第百三十五話 共に



 気が付けば、目の前には少年が蹲っていた。


 少年の身体には、青痣が全身にいくつもできている。


 少年は起き上がり、口の端から垂れた血を薄汚れたシャツの袖口で拭うと、感情の一切が見えない瞳で虚空を見つめ、呟いた。



「……殺してやる」



 ――視界が白光に包まれ、色彩を取り戻せば、今度は男に抱かれる女がいた。

 抱かれる。と言えば語弊があるその行為は、愛を語るには野蛮で、暴力的だった。



「オラ、鳴け!」


「んっ……うぅ。うっ……うあぁ……」



 光景と共に流れて来たのは、少女の記憶。


 少女を抱いていたのは、彼女の父親だった。


 こんな思い。一体いつまで続くのか。死ぬまで? 私が死ねば、自由になるの? ……どうでもいいか。そう、どうでも……。


 悲壮な思いと、自己の人生への諦観が、彼女の希望と思考を殺していた。


 

 ――視界が再度輝き、別の記憶を見せる。



「クッ……ククク。ハハ」


 

 少年は、笑っていた。


 部屋には、ベッドで心臓に木の杭を打ち付けられた彼の父母、そして弟がいた。

 少年は家族が寝ている間に、その心臓に杭を打ち、殺害したのだ。

 大量の返り血を浴び、少年は気付く。



「何泣いてんだよ。オレ」



 なにかにつけて、ずっとオレを殴り続けてきた親父。


 

「何だその目は! ゴミが! ぶっ殺すぞ!」


 

 親父の連れ子だったオレには一切の食事を与えてくれず、殴られているのを見てほくそ笑んでいた母親。



「何も食わせてないのに、なんで生きてるの? あ〜あ、アンタみたいな塵、とっとと野垂れ死んでくれりゃいいのにね。あ、でも触りたくないから、死ぬ時は山にでも行って死にな」


 

 ゴミ同然に扱われるオレとは違い、両親の愛情を受け、息子として扱われる弟。



「お前、ホントに俺の兄貴なの? 父さんも母さんも、お前の事、本当は捨てたいんだってさ。でも、近所の目もあるから、飼ってやってるんだって言ってた。

 家族じゃなくて家畜と一緒なんだなぁ? あぁ、でも汚いだけで何も生まねぇから、家畜以下だな。ハハハッ!!」

 


 思い出しても、糞か豚の餌程度にしか思っていなかったこいつ等を、やっと殺せたのに、なんでこんなに胸が痛くて……涙が流れるんだ。


 あんなに殺したかったのに。あんなに憎かったのに。やっと自由に、オレという人間になれたのに。



「クソが。善人ぶってんじゃねぇよ。人殺し……」



 自分に自分は悪人だと言い聞かせる。


 もう、オレは――。


 少年は家族を貫いた木の杭に力をこめると、やがて死体から真っ赤な華が次々に咲いていった。



 ――視界が光に包まれ、次は少女が視界に現れる。

 少女の視線の先には、下卑た口許を醜く歪めた男が二人と彼女の父が居た。



「オイ、先払いだぞ」


「分かってるよ。フヒヒ……しかし、アイザもソソる女になったもんだなぁ」


「娼館にでも売れば、それなりになるだろうに」


「バァカ。んなことしたら、一回金が入って終わりだろ。それに、次からオレも金払ってやんなきゃなんねぇだろうが」


「クハハハッッ。鬼畜だなおめぇさんも」



 こいつ等は、皆、悪魔だ。


 私は、なんの為に生まれてきた?


 幸せなんかいらないから、普通が……普通が欲しい。


 平凡な家庭に生まれて、それなりに親に愛されて育って、町で仕事に就く。

 少し背伸びして、都会に出るのもいいかもしれない。

 そして、好きな人が出来て、愛して、愛されて、結ばれる。

 子供も出来て、その子も愛して……そしていつか、家族に看取られて死ぬ。


 ……私には、きっと、それ等の一つでも、叶う事は無い。


 私は、ただの肉だ。


 いつか、私が醜くなるまで、男達あくまたちに弄ばれて、そして、腐って死ぬのだろう。



「…………」



 私はいいのか? それで。


 そうだ。腐るのは私じゃなく、あいつ等が腐ればいい。

 私をこんなに壊したあいつ等が。


 そうだ。そうよ。


 腐れ。腐れ腐れ腐れ腐れ腐れ。



「っヒヒ。待たせたなアイザぁ……。たっぷりと楽しもうじゃないか」


「待て待て、二人同時とは言ったが、最初は私と決めただろう」



 醜悪な顔で私に迫ってきた男達は、私に汚らしいモノを見せつけるようにさらけ出す。

 私は内から湧き上がる憎悪を込めて、それに触れた。



「ぶえぇああああ!?」


「おっおあああああ!!」



 男達のそれが、ぼとりと腐り落ち、それを為したのが私だと、即座に理解した。



「な、なにをぉぉ……ヒッ!?」



 男の一人が大量の脂汗を流しながら、私の顔を見て悲鳴をあげ、私も鏡に映った自分の姿に気が付いた。


 喜悦の笑み。


 あぁ、私。嬉しいんだ。


 私は男達の頸を掴み、そこに力を流し込む。


 絶望に顔を染めた男達は、悲鳴もあげずに全身を一瞬で腐敗させ、ぐずぐずになって腐り落ちる。



「な、なんだ! アイザ、お前……!」



 異変に気が付いた父親が、私を見て戦慄く。


 あぁ、私は、世界に見捨てられた訳では無かったんだ。


 ――やっと、地獄が終わるんだ。


 驚愕に口を開く父親の下へと走り、その胸へと飛び込む。


 私は、今どんな顔をしてるだろうか?


 きっと、笑ってる。



「地獄に堕ちろ」



 父親を抱き締めると、一気に父親は汚い肉塊へと姿を変えた。



「フフ……ハハハッ! そうか、そうだよね! これからきっと! 私は幸せになれる!」



 少女は、まだ見ぬ明日に希望を感じ、喜びに心を震わせていた。



 ――――光が視界に広がる。



 少年と少女は出会っていた。



「アンタ、一人で傭兵やってるの?」



 少女が問う。



「オレは、一人でいい。……そう、一人で」



 少年が気怠げにぼそぼそと答えていた。



「……私と組まない? お互いに異能持ちみたいだし、アンタとはきっとうまくやれる気がするのよね」


「別に……オレは」


「あーもう、うっさい。なんか、アンタからは私と似たようなにおいがするのよね。

 いいから、アンタが要らないってんなら、勝手にアンタの側に居るから」


「……姐さん、結構強引っすね」


「まぁね。ほっとけないのよ。自分見てるようで。

 アンタ、名前は?」


「シド・マホガニー」


「私はアイザ。アイザ・ソーンネリア……なんだけど、嫌いなのよね。この名前」


「オレも自分の名前は嫌いだな。豚の餌が付けた名前なんか」


「何よ。やっぱり気が合うじゃない。……そうだ、私がアンタに名前を付けてあげるよ。

 シド……か。ふん……じゃあ、アンタは今からシダー。シダー・ベルエボニーよ。どう?」


「シダーか。良い……かもね」


「じゃ、アンタも私に名前付けてよ」


「じゃ、アイザリア。アイザリア・ホルテンジアで」


「なんかあんまり変わってないけど……結構センスあるじゃない」


「それは姐さんもでしょ。……まぁ、おろせない荷物も、背負ってるし……ね」


「なにそれ。……なんとなく分かるけどさ」



 ――光が視界を照らした。



「覗き見すんな。……とも、言えねぇか」


「あんまり見られて気持ちの良いもんじゃないけどね」



 視線の先のシダーとアイザリアは、私の存在を捉え、話し掛けて来る。



「お前達……」


「哀れになんて、思わないで。先輩」


「オレ達は、自分で決めて、力を求めたんだ。だから、これは仕方の無い事なんすよね」



 私の視線から感情を読み取ったのか、彼等はそう言った。

 力を求めた。というのは、戯神と関わったことを言っているのだろうが、そこには、しっかりとシダーとアイザリアの意思を感じ、後悔や恨みなどは感じられなかった。



「私は、ただ、もう奪われたくなかった」


「オレは、また独りになるのが怖かった」



 彼等の記憶を垣間見た後では、その気持ちは痛い程に理解できた。

 お互いの過去を知らずとも、何処か共感でき、お互いが心を許せる存在となったシダーとアイザリアは、お互いを守る為力を求めたのだ。


 ――お互いを失わない為に。


 

「二人揃って死ぬってんなら、悪くないかもね」


「もう腐れ縁っすからね」



 お互いを見て微笑む彼等は、戯神の干渉を受ける前の、人としての彼等を感じさせた。


 起源者になって歪められた彼らの運命。どうにか、救ってやりたい。



「お前達さえ良ければ、私と共に往かないか。

 私なら、いつかお前達をもう一度解放してやれる」



 彼等の起源紋をグレイシアに取り込めば、彼等にもを作ってやれる。

 私が本体に戻りさえすれば、起源紋と魂が融合した彼等ならば、眷属体として創造する事ができる。


 私の言葉を聞いた彼等は、驚きに口を開けていた。



「私達は、先輩を殺そうとしたのよ?」


「敵だった奴等に、施しを与えるっつーんすか」



 それを聞いた私は、つい笑みを浮かべてしまう。

 アイザリア達は、起源者云々の前に自分達が何を生業にしていたのか忘れているのだ。



「お前達、腐っても傭兵だろう? 昨日の敵は今日の友。なんて当たり前じゃないか。

 それに、タダでとは言わないさ。せいぜい、私の下で扱き使ってやる」



 私の言葉を聞いたアイザリア達は、なんとも言えない表情を浮かべたあと、二人共笑いだした。



「……ハハ、そういうの、嫌いじゃないかな」


「ギブアンドテイクってやつね……」


「……わかった。よろしくお願いします……先輩。シダーも、いいよね?」


「勿論。姐さんと一緒なら、何処へでも」



 まさに憑き物が落ちたような彼等の顔は、これまで見た彼等の表情で、一番眩しく見え、私まで心が躍るようだった。

 彼女達は、きっと、もう一度人間になれたのだろう。



「共に往こう。敵でもなく、起源者でもなく、仲間として」




 


△▼△▼△▼△▼△▼


今回は、ちょっと鬱描写というか、暗い気持ちになる話になってしまいました。(そういうの苦手な方申し訳無い)

ですが、アイザリアとシダーにとって、アリアという新たな理解者は、救いになった筈ですので、今後に期待ということで……!

 


 

 

 


 


 

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