第百四十六話 閃光



「リノちゃん。大丈夫なんですか」


 見たことの無い男の人に抱えられたミエルさんが、心配そうに私を気遣う。


「私は大丈夫。――というか、どちらかと言えば、ミエルさんの方がしんどそうですけどね」


 ミエルさんの憔悴具合は、一目見ただけで分かった。

 元々、そこまで色白ではないミエルさんの顔は、血の気が引いた様に青白くなっており、少し緩めのウェーブがかった青色の髪も、冷や汗に濡れベッタリと輪郭に張り付いている。

 なにより、常に余裕を持って戦闘に臨んでいたイメージしかなかったこの人が、此処に来てから苦戦が続いていたであろう事は、ところどころが破れ、ボロボロになった衣服の状態や、肉体と精神、どちらからも滲む消耗具合からも察する事ができた。


「はは。言い訳もでき無いかな。じゃあ、よろしくね。リノちゃん」


 少しだけ情けない表情を作りながら、ミエルさんは私に任せてくれる。

 この人に戦いを任せられるというのは、嬉しく自信になるものだ。


「彼女達をヨハンさん達に預けたら、僕も来る。無理はしないでくれ。

 幾ら斬っても、あいつは再生してしまう。何か策を練らないとジリ貧になる」


「了解。貴方は? と、聞きたいところだけど、先ずはあいつを斃してからにしようか!」


 疑問は先送りにし、私は鞘を剣帯から外すと、太刀を身体の前で横に倒し、納刀する。

 知らない男の人は、ミエルさんともう一人を抱えたまま、猛スピードで後退した。


「すごく疾いなぁ。もしかしたら、私より――」


「テメェ。舐めてんのか」


 敢えて無視していた漆黒の影が、不快げに私を睨む。


「ふぅ。私としては、久方ぶりに皆と逢えたんだ。その再開に君が水を差すというのは、些か無粋じゃないかな?」


「気に食わねぇな。その余裕ぶった態度はよ!」


 漆黒の瘴気が巨大な腕の様に集束し、平手打ちの様に払われる。

 私は軽く跳んでそれを躱すと、先程まで私が居た場所の床が、いとも簡単に抉りとられる。


 (あの黒い粒子……砂の様なものが、高速で流動しているのか。研磨機の様なものかな)


 彼の意のままに動くのか、黒き巨腕は慣性を無視した動きで私へと翻ってきた。


「こんなもので、私を倒せると思ってるのかなっ!」


 ――銀嶺一刀流、白激浪はくげきろう


 鞘から閃いた太刀は、白銀の輝きを迸らせながら、私の周囲を円周状に薙ぎ払う。

 白銀の一閃は、漆黒の巨腕を切り裂くというよりは吹き飛ばし、霧散させる。


「ハッ、掛かったなボケが!」


 太刀を振り抜いた体勢の私に、上下から挟み込む様に漆黒の巨腕が押し潰そうと迫る。


「――こんなのを狙ってたのか」


 知恵は回るようだが、それだけか。


 ――銀嶺一刀流、風花・二影かざはな・ふたえ


 太刀と鞘、両方に命気を纏わせるとそれを交差する様に振り抜き、命気による斬撃を飛ばす。

 上下から迫る黒腕を、飛翔した命気の刃が切り裂く。

 私の技を受け、忌々しげに黒い影が舌打ちをすると、その怒気が突然の苦鳴に変わった。


「がぁっ!?」

 

 私が両断した下方の巨腕の隙間から、さっきの知らない男の人が疾走し、黒き影を縦に切り裂いたのだ。


 私は地面に着地すると、まるで瞬間移動かという速度で男の人が私の隣に並んだ。


「えと、貴方は味方、で良いんだよね? 私はリノン・フォルネージュ。貴方は?」


 視線を影から切らさずに問い掛ける。

 いい加減何者か分からないままでは、色々と面倒だ。


「あぁ。僕はシオン・オルランド。先日、紅の黎明に加入した者だ」


 シオン・オルランド……何処かで聞いたような?


「リノン。アレには……ファンタズマには斬撃が効かない様なんだが、何か手はあるか?」


「ファンタズマ?」


 シオンは視線で眼前の影を示す。

 アレの呼称がファンタズマというのか。怪物の類かと思ったが……良く分からないな。


「私の命気で斬った所は、制御が切れたのか霧散していたから、私の攻撃なら通用すると思う」


「そうか。異能の影響なら受ける訳か」


 ――実際、先程のミエルさんの異能も影響していたようだった。

 ミエルさんの『精神干渉』が先程の結果を作ったのでは無い様だし、『剥奪』と言っていた事から、後で話を聞く必要はありそうだけれど。


「でも、アレ……実体が無さそうだし、核の様なものも無さそうな感じがするけどね。一撃であいつを構成している全ての粒子を消し飛ばさないと、決め手にはならない気もするし……それに」


「全力で粒子化して逃げられたらまずい。という事か」


 私はシオンの言葉に短く首肯する。

 イドラのような風の力で、檻の様なものを作った上で、私の波濤の様な高出力の攻撃で消し去るのが恐らくはファンタズマに対する必勝法。


「――つまり、倒せずとも奴を封じられれば良いのですね」


 いつの間にか背後に現れたアリアに、びくりと反応する。


「アリア! 驚かせないでよ。絶対わざとでしょ……」


「たまたまです。それよりリノン。先程の言に違えはありませんか?」


「うん。まだ少し、起源力ちからに慣れていないから、力を練るのに時間が掛かるとは思うけど」


 急いで会話をするが、ファンタズマはもう再生しきっている。また行動を再開するまで、そう時間は掛からないだろう。

 

「何秒掛かります?」


 アリアの問いに、私は少しだけ考える。

 

「二……いや、三秒あれば」


「分かりました。シオン、こちらも時間が掛かります。少し足止めをお願いできますか? 私が合図をしたら、全力でこちら側へ逃げて下さい。……貴方は疾すぎて、とても貴方の場所だけ展開範囲を避ける事はできないので」


「分かった」

 

 言葉短く頷くと、シオンは瞬く間にその姿を消した。

 双刃を巧みに回転させ、遠心力を使いファンタズマの実体の無い身体を切り刻む。

 相手がファンタズマで無かったなら、シオンは軒並みの相手を、誰に切られたかすら認識させずに切り伏せるだろう。

 あまりの斬撃速度に切っ先の速度が軽く音速を超え、衝撃波が発生している。

 術理で見れば、水覇の『時雨』と同じ術理だが、そこに至る過程も違えば、何よりも手数が違う。

 本来、斬撃の効かないファンタズマの身体を切り裂いているのも、その衝撃波によるものだ。


 (――強いな、あの人。いつか手合わせしてみたいものだね)


「では、リノン。手はず通りに」


「分かった。頼むよ!」


 信頼こそしているが、アリアはあのとき――皇都での戦いで、起源紋を戯神に奪われていた筈だ。

 どうするつもりなのか……。


「……っと、私は自分の事に集中しないとね」


 アリアは背後の巨大なオリジンドールに乗り込んで行く。


 私は、太刀を鞘に納めると、白銀の命気を深く、強く練り上げていく。


「――行雲流水こううんりゅうすい命斬一刀めいざんいっとう


 太刀が眩い銀を迸らせ煌めく。


「頼むよ。蛍華嵐雪けいからんせつ


 愛刀が私の命気を更に収斂し、最早、『光』としか形容できぬ程に、その輝きを極める。


「――シオン!」


 アリアの準備が終わったのか、アリアがシオンへ合図を出すと同時、背後で破裂音が聞こえ、それが一瞬にして後退したシオンが踏み砕いた壁が破裂した音だと理解した。


蒼き深淵の檻ブラウ・アップグルント・ディ・ツェレ


 突如、蒼黎あおぐろい数多の水流が発生し、渦を巻きながら水球の檻を創り出した。

 ファンタズマは身体を粒子化させ、脱出を試みた様だが、その水流は捩れながら流動しており、一切の脱出を阻んでいる。


「――私の番だね」


 ――歩法、またたき


 一歩でアリアの創り出した檻を頭上に見上げる様に間合いに入れると、私は真上へ向けて鞘から太刀を奔らせ、振り抜く。


 ――銀嶺一刀流、銀光の太刀ぎんこうのたち


 ひぃん。と、硝子の擦れた様な音が聞こえた刹那、視界を眩い閃光が支配する。


 あらゆるものの影すら吹き飛ばし、迸る閃光は、直後、強大な衝撃波を生み出し、上へ、上へとただ光が伸び続けた。

 


 やがて、圧倒的な光の支配が薄れ、世界が色彩を取り戻していくと――そこに黒き亡霊の影……ファンタズマの姿は存在していなかった。


 


 

 


 

 

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