第百四十九話 その陽だまりの中で side Miel



 ─────暖かい。


 柔らかな熱を感じ、微睡みから意識を起こすと、そこは木々の青々とした清涼な空気に包まれた森林の中だった。


「ここは――」


 さっきまで、私はリノちゃんを取り戻す為に、戯神の拠点に居た筈だ。

 その記憶は、しっかりと覚えている。

 意識を手放す寸前、リノちゃんにサフィリア団長の『魂の焔』も渡す事ができた。


「私にしては、頑張った。よね……」


 今回の作戦では、目立った戦果はあげられなかったけれど、それでも最後には戯神から団長を取り戻し、一矢報いる事もできた。

 ヨハンさん……お父さんには、ちゃんとお礼をすることも、できなかったけど。


「……」

  

 ――私は、多分死んだのだろう。


 何故記憶がしっかりとあって、こんな所で意識が目覚めたのかは、わからないけれど。


 もしかすると、ここが天国というやつなのだろうか。


「――いや、私が天国なんて、来れるはずがないか」


 仕事とはいえ、傭兵として、私は相当な数の人間を殺めている。敵対した国の軍人等は、悪人でも罪人でも無い、善人も多く居ただろう。それに、私は子供の頃にも、逃れられない咎を背負っている。

 咎人が辿り着く先は、当然地獄のはずだ。


「とはいえ……地獄にしては、落ち着く場所だな」


 美しくも雄大で、澄んだ空気のこの空間は、まるで、あの時――初めて会ったときのサフィリア団長の心を形にしたかのようだ。


「……団長」


 出来ることなら、もう一度会いたかった。


 心から尊敬し、私に人間を好きにさせてくれたあの人と、もう一度肩を並べて戦いたかった。


「うっ……く。もう一度、逢いたかったなぁ」


 涙と共に、心の中の言葉が漏れ出した。


「呼んだか。ミエル」


「え……」


 その声音に、風が吹く。


 声のした方へと振り向くと、陽だまりの下で光に照らされて、人影が立っていた。


 将校の着る軍服の様な衣服を纏ったその小柄な人影は、陽だまりの中からゆっくりとこちらへ歩みを進めてくる。


「あ……あぁ」 


 陽光を受け輝くブロンドの頭髪は、黄金を紡いだ糸のように輝きを放つ。

 その優美な姿と、本来同居する筈の無い、圧倒的な力、そして存在感。


「はは。夢でもなんでも、会えて嬉しいです」


「私もだ」


 団長は、立ち上がった私の前に立つと朗らかに微笑んだ。


「見ていたよ。随分と、無理をしたようだな」


「……そうですね。結局の所、私は自分の団長を取り戻したいという気持ちと、団長を私達から奪った怨みを晴らしたかっただけなのかもしれません」


 団の誰にも相談もせずに、単独で行動し、自分の中の気持ちに従って勝手な行動を取った結果が、今の私のじょうきょうを生んだのだ。


 他人の心を汚物扱いしておいて、自分はとんだエゴイストだ。


「本来であれば、説教のひとつでもしてやりたいところだ。

 正直な話、焔となった私を解放したのは戯神につけた枷を外してしまったようなものだしな」


「枷。ですか?」


「あぁ。自らの魂を焔と化し、私が燃え散らすと誓った相手を確実に焚くのが、滅魂焔メギドだ。

 事実、戯神は滅魂焔に抵抗する事はできず、自分の時間を停止させたり、都度再生するような異能を使用して命を保つのがやっとだった。

 妙な道具を使い、異能に似た力を扱う術はあった様だが、それでも戯神の力を相当に抑える事は出来ていた」


「ちょっと待って下さい。団長、死んだ訳では無かったのですか?」


 私の問に、団長は片眉を上げる。


「あぁ……まぁ、存在の消滅を死とするのであれば、まだ死んではいない。尤も、肉体に還る事はもう出来ないし、戯神あいてを燃やし尽くしたら消滅するという意味では、死んだと言っても良いのかもしれないが」


 やっぱり……! ベルメティオさんの言っていた通りだったのだ。そして、イーリスさんへの異能の継承も行われていない裏付けにもなった。


「団長! リノちゃんなら、きっと団長を復活させられる事ができます!」


「ん? リノンが? 何を言っている。確かに皇都で見たとき、リノンは以前とは比べられぬほどに強くなっていたが、そのような超常的な力は――」


「そんな超常的な力を得たんですよ! 今のリノちゃんは起源者オリジンという存在になったんです!」


 私の言葉に、団長の双眸が見開かれる。


「起源者……か。おそらくはレイアによるものか。やはり、レイアも何かしらの形で生きていたと言う事だろうな。

 ――いやまて、それではリノンの力は、レイアの豊穣の力では無い……? あの時、戯神がリノンに何かを施していた事が関連しているのだろうが……」


 ぶつぶつと何事かを呟きながら考え込みだした団長に、私はさらに声をかける。


「リノちゃんは、スティルナさんの両脚ですら、取り戻したんですから!」


「――! ルナの両脚を、取り戻した?」


「はい。だから、幾ら姿を変えているとはいえ、団長の事だって、きっとリノちゃんがなんとかしてくれるはずですよ」


 今のリノちゃんなら、きっと団長を取り戻せる。

 あの途轍もない底知れぬ力を見せ付けられた身としては、希望も確信に変わっている。

 だからこそ、私は戯神の思惑に乗ったのもあるのだ。


「――ミエル。お前の事も、リノンがなんとか出来るのか?」


 突然の問いに、私は唇を結んだ。


 私は、多分だけど、リノちゃんの力でも戻る事は難しいと思う。


 戯神に言われて、はっきりした。


 私の『剥奪』は、異能では無いのだ。


『剥奪』は、元々持ち得ていた力では無い。剥奪をその身に宿したのは紅の黎明に入る前、私が自分を決して許せない咎を背負った『あの時』。


 その時におそらくは、背面世界とやらに触れられたのだろう。つまり、剥奪はこちらの世界の力では無い。

 確かに私は、異能の制御は拙いレベルにあると自覚しているが、精神干渉においては、今はそれなりに扱えている。

 だが、剥奪は使えば使うほど……生命を、存在を削られるような、そんな感覚がある。

 異能の制御を一時的に奪う程度なら、相応に消耗はするが、生命に支障をきたす程では無かった。

 だが今回、私は相手の異能そのものを奪った。結果、私はいわば自らのとでも言うべきものを喪失する程の代償を払う事になった。


 これは、怪我や苦痛の類では無い。私の存在そのものを保つ力が失われつつある。ということだ。 それを考えると――。


「私は、おそらく、ここま――」


「ミエル」


 私の言葉を遮り、団長は私の頭に掌を乗せる。


「いつも、言っている事だ」


「いつも言っている事……?」


 私が団長の掌を前髪の隙間から見上げようとしていると、団長は鼻で軽く笑う。


「生きろよ」


 微笑みと共に、言われたその言葉は、確かに団長の口からは聞き慣れた言葉だった。

 死ぬなではなく、生きろ。それは、期待の言葉だ。

 勝て。でもなく、負けそうになったら撤退しろ。でもなく、生きろ。

 団長は常にそれを私達に求めてくる。だから、私達は勝ち続けてきた。

 そして、それに返す言葉は、いつも同じだった。

 

「――かな、らず」


 つい、溢れた涙とともに、いつもと同じ応えを返してしまう。


「ああ。必ずだ。

 ――私もお前のその言葉に誓おう。必ず、もう一度、お前と肩を並べて戦うと」


「はい」


 私の中は、それでも自分を失うだろうと、感じているけれど、団長の力強い言葉と、相変わらず偽りの欠片もない、強くて綺麗な心にまでそう言われると、まだ、なんとか足を止めずに歩いていこうと、そう思わされた。


「そういえば、此処は何なんでしょうね」


「さてな……。私もお前も、今は肉体よりも魂の方が、在り方として強いとするならば、さしずめ魂の世界とでもいったところか?」


「私に聞かれてもわかりませんよ」


 疑問に疑問で返され、私は答えの代わりに苦笑を返す。


「まあ、なんにせよ。お前に逢えて嬉しかったよ」


「私もです」


 私が同意すると、団長は微笑み、立ち上がった。


「往くんですか?」


「ああ。どうやら、お前の言った通り、リノンが呼んでいるようだ」


「――団長。きっと……いつか、また」


 私の言葉に、団長はもう一度私の頭を撫でる。


「必ずだ。待っているぞ。ミエル」


 隻腕を私の背に回し、優しく抱擁すると、


「お前も、私の家族なんだからな」


 慈しみに満ちた声音が耳元で残り、団長は消えていった。


「ありがとう……ございます」


 一人、感謝を告げると、私は大きく息を吸い込んだ。


「すぅ〜。はぁ」


 清涼な空気が身体を満たしていく。


 私は、近くにあった木にもたれかかると、ゆっくりと目を閉じる。

 強い眠気を感じ、木に体重を預けながら座り込んだ。


「……本当に、暖かいなぁ」



 

 


 

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