第百四十話 リノン救出作戦 24 Side stillna
文字通りの一瞬で視界内を凍結させた大氷塊は、それまで状況の把握すら許さぬ程の超高速戦闘を強制的に静止させた。
動きの一切を拘束され、動きを止めたのは三者。
目にも留まらぬ速度で切り刻まれ続け、常時再生を余儀なくされ、動きを拘束されていたジュリアス――。全身が漆黒に染まり、私の記憶に残る不肖の弟とは比較にならない程の圧倒的異能量を感じさせられるが、私にはあれが血を分けた弟のジュリアスである事は直感的に分かった。
そのジュリアスを私の目にすら捉えられぬ速度で斬り刻み続け、再生させ続ける事で動きを封じていたシオン。
やはりというべきか、以前よりも相当に高い実力を身に着けており、十七年前のサフィーや私に畏怖と尊敬、そして憧れの眼差しを向けるだけの少年だった彼とは、一線を画した力を持っている事が伺えた。
そして――そのシオンとほぼ同等の速度で戦闘を繰り広げていたであろう、我が娘……リノンは、『銀嶺』の二つ名に相応しいその銀髪を靡かせ、太刀の峰に左手を添え、霞の構えを取った状態で動きを止めていた。
霞に構えるのが得意なのは、修行に送り出した二年前と変わっていないようだが、見違える程に背丈や顔つきも大人びており、何よりシオンと同等の戦闘を繰り広げていた事は、二年前の実力から考えれば、恐ろしく成長を感じさせられる。
しかし、そんな我が娘の翠色の双眸は、リノンの意思を感じさせない、虚ろなものだった。
「師匠! リノンですよ!!」
背後のユマが、久方ぶりの妹弟子の姿を見て喜色ばんだ声を上げた。
「その様だけど、どうも様子がおかしい」
「あ……」
どうやらユマも、リノンの様子や、シオンに刃を向けている事に気が付いたようだ。
状況から見れば……シオンが裏切った訳ではあるまい。
片手間にジュリアスを攻撃していたという事は、あの速度でリノンと戦闘しつつも、幾ばくか余裕があったという事だ。
――つまりは、シオンはジュリアスを一時的に無視すれば、リノンに痛撃を与える事は可能だった筈。
にもかかわらず、リノンは身体に傷を負った様子は無い……つまりは、シオンはリノンを殺そうとはしていなかったということだ。
「……状況を確認する為に、シオンを氷塊から解放する」
「分かりました」
「一応だけど、警戒は怠らないでね」
私の忠告の意味を理解したのか、ユマは無言で頷いた。
私はシオンの周囲の氷を制御し、シオンを解放すると、シオンは少しばかり疲弊した様子で私の近くまで歩いてきた。
「僕まで巻き込むなんて、酷いですよ。スティルナさん」
「あぁ……済まない。でも、君達の戦闘はとても捉えられる様なものでもなかったからね。
それより、コレってどういう状況なのかな?」
私の問に、シオンは難しい表情を浮かべた。
「……僕にも、ハッキリとしたことは分からないんですが、まず最初に遭遇したのは、ジュリアスの方でした。
ジュリアスは、皇都で死んだと聞いてましたが、あれは眷属体……とかいうやつだった様です」
「つまり、あのまっ黒いのは本物のジュリアスということか。……でも、それにしては様子がおかしいようだね?」
「戯神ローズルによって、何かを施された様です。ジュリアスは起源者と名乗ってもいましたし、おそらくはその力の代償が……」
「力に呑まれたという事か。……馬鹿弟が」
世の中、そんなに己にとって都合の良い事などある訳がないのだ。
もしあるとすれば、それは偶然か奇跡か……悪魔との契約か。
お前が何を感じてその選択をしたのかは知らないが、もしかすれば、ジュリアスを追い詰めたのは私だったのかもしれないな。
――私は、軽く目を閉じ、平静を保つと再度シオンに問い掛けた。
「そして、何故リノンと戦闘を?」
「やはり、あの娘がリノンでしたか。
彼女は、僕がジュリアスと戦っている最中、突然乱入してきました。
……ですが、彼女もどうにも様子がおかしくて」
「……それも戯神か」
伴侶ばかりか、弟と娘まで……どれだけ私の大切な者達に、粉をかけるんだ。
あまりの怒りに、視界が歪んだ。
「おそらくは。ですが、彼女と剣を交える度、ほんの少しですが……彼女の意思を感じました」
「どういう事かな?」
「彼女……今のリノンは、虚ろというか、正気ではないというか、とにかく彼女本人の意思が感じ取れないのですが、剣を振るうたび、技を繰り出すたび、なんとなく彼女自身を感じたんです」
――少し、話が読めないな。あまりにも抽象的な感覚だが、シオンの感覚は非凡なものだ。
つまりは、リノン本人の人格は封印されている様な状態にある。ということかもしれない。
「今のリノンは、確かに高い戦闘能力を持っているようですが、ただ身体能力に任せて剣を振るっているだけの様に感じます。
戦術的思考も無く、何より……剣が軽すぎる」
――意志無き剣は、確かに軽いだろう。
剣の重さは想いの強さ……などということは無いが、迷いの無さや当人の精神状態が斬撃の鋭さや太刀筋に出る影響は大きい。
水覇における心の構えは、流派の名の如く、水に例えられる。
水というのは鏡の様な湖面の如き静謐さと、荒れ狂う大波の如き荒々しさを共に備えている。
意志無き剣しか振るえないようでは、剣を振っても技にはならないのだ。
「人格を抑制か封印、もしくは、消去されているのか?
……いや、そうであれば、動く事もままならない筈か。であれば、戯神の何らかの術に抵抗しているのか」
(もしくは、リノンを洗脳か、もしくは戯神の望む行動を取るような、何らかの措置を取られ、それにリノンの内在意識が抗っている……とかか?)
私の推測に、ユマが口を開いた。
「なんとかリノンに正気を取り戻させる方法は無いんですか!?」
「……シオンや私の異能は精神に影響を与える事は難しい……。
いや私の異能は精神に影響を与える技もあるが、それは精神を凍結させるというもので、今回のケースに当てはまるものでは無い。
可能性があるとすれば、ミエル位のものだろうが……」
ミエルを呼び、ここに到着するまで待つのであれば、リノンとジュリアスを拘束している大氷棺を解除しなければ、流石に凍死させかねない。
――いや、違うな。おそらくだが、もう少しの時間しか大氷棺は保つまい。
シオンを出して直ぐに、リノンもジュリアスも私の氷に強力に干渉してきているからだ。
「……ユマ。キミはミエル達を呼びに行ってくれるか? 端末で呼び掛けながら、こちらからも合流に迎えば多少は早いだろう。
それまで、私とシオンであの二人を足止めしておく。
シオンも、それでいいかな?」
私がそう言うと、二人は無言で頷いた。
「よし」
私は感覚の目を使い、周囲の数キロンの気配を探る。
(多少、怪物がちらほらと居るようだが、ユマなら十分に対応できるだろう。リヴァルの様な手練は周辺には居ないようであるし、大丈夫か)
「よし、ではユマ。周辺に手練は少ない様だけれど、無理はしなくていい。必要に応じて逃げながら、とにかくミエル達との合流を優先して欲しい」
「了解です。じゃ、行ってきます!」
ユマは黒髪を揺らし踵を返すと、端末を確認しながら駆けていった。
「さて、シオン。キミには私に付き合ってもらうよ」
「分かりまし」
シオンが私に返事をしかけたところで、目の前の氷が砕け散った。
壊したのは……ジュリアスか。
ジュリアスは漆黒の粒子を大鎌に纏わりつかせ、にたりと嗤う。
その前方で、氷の束縛から解き放たれたリノンが此方に向けて太刀を向けた。
「リノンは、私がやる。シオンは、ジュリアスを」
「スティルナさん! リノンは僕に匹敵するほどに疾い……。僕がやった方が……」
「いくら疾かろうが、意志無き刃が私を斬れる道理は無いよ。
……それに、大事な娘だからね。親として、守ってあげたいんだよ」
「……分かりました」
シオンは、ダブルセイバーを構えると、ジュリアスへと視線を向けた。
「僕にとっても、ジュリアスは親友です。僕も……ジュリアスを取り戻してみせます」
「ありがとう。頼らせてもらうよ」
私はシオンに礼を言いながら、腰から太刀を抜き、霞に構える。
「さて、往くよ。……リノン」
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