第百四十八話 紫焔 Side Miel


「――本当に、一人で来るとはね」


 黒より暗い深淵の陰から、感情の無い少しだけ耳に障る声が聞こえてくる。


「貴方が呼んだのでしょう」


 私の言葉に応えるように、その男は闇の中から現れた。

 艶の無い黒髪をオールバックに撫で付け、一筋の白髪の毛束が、額から斜めに流れた紳士の様な髪型に、仕立ての良いシャツとベストは小綺麗に着こなしており、どこかの学校の教諭と聞いても違和感は無い。

 それらの上から少し大きめの白衣を羽織ったその姿はいかにも教養の高さを思わせる。だが、纏った白衣よりも大きな嫌悪感は、私に強い生理的嫌悪を感じさせた。


「――戯神、ローズル」


「ふふ……」


 私が忌々しげにその名を呼べば、私の憎しみを嘲笑うかのように、戯神ローズルは微笑んだ。


「さて、こちらの方へ向かってきている者も居るようだし、早速本題に入るとしよう」


 私は腰に納めた二丁のショートブレードガン、『ナイトメア』を引き抜き、交戦態勢に入る。


「さっき、君にテレパス……いや、念話と言ったほうがいいかな? とにかく、君だけに語り掛けた件だけど……可能かい?」


「……」


 私は、戯神の問いに沈黙で応える。拙いが思考をまわす時間を稼ぐ為だ。

 戯神ローズル。この男には、私の病気エンパス――心を読み取る力が通じない。

 これまで私がこの病気で、思考や衝動、感情と言った力を読み取れなかった相手は、人間においてはそう居ない。

 あまりに熟達しており、思考と行動が反射レベルで同時になせる者や、ある種の理に達した者が至る『無心』という状態に至った者位だった。

 だが、この男は、まるでとでもいうかの様に、何も読み取れない。

 肉体という器に精神では無く、虚無を抱いているかのように。


「うん? さっき、僕が言ったことを疑っているのかい? 僕だって、本来不本意なんだ。人間に、ましてや君の様な存在に、頼みごとをしなければならないというのは、ね」


「仮に、貴方の言葉が真実だとして、私がその焔を受け取って、何が出来ると?」


「う〜ん。駆け引きは嫌いじゃないけど、愚問は好きじゃないな。僕は。

 さっきのリノンちゃんの力、謀られたとはいえ施したのは僕だ。奪えずとも解析くらいはしているさ」


「リノちゃんが、その焔から……団長を蘇生させられるとでも?」


「その通りさ。異能では到底不可能な事を成せるのが起源者という存在だからね」


「……」


 戯神の物言いに私は再び沈黙で応える。


 リノちゃんと顧問、シオンがあのファンタズマという影と戦い始めてすぐ、この男は何らかの異能で私だけに接触してきた。


『声を出さずに聞くんだ。僕はローズル。僕を知る者は戯神なんても呼ぶけどね。

 キミに持ち掛けたい取引がある。キミが使った異能、『剥奪』といったかな? それで、僕から奪ってもらいたい力がある。

 ――その力は、キミ達の首魁だったサフィリア・フォルネージュの魂が混じったほのお。それがあれば、きっと今のリノンちゃんなら、サフィリアを……』

 

 脳内に直接語り掛ける様な声で、戯神は確かにそう言った。

 それからは戯神の誘導に従ってここまで来た訳だが、私はこの男の話を全て信じた訳ではないし、実際に対面してこの男から受けた印象でその気持ちは益々強いものになった。


 ――だけど、先程のリノちゃんの……十数年前に失っていたスティルナさんの脚まで再生させたあの力なら……それも不可能では無いのでは無いかと思わせられた。


 頭の中の冷静な自分は、それは、願望に過ぎないし、大海で一粒の砂金を探す様な話だろうと判断している自分もいる。


 だけど――だとしても! 私はもう一度、サフィリア団長に会いたい。

 それが、私の答えだった。


「分かりました。ですが、一つ聞いても良いですか?」

 

「うん? なんだい?」


「貴方の異能は、望んだ異能を得られる『異能創造』と聞いています。それなら、自分でサフィリア団長の焔を解除する異能なり、私の『剥奪』なりを創造すれば良いのでは?」


 私の問に、戯神は軽い渋面を作った。


「ん〜。あんまり他人に言いたくはないんだけどね。僕から持ち掛けた取引だし仕方が無いか。

 確かに僕は望んだ異能を創造出来る。でもね。能力というのは、大抵枠組みの中でしか機能しないものさ。自分の枠というのは決まってる。

 僕の場合、創造した異能は、消せないメモリーとして自分の中に残る。そして同じ異能は生み出せない上、僕の容量は既に満杯。……『自己時間停止』と、『空間干渉』それと、さっき創った起源付与エンチャントオリジンが容量を圧迫してる大きな原因だけど、この二つが無かったら僕はとっくに死んでる訳だし仕方が無いんだよね」


 つまり、戯神はこれまで創造した異能しか行使出来ないと言う事か。

 とはいえ、どれほどの種類の異能を行使出来るのかは分からないし、流石にそれを言う事は無いだろう。


「それに……癪な話だけど、彼女サフィリアの最後の焔は、はっきり言って異能者の域を超えてる。僕が仮にそれをなんとかしようと異能を作ったとしても、完全に干渉する事は出来ないよ」


「それなら、私の『剥奪』だって同じ事では?」 


 戯神が干渉できない程の異能に、制御の拙い私が干渉出来るとは思えない。まさか、戯神も通用するか分からないような賭けに出ている訳では無いだろうに。


「はぁ〜。自分の力が何なのか、分かっていないというのもこれまた厄介な話だね」


「……?」


「僕が見た所、キミのその『剥奪』の性質は、異能でも起源でも無い。

 の性質の力じゃないのさ。

 多分、キミも触れられたんだよ。背面あっち側の者に」


「何を、言って……」


「まぁ、別に分からなくてもいいし、分からない方が良い事もあるよ。別に接触者になったからとてこの世の理から外れる訳でもない。少し特殊な性質を持つだけさ。

 ――っと、喋り過ぎたね。早くしてもらえるかな? なるべく早く逃げ無いと、流石にまずそうなんでね」


 戯神の言葉を理解する間もなく、一方的に話を打ち切られると、戯神は私の側に歩み寄ると、腕を捲った。


「いいかい? これから僕が『時間停止』の発動を止めた瞬間、紫紺の焔が僕の身を焼こうと噴き出して来る。その焔の制御をキミが剥奪うばうんだ。その後は、お互い攻撃しない。いいね?」


「ええ。分かりました」


 私が了承すれば、戯神はにたりと笑い「行くよ」と言った。


 刹那、火花が弾ける音が聞こえたかと思うと、戯神の腕から、またたく間に紫紺の焔が燃え盛った。

 その焔は、確かにどこか特殊な力を感じさせ、焔自体が生きているのではと思わせる様な不思議な存在感があった。


 私はその焔に手を翳し、精神を集中させる。


「『剥奪』」


 紫紺の焔の制御を奪うと、強烈な疲労感と精神に直接のしかかるような負荷を感じ、視界に星が飛び意識が途切れそうになる。


「くぅ……!」


 締め付けられる様な頭痛を、口の端を噛んで耐えながら、何とか紫紺の焔の制御を納める事に成功した。

 制御した紫紺の焔は、私の制御に逆らう事なく人魂の様な火種となって私の傍らに浮く。


「っはは。やっぱりキミは、この星でも僕にとって有数の危険な存在だよ。

 本来なら、こうして会う事も避けたかったけれど、背に腹は替えられないしね。

 できれば殺しておきたかったけど、ここでキミを殺せば、その焔がまた僕に牙を剥きかねないからねぇ」


 戯神が、私を警戒している? さっきの接触者とやらの事を言っているのか?

 まぁ、聞いてもこれ以上答える気は無いだろうし、それは今はまだ置いておくとしても。


「じゃ、僕はこの辺で」 


 戯神が踵を返そうとしたが、私は戯神の腕を離さない。


「……何のつもりだい?」


「貴方に言っても分からないとは思いますが、私達傭兵は、敵の首魁が大手を振って逃げようとしているのを、黙って見過ごすほど優しい人種じゃ無いんですよ!!」


「チッ……!!」


 舌打ちと共に戯神は私の手を払おうとするが、私はそれを離さず、即座にもう一度異能を発動する。

 発動するのは、『剥奪』。感情や思考を読み取れないこの男に『精神干渉』が作用するか分からないからだ。

 この男の、異能そのもの……『異能創造』は奪えずとも、自己時間停止か空間干渉のどちらかでも奪えれば……!

 全力で剥奪を行使するのは始めてだが、こうして無手で、しかも零距離で戯神に接触しているのだ。こんな好機、今後訪れる事があるかも分からない。

 そして、これはサフィリア団長やリノちゃん――私の大切なものを奪った事への『私怨』だ。


「ぐっ……! ああっ!」


 膨大な負荷に、全身の血管が凍ったかのような、強烈な悪寒が体の内側から回るようにして広がる。口から内臓が全て搾り出されるような放出感を感じると、私の身体はまるで石にでもなったかのように、固く冷たくなり、身体の制御が私の意識から外れていく。

 こひゅー。こひゅー。と、今際の際の老人のようなか細い自分の呼吸の音だけが聴こえ、痙攣した目蓋の先ではらりと目の前を揺れた青色だった筈の前髪も、突然真っ白になっていた。


「――『自己時間停止』を奪われるとは、ね。でも異能そのものを奪うという膨大なフィードバックに、キミ自身がもう希薄な存在になっているよ。

 まぁ、いいさ。僕ももうそれほど時間を掛けるつもりはない」


 戯神は私の手を振り払うと、私はまるで置物のように地面に転がった。

 かろうじて眼球だけ動かして戯神の方に向ければ、眼鏡越しの双眸は光の無い虚無を映したかのような空虚を宿し、私を見下していた。


「まさかこんなに大敗を喫するとは思っていなかったけど、もう一手打っていた方は上手く行った様だし、ここは痛み分けだ」


「ミエル!! テメェ……ミエルに何をしやがった!!」


 戯神の声に重なるように、ヨハンさんの声が聞こえてくる。


「ここでの勝負は君達に譲ろう。……でも最後に勝つのは僕だ」


「おらあぁぁッ!!!」


 巨大なヨハンさんのブレードライフルが戯神に向けて飛来したのが見えたが、直前に空間干渉を使い逃げたのだろう。ヨハンさんのブレードライフルは石壁を砕き、突き刺さった。 


「チッ。無事か! ミエル……! お前……」


 私の白くなった髪や、情けなく地に臥した姿を見て動揺したのかな。


 ――いや、違う。本当は、お互いに気が付いていた。

 気が付いていて、それでも、気が付く前の関係が心地良くて、それすらも壊したくなくて。


「しっかりしろ! ミエル!!」


「お……と……」


 それでも、私のこの病気のせいで、分かっていて。


「う……」


「ミエル!!」


 ――やっぱり、私にとってのお父さんは、綺麗な存在で、そして優しくて、あったかくて。


「さ……」


「こっちだ! 早く来てくれ!!」


 ぶっきらぼうなフリをして、いつも気に掛けてくれて、見てくれていて。


「ん……」


「おい! しっかりしろ!!」


 ――――――ありがとう。お父さん。



 


 

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