには、ここからさらに二日を要する。
鉄道に乗り初めの頃は、車窓を流れてゆく風景の変化や、ファルド殿達の掛け合いで退屈しなそうだと思ったものの、この中で一番弱いのは俺という事もあり、自分の中の訓練の虫が騒ぎ出し始めた。
この閉塞された空間で出来ることは少ない。だが、次に停車するアルラック市では、貨物の運搬が行われる為、半日の停車が予定されていた。
(その時まで、ろくに訓練は出来ないか)
「……」
俺は指で銃の形を作り、車窓の外に向ける。
集中し、視線の先でゆっくりと流れていく大樹へと弾丸を撃ち込むイメージで、中指で作った引き金を引く。
(バン! ――なんてな)
「おや、何をしているんです?」
「ふぉおっ!?」
耳元で突然何者かに話し掛けられ、俺は耳朶をくすぐる声音と驚きに軽く飛び上がる。
激しく鼓動を早めた胸を落ち着かせ振り向けば、見目麗しい金色の長髪を束ねた青年――ルーファス・ラインアーク部隊長が、微笑みながら俺を眺めていた。
「ルーファス隊長。……これは、お恥ずかしい所を」
俺は奇声をあげたことと、子供の様な手遊びをしていた事が気恥ずかしくなり、つい視線を外したまま頭を下げた。
「いやぁ、驚かせたのは私の方です。私の方こそ謝るべきでしょう。申し訳無い」
そう言うルーファス隊長は、微笑みを崩さずに俺の肩に手を置いた。
「とんでもない。お気になさらないでください」
俺は申し訳無くなり、諸手を上げて軽く仰け反ると、ルーファス隊長は、一歩引いた。
「では、お詫び――と言う訳では無いですが、一杯奢りましょう。どうです? 付き合いませんか?」
酒――か。そういえばあの人も、酒が好きだったな。
「ありがとうございます」
軽く頷くと、ルーファス隊長は俺をいざなって、バーのある車両へと歩き出した。
「で、さっきは何をしていたんですか?」
最初、驚かされた時の質問を再度され、俺は「あぁ……」と口を淀ませた。
「俺は、このチームの中では最も浅学かつ、非才の身です。そのうえ経験も浅い。
ですから、少しでも訓練をして、足を引っ張らないようにしたい――ですが、この列車の中で出来ることは限られていますから、なんというか……悶々としまして」
「それで指鉄砲で大樹を撃っていた訳ですね」
「は、はぁ」
にこにこと、俺を見るルーファス隊長は何故か嬉しげな様子だ。
「この席にしましょう。さ、ヴェンダー君。何を呑みますか?」
スマートにバーテンダーから、メニューを貰い、こなれた様子で俺にメニューを渡してくる。
モテるだろうな……この人は。等と思いながら、俺はメニューに目を通す。
(な、何が何やら分からん……)
カクテル等は小洒落た名前で、どんなものか想像もつかない。かと言って、蒸溜酒の類も、見たことの無い銘柄ばかりで特徴が分からない。
俺はワインは苦手としていて、普段飲むとしたらビールなのだが、先程食事をとったばかりで、ビールが入る程の腹の隙間は無い……。
「うーむ……。見慣れないものばかりで、悩みますね」
「では、ここは私がお薦めをしましょう。――マスター。彼にオールド・ファッションドを。私には、貴腐ワインをいただけますか」
「かしこまりました」
見かねたルーファス隊長が、これまたスマートに注文をしてくれた。
だが、オールド・ファッションドとはなんだ……? メニューを見ればカクテルの欄にその名前があるが。
「ヴェンダー君は、普段はあまり酒は飲まない方ですか?」
傍らのルーファス隊長に聞かれ、俺は頬を掻く。
「お恥ずかしながら、普段はビールくらいしか呑まないもので」
「なるほど。お腹いっぱいということですか。まぁ、先程食事をとったばかりですしね」
俺は軽く頷きながら、問い返す。
「オールド・ファッションドというのは、どのような酒なのですか?」
「まぁ、来てのお楽しみです。――ほら、バーの楽しみの一つです。ヴェンダー君も見てください」
ルーファス隊長は、バーテンダーの方へ視線を送りながらそう言うと、バーテンダーはグラスに角砂糖を一つ入れ、そこに何か液体を一滴垂らした。そして、そこに透明度の高いまるでクリスタルの様な氷を入れ、その氷をマドラーでくるくると回した。パフォーマンスかとも思ったが、グラスをよく見れば、その行為はグラスを冷やす事が目的だったと分かった。
更にそこに琥珀色に輝く蒸溜酒を注ぎ、細長く切られた生のオレンジと、砂糖漬けにされたオレンジの皮を一枚ずつ飾り付けると、マドラーと共に俺の前に出された。
「オールド・ファッションドでございます」
丁寧な仕草でコースターの上に置かれたそれは、見た目も華やかで、まるで芸術作品の様な美しさも感じさせる。
俺が目の前のオールド・ファッションドに見とれていると、ルーファス隊長にも貴腐ワインが提供された。
「では、我々の行く末に」
「あ、ご馳走様です」
グラスは合わせずに、視線を合わせると、ルーファス隊長は形の良い唇をワイングラスに付け、グラスを傾けた。
中の液体は少し色の濃いゴールドと言った感じで、どのような味がするのかは分からないが、ルーファス隊長はそれを口に含み、時間をかけて嚥下すると、満足気に息を吐き、香りの余韻を楽しんでいるようだ。
「おや? 飲まないのですか?」
「いや、どう飲んだら良いものかと……」
俺はマドラーで、手元のオールド・ファッションドをぐるぐると混ぜようとして、ルーファス隊長に止められた。
「ストップ」
何か粗相をしたかと、マドラーを触る手を止める。
「先ずはそのまま飲んでみて下さい」
俺は言われるがままに、そのままグラスの中の液体を口に含んだ。
最初に感じたのは、煎られたナッツのような香ばしい香り、そしてキャラメルのようなふんわりとした甘さだ。そしてグラスの中の柑橘の爽やかな香りが鼻に入り、次に少しの苦みが舌を抜け、喉に熱が帯びた。
「これは……なんと複雑な……」
こんなにも、様々な味や風味を一杯で感じられる飲み物があるのか。
すべての個性が余すことなく、五感にしっかりと主張をして来て、尚且つそれらがお互いを殺す事なく複雑に絡み合っている。
「では、次は中の砂糖をマドラーで少し溶かして見ましょうか。それとオレンジ潰してみてください」
俺は、ルーファス隊長に言われた通り、マドラーで砂糖を溶かし、オレンジを潰してみた。
「おぉ……」
先程までよりも、爽やかな香りが増している。なんとも甘く華やかな香りだろうか。
「いただきます」
これは――本当にさっきまでと同じ酒なのか? フレッシュで濃厚な果実味と共に、ドライフルーツの様な濃縮された甘みも感じる……それに、飲み込んだあとの苦みが先程までよりも薄い? だが、下の上に残る甘みと苦みが絶妙だ。
「では最後に、砂糖漬けのピールを食べながら飲んでみましょうか」
ルーファス隊長の言葉に俺は目を見開く。
まだ、顔を変えるというのか? このオールド・ファッションドは。
俺は砂糖漬けのオレンジピールを口に含み、何度か噛むと、強い甘みとほんのりとした苦みが口の中に満たされた。そこにオールド・ファッションドを口の中で混ぜると――何故だ? 先程あれ程に甘く感じたこの飲み物が、酸味と苦みが強く感じられた。
どこか焦がした木の様な香りと、強いが鋭くなく、丸い酸味と、ぼんやりとした苦み。
なんとも言えぬ、大人の味とでも言うのか、形容しがたく複雑な味だ。
しかし――。
「美味い」
色々な飲み方をしても、結局はすべて美味かった。ルーファス隊長はどこか満足気に、にこりと笑った。
「美味しいでしょう? 様々な強い個性が、そのグラスの中で秀逸に共存している。そして、どの個性を引き立てる様にしても、それは周りの個性は短所にはしない」
その通りだった。素材のチームワークが良いとでも言うべきか――と、思案して俺はハッとした。
「ふふ。感がいいですね。敢えては言いませんが、ね。それが
「……ありがとうございます」
――ルーファス隊長は、今回のチームをカクテルで例えたのだ。
強力な近接戦闘能力を持つシグレ殿や、恐ろしいほどの狙撃能力を持つファルド殿、四大起源の一人であるイドラ殿に、万能の傭兵とでも言うべきルーファス隊長。そして、狙撃しか取り柄の無い俺。
この個性をすべて活かしきれるチームワークを誇るのが、紅の黎明という傭兵団なのだと。
それに確かに、この人なら……ルーファス隊長なら、俺達を統率し纏めあげることが出来ると思わされる。
――いつか、いつかでいい。俺もこの人の領域へ上がりたい。
こんなに人に憧れたのは、あの人――ガレオン殿以来だろうか。
「さて、あまり氷が溶けないうちに飲んでください。氷の入った酒と良い女はあまり待ってはくれませんからね」
「はは……」
気障だな。と思いつつも、だが、この人だから許されるのだろうなと考えながら、俺はグラスに残った酒を呷る。
「うん……美味い」
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