第百四十七話 深淵に潜むは恐れか希望か
光が鎮まり、私は太刀を真上に振りぬいた状態の残心から居直ると、太刀を払い、鞘に納める。
手のひらを開閉し、なんとなく自分の力の感覚の残渣を確かめた。
レイアに云わせれば、これが本来の私のあるべき状態という事だろうが、冗談ではない。
人一人が持つには、この力はあまりに強く、高過ぎる。
力を収斂したとはいえ、あれ程の威力が出るとは思ってもみなかった。
私は自分の技の生み出した末路を見上げる。
かなりの高さを持っていたであろうこの高層ビルは、最早ただの吹き抜けと化している。
私がこれまで全力で、『風花』や『波濤』を放ったとて、とてもこんな威力は出せなかっただろう。
行雲流水にしても、今まで自分が扱ってきた感覚でしか力を使わなかった。
感覚的には、命気の出力で言えば、まだ一割程度しか扱えていない感覚がある。力を高密度に練り上げる事は、そう伸びしろを感じないが、出力や力の性質の理解については、本当に自分が浅い所に居るのだと、力自身に理解させられた。
とはいえ――力に飲まれる事は、私にとって最も恥ずべき事だ。今更レイアに突き返す訳にもいかないし、この力を上手く制御できれば、私はきっと胸を張って父様の横に立つことができるだろう。
「だが、とりあえずは、なんとかなったかな?」
ファンタズマとやらの気配は、もう感じない。
そもそも、気配の薄い存在ではあったが、あれが結局何者だったのかもよくわからないままだ。
私は皆の下に駆け寄ると、ちょうど父様が意識を取り戻した所だったようだ。
「リノン……」
「父様、助けに来てくれてありがとう」
私は父様に微笑むと、父様もまた、頬を緩ませた。
「お互い、無事な姿で再開できて良かったよ。まぁ、私はこのざまだ……けど……」
父様は視線を自らの身体に這わせると、十七年の間失っていた脚を眼にすると、その眼を震わせた。
「私の……脚?」
衣服から露出した、白磁のようなふくらはぎへと、恐る恐る指を這わせていく。
自分でやっていて、少しくすぐったかったのか、びくりと身を震わせた。
「これは、どういう事かな?」
父様はいつの間にか、自分の身に起きた事が分からず、私を見やり問う。
「自分でも良くわからないんだけど、レイアに力を貰ったんだ。そのおかげで父様を助けられたんだ」
「レイアだって!?」
父様は、レイアの名を聞くと驚きに目を見開いた。
「レイアが、生きていた……っていうのか?」
「私もよくはわからないんだけど、とりあえず死んではなくて、アーレスの、この星の中枢でアーレスを護ってる……らしいよ」
「そうか……生きていて、くれたんだな」
私と父様の会話を聞いて、身を震わせる者がもう一人、私の相棒、アリアだ。
「いつかきっと、私も逢えますかね?」
「うん。きっと逢えるよ」
涙目になりながら、アリアが私に問い掛け、私はそれを肯定する。
レイアが何かを言ったわけでは無いけれど、何故かその確信が私にはあった。
――私とレイアが過ごした時間は短い。体感でだが、半年程の感覚だっただろうか。
それでも、様々な事を教えてもらい、私が私として生きる意味と理由を見出させてくれた。
そして、重ねた剣は私がこれまで持ち得なかった強さを与えてくれた。
「私も、また、逢いたいな」
心の底から漏れ出た呟きに、父様とアリアは優しげに微笑んだ。
「あ〜……と、ワリィけどよ。何が何やらよく分からねぇんだが、とりあえず……ルナ。お前歩けるのか?」
割って入ったヨハンさんの声に、三人だけの世界を作ってしまっていた事に気が付いた。
父様は、腕を杖代わりにして「よいしょ」と言うと、立ち上がった。
「うん。一応は、歩けるかな。 ……でも、戦闘はまだ無理そうだね」
脚を何度か上げてみせると、父様は申し訳なさそうにそう言った。
確かに、さっと見た所、元に戻ったとはいえ、父様の脚は一般人並の筋力しか無さそうだ。
「ごめん父様。私の力ではそこまでは――」
「ううん。そういう事じゃないさ。確かに今はまともに歩法を扱う事はできないだろうけれど、鍛えればまた、以前のように剣を振るう事もできるかもしれない。感謝しかないよ」
私の頭に父様の手のひらがふわりと被さり、優しく髪を撫で付ける。
子供扱いされているのだろうが、実際子供だし、こういう事をされるのも久しぶりだから、気恥ずかしくも、嬉しく感じてしまう。
「そいつぁ何より。……だが、これから戯神のヤローを叩くんだろ? いけんのか?」
ヨハンさんの言葉に、父様は少し考えた後、首を横に振った。
「異能を使う事で支援くらいは出来るだろうけど、奴の手管は未知数だ。何をしてくるか分からない相手に、まともに走る事も難しい者が居ては足手まといだろう」
ヨハンさんはその言葉を予想していたのか、表情を変えなかった。
「となると、アリアに飛空艇まで送ってもらうか?」
先程アリアが乗り込んだオリジンドールに視線を向け、ヨハンさんがもう一度問う。
「そうだね……。そういえば、アリアは飛空艇で待機の予定だった筈だけど、なんでここに居るのかな?」
突然の父様の切り口に、アリアは分かりやすく狼狽えた。
「あ、あの……ええと、大きな力を感じて、つい……」
「と、言う事は、今飛空艇に戦力が無いという事。だよね?」
「は、はい……」
ばつが悪そうにアリアは視線を背けている。
「はぁ〜。じゃ、私とイーリス。それとユマ、クルトは飛空艇に戻るよ。一応、上にも戦力が無いと、飛空艇を撃墜される恐れもあるしね」
「つーことは、リノンと俺、シオンとミエルの嬢ちゃんで戯神とやるって事か」
ヨハンさんが父様にそう言うと、父様はまた首を横に振った。
「いや、そのメンバーにアリアも加わってもらう」
「スティルナ……。ありがとうございます」
父様はまっすぐにアリアの眼を見やると、にこりと微笑んだ。
「リノンの事、頼んだよ」
「はい!」
力強く返事をしたアリアは、嬉しげに私に向き直った。
――あぁ、そうか。私は気が付かなかったが、アリアは、私と共に戦いたいと思ってくれていたのか。
「頼むよ。相棒」
「任されました」
アリアとお互いに拳をぶつけ合う。
軽く打ち合わせたアリアの拳は、少しひんやりとしていたが、強い熱を感じさせた。
「私は些か不本意だが、団長が言うのなら仕方が無いな。気をつけろよ」
イーリスおば様が私の肩をポンと叩くと、ユマとクルト君もその後に続き、父様に並んだ。
「リノン。無事に帰ったら、以前より冴えた私の剣。見せてあげるよ。……まぁもう勝てないかもしれないけど」
「へぇ、それは楽しみが出来たね」
同門のライバルであるユマに、不敵にそう言えば、少し引いたように苦笑いを浮かべた。
「さて、アリア。上まで送ってくれるかな?」
「ええ。かしこまりました」
上? とも思ったが、私が切り裂いた建物の天井は、真っ暗になっていて、ここが何処か分からないことに気がついた。
「ねえ。此処ってどこなの?」
「え? あぁ、君は此処が何処かも分かっていなかったのか。此処はマリナリアス渓谷の谷底だよ。光もろくに届かないこんな場所に、戯神の拠点があったんだ」
「え……」
マリナリアス渓谷って、この星最大の渓谷地帯で、怪物の温床って噂のアレか!? 以前アリアと近くの街まで来た事もあったけど……。
「まさか、そんな所に自分が居たとは……」
夢にも思っていなかった。
私とシオンが話している間に、父様やユマ達がアリアの乗ったオリジンドールにしがみついていた。
「では、直ぐに戻って来ますので」
オリジンドールからアリアの声が聞こえると、結構な勢いで、真上へと飛んでいった。
皆、腕の立つ人達だから、振り落とされはしないだろうが、かなりの勢いだった。
幻聴か、薄っすらと耳に悲鳴のようなものが残っているような気もするが……。
「大丈夫かな……多分」
上を見上げながら呟くが、もうオリジンドールの姿は無くなっていた。
「しかし、いつの間に飛べるオリジンドールなんて造ったの? まさか、皇都の時から十年くらい経ってる――とか、言わないよね?」
半分本気で半分冗談だが、私の問にヨハンさんが笑いながら答えた。
「本来なら、そんくれぇのシロモンだと思うがな。お前さんがライエにつく前に破壊したオリジンドールをベースにして、
「そうなんだ」
まぁ、教授ならそのくらい出来てもおかしくは無いのか。
「あの爺さんの凝り性にも困ったもんだが、今回ばかりは礼を言わなきゃいけねぇかもな。
……なぁ、ミエルの嬢ちゃん?」
ヨハンさんが呆れながら、ミエルさんに振るが、その後にミエルさんの柔らかな声が続いては来なかった。
「嬢……ちゃん?」
「な……!? ミエル!!」
慌てたようにシオンがミエルさんの名を叫ぶが、どれだけ周囲を見回してもミエルさんの姿は見つからなかった。
「く……!」
急いで両眼を閉じ、感覚の眼を広げていく。
「――居た! もう、かなり遠くまで……何処かに、移動してる?」
「戯神か!?」
ヨハンさんが耳元で怒鳴るように叫ぶが、ミエルさんの近くには、生物のような感覚は存在していなかった。
「分からない……。とりあえず追い掛け……あぁ、でもアリアが戻らないと……」
「俺が先に追いかける! リノンが居れば俺を追えるだろう! どっちだ!!」
私はミエルさんの感覚を捉えた方向を指差すと、ヨハンさんは瞬く間に駆け出した。
「クソッたれが!!」
「ちょっ!? ヨハンさん!!」
ヨハンさんは足元にぼんやりと光を纏わせると、弾け飛ぶ様にして居なくなった。
――なんだ。このもやもやは。
不安がじりじりと闇の中から具現化して来るような不気味な感覚。
「ミエルさん……」
あの人なら、どんな相手でもそう遅れを取る事は無いと、私は思っているが、あの戯神が動いていると思うと、動きが、思惑が読めない。
何をされるか分からないという事が、こんなにも怖いものなのかと、背筋に恐怖が奔った。
「妙だ」
隣でシオンがぼそりと呟いた。
「戯神の狙いは、リノン……君と、起源者達だった筈だろう? それが、なんで
「それは……確かに妙な気もするけど」
今、気にするのはそこなのかという気もする。
「もしかして、ミエルは……自分の意志で動いたんじゃないのか?」
「でも敵の拠点で単独行動なんて、あの冷静なミエルさんが動くなんて、考えられないけど」
「なら、冷静では無くなる様な事を知っ――! まさか、団長の……」
「団長――って、母様の事? それなら、母様はもう――」
「違うんだ!」
シオンは、私の肩を両手でがっしりと掴む。
その左手は、義手で――私の知る母様の義手と、同じものだった。
「団長は――サフィリアさんは、生きてるかもしれないんだ!」
「え――」
その言葉は鋭く私の胸を打ち、激しく思考を揺さぶった。
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