第百五十話 吐き出したその命は
「頼む……こいつを、ミエルをなんとかしてやってくれ……!」
「分かってる……! 分かってるけど……!!」
今にも泣き出しそうに懇願しながら、ヨハンさんが私の肩を揺する。焦燥と悲哀が恐ろしい程に伝わってくる。こんなに動揺を顕にしたヨハンさんは初めて見た。
それに、私だって救いたい――! ミエルさんの事は、私だって尊敬しているのだから。
でも――!
「私の力では、これ以上は――」
私とシオンが、飛空艇から戻ってきたアリアと合流してから、ヨハンさんとミエルさんのいる場所に駆けつけた時には、もうミエルさんの意識は朦朧としていた。
ただ、私に、『これが、サフィリア団長の焔……』と伝えると、息絶えるように意識を失ったのだ。
ミエルさんから渡された紫紺の焔は、正に皇都での戦いの時に、母様が最後の魂の一片までその焔と化したかの様な、あの時の焔と同じだった。
だがそれよりも、まず先にミエルさんの治療を優先するべきなのは明白だった。
極度な力の消耗のせいか、先程までのミエルさんの姿とは比べられぬほどに痩せこけ、群青に近い色味だった艷やかな青髪も、今は老婆の様に真っ白に変化していた。
開いた眼からも、光が失われたかの様に虚ろで、一体何によってこんな状態になったのかは想像もつかない。
戯神によるなんらかの攻撃を受けた影響なのか、ミエルさん自身の消耗なのか。
まるで、
それでも、父様の失われていた両の脚すら取り戻した、生命の起源の力ならば、なんとかなるだろうと。それは、私自身を含んだこの場の誰もが同じ気持ちを抱いていた。
――だがそれでも、未だあの明るく朗らかな笑顔が返っては来ない。
(――私の
白銀癒光を発現したときの様に、起源紋が別の力を教えてくれる様な感覚も無い。私に出来る事は、これ以上無いのだろうか――。
「――リノン。少し、起源術の発動を緩めて貰えますか? この状態は、なにか不自然だ」
アリアの言葉に、私は首だけで振り返りアリアに顔を向ける。
治療を続ける私と、ミエルさんの体温を少しでも失わせない為なのか、ミエルさんの手を握りしめたヨハンさんを見下ろしたアリアは、この状況になにか違和を覚えたようだ。
「なにか、分かりそうなの?」
「分かりません……ですが、この中で一番力の制御に長けているのは私でしょう。
起源紋を失ったこの身とて、どのような力が作用しているかは看破する事が出来るかもしれません」
白銀癒光による効果は、これ以上状況の変化を起こす可能性は低いかもしれない。
少なくとも、肉体的に治癒を施せば治る現象では無いと言う事なのだ。事実、ミエルさんの肉体的消耗は改善した。退色した髪や、痩せこけた身体は戻せなかったが、血流や身体活動に関しては問題の無いところまでは復帰している。
――だが、存在の希薄さと言うべきか、ミエルさんがここに居る。という感覚か薄いのだ。生きているのに死んでいるような、奇妙な感覚のそれは、私に何か出来る気がしないのも事実だった。
私は白銀癒光を緩めると、隣でアリアが片膝をつき、ミエルさんを覗き込む。
眼を閉じ、集中したアリアは、頭の先から手のひらを翳し、ミエルさんの状態を感じていく。
「……そういう、事ですか」
何かを感じ取ったアリアは、そっとミエルさんの頬に触れた。
「何か、分かったの?」
「ええ。とりあえず、今ミエルに生命の危険がある訳では無いと、先に言っておきます」
アリアの言葉に、ヨハンさんは大きく息を吐いた。私も緊張しきっていた胸の糸が安堵に弛緩するのを感じた。
「ですが、眼を醒すかは、分かりません」
続いたアリアの言葉に、緩んだ心が再度引っ張られるのを感じ、唾を飲み込んだ。
「現状のミエルの状態は――精神、いや魂の衰弱状態にある事と、時間が停止した状態にあるという二つの状況が混じり合ったものです」
魂の衰弱と、時間の停止――?
「状態的には異能の過剰使用による衰弱が近いですが、もう少し複雑なものです」
異能では無いが、私も以前、命気の使い過ぎで動けなくなった事は何度もある。全身の体力が持っていかれて、強制的に脱力させられるようなあの感覚は、確かに今のミエルさんの状態と共通するものはあった。
「魂の衰弱状態については、私にもはっきりとは分かりかねます。――が、時間の停止については確証めいたものがあります」
「戯神の異能……?」
私が頭に浮かんだ事を呟くと、アリアは頷いた。
以前、アリアは戯神ローズルは人間でありながら、何千年も生きていると話していた事がある。それに、戯神の異能は、望んだ異能を創り出す事が出来る『異能創造』。制限こそあるらしいが、自分の時間を停止させる異能を創り出し、擬似的な不老になる事は確かに可能だろう。
「でも、なんでそれをミエルさんが?」
「分かりません。戯神がミエルに施したのか――」
「多分、ミエルが戯神から奪ったんだ」
私とアリアの会話に割って来たのは、シオンだ。
「奪った?」
「そうか! ミエルは『剥奪』の異能も持っていた!」
ヨハンさんが跳ね上がる様に顔をあげた。
「おそらくはそれで、戯神の異能を奪ったんでしょう」
シオンがそういうと、アリアの顔に疑問が浮かんだ。
「異能を奪う異能……ですか? いや、そんなもの有り得る筈がない」
シオンとヨハンさんの言葉をアリアは、訝しげに否定した。
「だが事実、ミエルはファンタズマの影をジュリアスから引き剥がしているんだ」
「オレも皇都での戦いの時、ジュリアスの異能の制御を奪ってるのを見てるぞ」
否定したアリアを否定するように、シオンとヨハンさんはそれぞれ間近で見たミエルさんの力を語る。
「――例えばですが、他人の異能の展開にそれより強い展開力で干渉し、相手の異能の展開規模を縮小させる事は可能です。それは分かる筈です」
アリアの言葉に各々が頷いた。
「それに、異能というのは個々人の存在、いわば魂に刻まれた自分の根源から発せられる超常現象です。それ故に、他人の力を奪えるなんて言うのはあり得ないんですよ」
アリアの言葉に、私は疑問を抱いた。そう言うアリア自身が戯神に力の根源である起源紋を奪われているし、私自身も戯神によって生命の起源紋を施されているのだ。
私の疑問を見抜いたかのように、アリアは私に視線を向けた。
「リノンが今感じたであろう疑問にも、説明はつくのです。今、私は水の起源紋が無い状態ですが、規模こそ小さいものの水の起源の力自体は発動する事が出来る。これは、起源紋が元々無かった頃のリノンにも当てはまる事です。
仮に、なんらかの要因で力の大半を喪失したとしても、全く無くなる事は絶対に無い」
確かに私は元々、命気の事を矢鱈と燃費の悪い異能の様なものと思っていた。だが、事実は本来有る力の根源である起源紋を喪失した状態で生まれていたという事だった。
つまり、その人に刻まれた異能というのは、その人という存在そのものに深く関わっていて、完全に奪う事は不可能という事か。
「力の発動も、オリジンドールの様な器を介さなければ到底不可能な筈です。他人に刻まれた力を自らの制御力で行使するなど、起源者である私ですら不可能と感じる。
――そんな事が出来るのは原初の起源にして、究極の力を持つ豊穣の起源者である
私の脳内に、幾千幾万の力を見せたレイアの姿が浮かんだ。確かに神の如きあの光景を為せるのは、レイア以外にはあり得ないだろう。
「だが……現にミエルは相手の異能の剥奪を可能にしていた」
「ええ。ですから私が否定したのは
全員の視線が疑問を浮かべ、アリアに集中した。
「これは、妄想とも言える様な仮説ですが……ミエルは、異能でも起源でも無い、未知の力を持っていたのかもしれません。
その力の代償は、異能の行使等の比では無く、ミエルという存在自体の力を使うとすれば、この状態にも説明がつく」
「戯神の時間を停止する異能を奪った結果、これ程の消耗をしたという事?」
私の問いを、アリアは肯定した。
「ええ。そして、憔悴しきったミエルが時間停止の異能を制御出来る筈も無く、時間停止の異能が強制的に発動し、半死半生のミエルを停止させ続ける現状を作り出した」
「なら、時間停止の異能が解ければ、ミエルは復活するって事か!?」
「それは、分かりません。通常なら異能力が枯渇すれば異能の発動は解けるものですが、時間停止による消耗が感じられない事と、仮に異能が解けたとして、魂を消耗したミエルが元に戻るとは限りません。最悪、止まった時間が進む事で魂の衰弱が現状より進行していく可能性もあります」
「……クソが! 指咥えて見てるしかねぇってのか!」
ヨハンさんが悔しさを滲ませる。
「……これは希望的観測なのですが、やがてミエルの魂の力が回復する事に賭けて、しばらく休ませたほうが良いのかもしれません」
伏し目がちにアリアがそう言った。
「――というか、それしか出来る事は無さそうだよね」
私がそう答えを出せば、ヨハンさんは震える肩を落として、頷いた。
「そう、だな。それしかねぇよな。……すまねぇ。取り乱しちまった」
ヨハンさんはミエルさんを抱き上げると、弱弱しく謝る。
「こいつも……ミエルの嬢ちゃんも、ちっと疲れんたんだろう。少し休ませてやんねぇとな」
優しげな眼差しを眠っているようなミエルさんに向けると、ヨハンさんはいつもの調子を取り戻していた。
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