第百四十五話 亡霊惨禍 side Shion



「どうやら向こうは、何とかなったようですね」


 僕は傍らを疾走するミエルに軽く頷くと、先行し、ジュリアス――いや、ファンタズマと名乗った漆黒の影へと脚を進める。


 僕の接近を見て取ると、闇を人の形にくり抜いたかのような風貌のファンタズマは、全身から漆黒の粒子を展開させる。

 この漆黒の粒子は、磁石の粉の様な性質を持っていて、武器に付着するとこちらの動きを阻害される。

 ある程度ヤツの意思によって動くのか、それなりの力で引き寄せられたり、引き離されたりする様だ。


疾風はやて


 僕は異能を発動させ、自分の身体に関わるおおよその速度を三十倍程に引き上げる。

 スティルナさんが展開させた結界の効果はまだ残っており、僕の異能の深淵である禍風征嵐レェル・フィエルヴェルンは、とても制御できる自信がない。

 だが、ミエルと連携する事を考えれば、そこまでの速さは逆にミエルが認識できなくなり、連携の妨げになるだろう。

 

 一陣の旋風となり、バトンの様に回転させた双刃でファンタズマの両脚を切り裂きながら、背後へと切り抜ける。


 背後の僕にファンタズマが視線を向けようと身体を傾けるが、直後に接近するミエルが二振りのブレードガンに異能を付与すると、銃弾を放った。

 

 (いい腕だ)

 

 銃弾はファンタズマの身体の正中――鳩尾と臍の下へと命中する。

 しかし、その弾丸が与えた影響はわずかに黒い粒子を散らさせるだけだった。


「やはり……。精神干渉が効かない……!」


 事前の打ち合わせでは、精神に強力な負荷を掛け、意識を強制的に刈り取る『悪夢ナイトメア』を初めに使い、万が一それが聞かなかった場合、今度は二発弾丸を放ち、片方が『悪夢』。もう片方が相手を催眠状態にし、意のままに操る『洗脳ブレインウォッシュ』を使うという事になっていた。

 『精神干渉』。聞くだけでも恐るべき異能だが、それでもファンタズマの精神に干渉する事は出来ないようだ。


 僕は、返りざまにファンタズマの両腕を切り飛ばし、ミエルの傍らへと戻る。


「これでまた、ヤツが再生するまで多少時間が稼げる。何か手を考えよう」


 ミエルへ口を向ければ、ミエルは頬の汗を拭いながら、眉を渋く歪めた。


「精神干渉が機能している感覚はあります。ですが、影響が無い。

 あのファンタズマは、生命体では無い……? もしくは、強力な異能量で私の異能による干渉を抑え込んでいる? いや……」


 ミエルが思考を高速で回転させている間、僕はファンタズマへ警戒を向ける。

 先程散逸させた漆黒の粒子がファンタズマへと戻り、その手足を再生させていく。


「幾度この光景を見たか分からない程度には、ヤツを切り裂いているけど、ヤツの異能量が尽きる気配は無い。

 でも、不思議なのはああして肉体を粒子化出来るのに、いちいち五体満足な状態へと再生させている事だ」


「――まさか。……いや、その可能性は流石に」


 僕の疑問に何か思うところがあったのか、ミエルが反応を見せた。


「どのみち打てる手は少ない。なにか考えがあるなら聞かせてくれないか?」


 僕は視線をファンタズマから動かさずにミエルに意見を促す。


「これまで、私の異能が作用して、精神に干渉できなかったケースは二つです。

 一つは対象が無機物の場合。オリジンドールや戦闘車両等には、を通り越して中の人間に影響を与える事はできませんでした。これは、仮にスティルナさんの義足に当てたとしても、スティルナさん本人に干渉する事は出来ない。そういう意味です」


 漆黒の塵が集い、ゆっくりとジュリアスの四肢が繋がっていく。


「そして、もう一つは対象に生命が無い場合。当たり前ですが死人にはもう精神が無い。ですが、異能の発動自体は起こっている感覚を感じ取る事はできるんです。

 ――今回は、それに近い感覚があります」


「まさか、ジュリアスが死んでるっていうのか!? あり得ない……! つい先程まで僕はジュリアスと話していたんだ……!」


 つい、かつての親友が死んでいると言われた気がして、感情的に否定してしまう。


「ええ。さっき聞きました。不思議なのはそれなんです。ああして表出しているファンタズマの意識には異能による影響が無いのに、精神干渉が発動している感覚はある。……これは仮説ですが、私の異能は、ファンタズマでは無くに対して発動している可能性があります」


「僕は、頭が良くない。全部を理解出来なくてもいいから、君と僕で打てる手を教えてくれ」


 ファンタズマの四肢が完全に再生され、ゆっくりと黒い影が両腕を広げる。

 僕の発言に多少の驚きを感じたようだが、ふっと軽く息を吐くとミエルはブレードガンを腰に納めた。


「あくまでも可能性ですが……あのファンタズマは、霊体かもしくは異能そのもの……いや、起源者と名乗ったのなら、起源そのものが意思を持った存在だと思われます。

 つまり、精神や生命はジュリアスのものだけど、ファンタズマがジュリアスの全てを上書きした様な状態にあると言う事です」


 再生されたファンタズマの広げた両腕から漆黒の粒子が舞い上がり、ヤツの頭上で巨大な球体が形成されていく。


「つまりになっていない。もっと簡単に言ってくれ」


「あくまでも仮定です。

 では……シオンさん。私をシオンさんの異能で加速させて、ファンタズマに直接触れさせる事は出来ますか?」


 ミエルの問いに僕は首を横に振る。


「いや、銃弾程度の質量なら可能だが、君くらいの質量は難しい。

 ――あ、いや、これは君が重いとかそういう事じゃなく……」


「そんな事は聞いてません! ですが、そうですか……なら、何とか自力で接近するしかないか」


 巨大な漆黒の砂嵐を押し固めたファンタズマは、にやりと口元を歪めると頭上の巨大な黒球を身体の前に突き出す。


「死ねや……! 『惨獄磁獄圧殺球セトラ・ザーハリア』!!」


 ――あれは、ジュリアスのセクメト・スフィアに似ているな。おそらく術理も同じ……触れるもの全てを削り取る死の砂塵。

 込められた力から見れば、ジュリアスのそれよりも威力は相当に高いだろう。


「――僕は君を加速させる事は出来ないけれど」


「え?」


「加速した僕が君を抱きかかえれば、万事解決だろう?」


 ファンタズマが漆黒の砂嵐を僕達に向けて打ち出す。

 それは、軌道上のものを空間毎削り取りながら進み、僕達へと殺到する。


「疾風」


「え? ちょっ、うわあああああっ!!!?」


 双刃を背負い、異能を発動すると、ミエルを抱き寄せ、僕は高く宙を舞った。


「空歩」


 空中で空気を蹴りつけ、ファンタズマの方へと流星のように間合いを詰める。

 ファンタズマは、辛うじて眼球のみがこちらを向くが、速度の差からこちらに対処する動きは取れていない。


 一瞬前までは、加速に戸惑っていたミエルが右腕を伸ばし、掌に異能の力を纏わせた。


「『剥奪』……!」


 まさかの精神干渉とは別の異能の発動に、僕もこれには驚愕を覚えるが、胸元にあったミエルの顔がみるみる青ざめ、憔悴していく。

 消耗量や発動させるにあたっての集中力が、精神干渉との比ではないのだろう。

 ――文字通り、身を削る力。

 彼女がここまでの事をしているんだ。必ず僕が無事にエスコートしてやらなければいけない。


 ミエルの異能を警戒したか、ファンタズマの全身から、漆黒の瘴気が噴き出しはじめた。

 このまま突っ込めば、ファンタズマに直接触れる前に、瘴気にミエルの異能が触れて作用しまう。


 ――空歩で軌道を変えるか……?


 僕が逡巡したその時。


「そのまま突っ込めシオン!!」


 ぼんやりとした光を纏った巨大なブレードライフルが投擲され、ファンタズマの瘴気を一気に吹き飛ばした。――あれは、ヨハンさんのバスティオンか。


 僕は勢いを緩めずに突撃し、抱き抱えたミエルが伸ばした手が、ファンタズマの顔面を鷲掴みにし捉える。


「剥がれろ!」


 ミエルが気合一声、そのまま掌底を打つようにファンタズマに異能を叩き込むと、ミエルの掴んだ掌から、漆黒の闇が剥がれていき――ジュリアスが、その姿を現した。


 僕はミエルを抱えたまま着地すると、空いた手でジュリアスを抱きかかえる。


「ジュリアス……!」


 ジュリアスは僕の呼び掛けに全く反応せずに、動きを見せない。


「まさか、死んでいるのか……!?」


悪夢を見てるねてるんですよ。私の『精神干渉』が作用していたのは、やはりジュリアスに対してです。彼は、ちゃんと生きてます」


 ミエルの言葉に僕の心は安堵に包まれた。


「良かった。本当に、本当に良かった……」


「そう、ですね……なんとか、なりました……」


 傍らのミエルは、消耗が激しく肩で息をしていた。


「大丈夫か?」


「大丈夫に、見えますか?」


 僕の問いに、青い顔を呆れたような苦笑いを浮かべると、ミエルは大きく息を吐いた。


「とにかく、これで一息つけ――」


「つけさせるかよ」


 僕達の背後で、亡霊の様な揺れた声が聞こえると、僕達に向けて瘴気が広がってきた。


「く――! こいつ、まだ生きて……!」


 僕がミエルとジュリアスを抱えて、咄嗟に飛び退ると同時、僕と入れ替わるように、白銀の影が疾風の様に飛び込んできて、漆黒の瘴気を切り裂いた。


「あとは、私に任せて」


 太刀を払い、此方を一瞥した白銀の少女は、銀光を纏いながら、頼もしげにそう言った。



 


 


 

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