第百四十三話 刀舞 3 side stillna



 ――窮地だというのに、不思議な事に身体が軽い。決意一つで、こんなにも変わるものなのかと感心する反面、対面する娘がこれほどまで大きくなる迄に、父としての自覚が薄かった己に対して、羞恥を感じてしまう。

 本来、男が親になる場合でもそうなのだろう。

 母親は腹を痛め、決死の思いで子を産むが、男がやる事は性的快楽と、ただ待つ事のみ。

 リノンの時の私でも、それは同じだった。……いや、性的快楽すらも無かった事を考えると私の方が、親に至る過程が少ないのだろう。


 ただそれでも、リノンの事は愛おしく、容姿を見ても私にそっくりで、自分の分身の様にも感じていた。

 これまで、思えば私は、何処か自分に見切りをつけたいだけだったのだ。


 ――脚を失ったから戦えない。……違う。あの時、サフィーと戦って、勝てない事を知った。そして、一瞬で両脚を失い、死に直面した事で私は恐怖したのだ。そして、内心では逃げる様に戦いから身を退いた。ただ、怖かったから。


 ――一線を退いても、剣も異能の訓練も続けていた。……違う。ただ未練がましかったのだ。片腕を失ってもその力を強め続けていくかつての好敵手。次々と強者が集いつつある紅の黎明かつてのいばしょ。そして、私と同じ姿で拙くも剣を振るう娘の姿に。私は嫉妬し、眼を逸し、そして憧れた。


 要するに、私はあの灰氷大戦と呼ばれた戦い以降、何も成長していない半端者なのだ。


 ――だが、

 これは、心に決めると書いて、決心。私はこれから……今から、私が望むもの全てを手に入れてみせる。

 かつての好敵手を超える力も、誰にも負けない剣技も、最強のその名も。そして、娘と、父の自覚も。


 私の中で十七年凍りついていた時計の針を、時計ごとぶち壊して、もう一度、歩む。

 私の道を。



白煉氷獄ルヴィル・ゼグディル



 八相に構えた太刀へ、絶凍絶死の冷気を纏わせる。

 これでリノンを切る事はできない。威力が高すぎてリノンを殺してしまう事と、これまでは制御に多大な力を使う為、太刀に纏わせる使い方が主だったからだ。

 本来、氷刹の異能は広域展開と展開速度が持ち味の異能だ。だが、それを白煉氷獄でやると私の周囲か、斬撃の延長程度しかまともに展開する事ができなかった。

 これは、以前制御に失敗し、山一つを氷山に変えてしまった事もあったからだ。


 だが、今ならやれる。成し遂げてみせる。



「シオン!」


 

 シオンへと呼び掛けると、高速で駆け回るシオンと刹那の間視線が交錯し、私がこれからやる事を察したのか僅かにシオンが頷いた。

 

 太刀を地面に突き刺し、白煉氷獄によって生み出した極冷の凍気を、地面に、空間へと行き渡らせる。



無間夢幻赤凍獄ナイヴィ・ルフェイム



 一瞬軋むような音が空間に響くと、私が展開した範囲にいつの間にか赤き霜が奔る。


 ――無間夢幻赤凍獄を展開すると同時に、リノンが脇構えになり、私へと間合い詰めていたが、私にはそれがはっきりと視えていた。


 リノンは脇構えから、両腕で太刀を下方から斜めに切り上げる。


 ――攻の太刀一の型、時雨しぐれ


 身体の使い方から、時雨を狙っている事が見て取れた私は、地に突き刺した太刀をリノンの斬閃に合わせて振りぬく。


 ――攻の太刀一の型、時雨。


 お互いに、斬撃の届かない間合いで振りぬかれた一閃は当然ながら空を斬るが、一拍置いて強烈な衝撃波が発生した。


 まるで大水量が落ちる瀑布の如き轟音を轟かせ、炸裂した衝撃波は、私とリノンの間で鬩ぎ合い、威力を相殺する形で突風のみがお互いの銀髪を揺らす。


 時雨によって発生した風に突っ込む様にリノンが左方へと疾走し、その姿を捉えていた私もまたリノンと同じ方向へと踏み込み、鋒を突き出していく。


 ――攻の太刀四の型、雪月・華ゆきつき・はな


 リノンは私の繰り出した雪月に合わせ、同じ軌道で鋒を繰り出した。


 ――攻の太刀四の型、雪月。


 鏡合わせの様に繰り出された刺突は、当然の様に鋒が激突し、完全な力の伝達を行った両の太刀は、鋒同士で鬩ぎ合う。


 だが――、



「動きが鈍いね! リノン!」



 私の繰り出した雪月・華によって、拮抗していた鋒から、六つの花弁を形どった氷華が生まれ、その鋭い氷の刃の花弁がリノンを襲う。



「――!」



 一瞬、目を見開き、鋒の膠着から離れ、リノンは後退し六花の刃から逃れる――が、後退の速度が遅い。

 もはや、最初にシオンと戦っていた速度は見る陰もなく、私でも十分に対応できる速度となっていた。


 これは、先程展開した無間夢幻赤凍獄による事象だ。

 赤き絶凍の霜を展開したこの空間では、私以外の全ての者は、身体感覚の低下と遅延、更には異能の制御力と展開力の著しい低下を招く。

 私はいくつかこうした搦手を持っているが、これは八寒地獄はっかんじごくという技の応用で、上位互換の様な技になる。

 ……と言っても、技を想起したのはつい先程で、励起したのも初めてだが。

 

 そしてシオンに警告したのは、シオンも当然技の影響を受けるからだ。

 だがシオンは昔、私の蒼の黎明とサフィーの紅の翼同士で戦闘になった際、八寒地獄による影響をその身に受けた事がある。だから、短い視線のやり取りで私の意図を理解した筈……と、思いたい。


 私は、後退するリノンへ向けて、緩急を織り交ぜながら舞い落ちる木の葉の様に幻惑しながら間合いを詰める。


 ――歩法、流水りゅうすい霧影むえい


 急激な加減速によって、リノンには私の姿が逐一ブレて視えている筈だが、この歩法を嫌ったか、太刀に白銀の命気を纏わせた。


 (――先程の技か!)


 恐るべき威力を持った銀光の奔流。もう一度あれを食らうのは御免だ。……が、無間夢幻赤凍獄の影響も少なからずある筈だ。

 ならば……撃ち合うか?

 いや、あれと撃ち合うには、異能の深淵である白煉氷獄ルヴィル・ゼグディルを、更に使わなければならない。無間夢幻赤凍獄に加えて、白煉氷獄を使うのは、流石に今の私には難しい。

 それに、リノンから感じられる異能量は、私のそれを明らかに圧倒している。

 長期戦になればなるほど不利なのは明白だ。


 となれば――、あの技を躱す歩法は一つだけある。


 歩法の奥伝の一つ、己刻きこく


 即座にトップスピードに乗る歩法であるまたたきに連なる奥伝で、瞬は重力と負荷の利用、そして脱力からの下半身の踏み込みによる歩法だが、己刻は全身の筋骨を連動させ、体内で足に向けて内的速度を作り出し、一気に踏み込む歩法。その速度は、瞬の二十倍にも至り、己刻の名の通り、己がそこに居る事を刻む結果を生み出す水覇最速の歩法。おそらく全力のシオンと同等の速度に匹敵する筈だ。

 

 奥伝は、術理と水覇の身体操作を完璧に扱う事が出来なければ、逆に自らの身体を痛めてしまう。

 歩法の奥伝に関しては、今のこの義足あしで、完璧に出来るかどうかは分からない。


 ――だがそれでも、やるのだ。そして、剣をぶつけ合っても私の想いが娘に届かないのなら、きつく、きつく抱きしめてやる。



「往くよ。リノン」



 上段に構えた太刀が、白銀の奔流を纏い振り下ろされる刹那、私は全身の筋骨を連動させ、体内で加速させる。


 ――歩法、奥伝。己刻きこく


 圧倒的加速で、まるでコマ送りのようにリノンへと迫り、私は両腕を広げリノンと激突する。


 リノンと衝突し、抱き締めると同時――いや、己刻を使い、駆けた時に義足が粉々に砕け散った。


 一切の減速も無くその身をぶつけ、抱擁すると、私とリノンは勢い余ってゴロゴロと転がっていく。



「リノン!」



 無様に転げ回りながら、耳元で娘の名を呼ぶ。



「目を覚ませ! キミは私の娘だろう!」



 脇の下から背に回した両の手の指に、ぎゅっと力と熱が入る。



「帰ってくるんだ! 私や……紅の黎明みんなの元へ!」


 

 やがて、激突の勢いが止まり、私がリノンの上に覆い被さる形になった。



「リノン! ――リノン!!」



 娘の名に、ありったけの想いを込め、叫ぶように呼ぶと、不意に私の腹を鋭いものが貫いた。



「リ……ノン……ッ!!」



 虚ろな目で私を太刀で貫いたリノンと唇が触れそうなほどの距離で尚も、名を呼び続ける。

 


「っっッ……く!」



 痛みを堪え、私の口から赤い雫が娘の頬へと伝っていく。

 私を貫いた蛍華嵐雪を握る手へと、自分の手を這わせ、娘の手を握り締める。


 

「リノン……ッッ!!」


「と……う、さま……?」



 私の呼びかけにうわ言の様に、だが確かに応えると、先程まで虚ろだったリノンの眼に、少しずつ生気が戻っていくのを感じられた。

 


「ハハ……私の、勝ち……だ……」



 身体を起こし、娘の頬に手を這わせる。頬に落ちていた血の雫が、それによって頬に伸びてしまった。



「リ――ノン。戻れた、か。良かっ……た」



 確かに娘の意志を感じる瞳を見据えると、私は全身の力が抜けて、リノンへとその身の重さを預けていく。



「――え?」



 遠ざかる感覚の中で、僅かに娘の困惑した声が聞こえた気がした。


 

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