第百二十五話 白く、染まる



 私が胴の所で両断した戯神の肉体は、この場が精神世界とやらであるがゆえか、まるで霧の様に消失する。

 とはいえ――。



「こんなので、お前が死んだと思って油断する程、私は馬鹿じゃない……!!」



 頭上に空間の軋みを感じ、私は捻りを利かせたステップで後退する。

 刹那、私がそれまでいた空間が黒い球体のようになってねじ切られた。


 (戯神は逃げられたと言っていたけれど、レイアは無事、だと思いたいな。)


 弧を描く様な軌道で後退しながら、周囲を観察すれば、ねじ切られた空間の向こうから、戯神がこちらへとその手のひらを向けていた。


 何か来るのは明白だが――、戯神の攻撃は様々なバリエーションがあり、次に何が来るのか想像がしづらい。


 単純に対処に困る能力というだけでも、厄介極まりないが、戯神の場合そこに狡猾な頭脳が絡む。


 アリアが一人で勝つのは難しいと言っていたのもうなずける。

 が、生命の起源紋とやらの力は、未だ私には感じられないが、ここでレイアと戦い続けた経験と、力を貸してくれる愛刀も、私のそばにある。


 なによりも、この空間では、これまで命気を扱う事で発生していたガス欠が起こらない。


 ならば、これまで殆どの相手に発動さえすれば、勝ち続ける事ができた行雲流水を用いれば、今の私一人でも、戯神を倒す事が出来る可能性がある。


 それに、単純にここは私の精神の中だと思えば、勝手に土足で……しかも、この世で一番嫌いな人間に踏み込まれて、黙って帰すつもりもない。


 レイアに言わせれば、ここでの死は精神の死に相当するそうだ。

 戯神が死んだ場合、それがどの程度戯神の身体に影響を与えられるかはわからないが、これからの戦いにおいて、多少なりの一助にはなる筈だ。


 私は太刀をひと払いし、刀身を撫でるようにして、手のひらから強力に収斂した命気を蛍華嵐雪に送り込む。


 ――行雲流水、銀光の太刀。


 太刀を、身体の中心に寄せ気味に八相に構え、立ち昇る銀光越しに戯神の瞳を見据える。



「私は、お前が嫌いだ」



 湧き上がった憎悪に、ついぞ怨嗟が口に出る。



「……」


「お前さえ居なければ、母様を失う事は、無かった」



 私の恨み言を、戯神は黙って聞いていた。



「剣に悪いものを乗せるなと、父様には教えられた……。だけど!! おまえだけは、絶対に許さない……!! 必ずこの手で殺してやる!!」



 何かが体の内側から湧き上がり、つぅっと、目から頬を伝い地に落ちる。

 戯神は、大きく溜息を吐くと、悪辣に口元を歪めた。

 

「人ひとりが死んだからなんだって言うのさ。どうせ人間なんか、百年足らずで死ぬだろ? それに、キミのママさんだって、僕を殺しに来たんじゃないか。

 だったら、僕に負けて返り討ちにあったって仕方がないじゃないか。

 僕はなぁんにも、悪くない」


「ぐぅっ!」



 鼻から、口から、憤怒の息が漏れでて、私は歯を食いしばる。

 今までにこんなに強く、太刀の柄を握った事など無いくらいに、全身の筋肉が、強張っているのが分かった。


 ――駄目だ。こんな精神と身体の状態では十全に太刀を振るえない。

 それが心の何処かでは分かっているのに、私は冷静さを取り戻す事も、取り繕う事すら出来ない。

 

 それでも私の強い感情に同期しているのか、命気の出力は高い。

 こうなれば、力でねじ伏せる――!


 

 構えを正眼に構えなおし、私は一歩踏み込み、両手で持った太刀の柄を引き絞る。

 本来なら、太刀の反りを活かし、貫通力を高めた刺突を放つ水覇の術理だが、これから放つのは、そこから放たれる命気。云わば、穿つ命気。


 ――銀嶺一刀流、氷輪ひょうりん


 銀光を纏った太刀から、迸る巨大な輝きは、まるで太刀そのものが巨大に、延伸していくかのように戯神へと迫る。

 戯神は銀光に穿たれ、飲み込まれていく。


 だが、あの男が、この程度で滅ぶ訳がない。


 私は再度、銀光を太刀に纏わせる。


 まだだ、徹底的に……殺す。



「消えろおおおおおお!!」



 ――銀嶺一刀流、波濤はとう白波しらなみ


 太刀から大瀑布のように、命気を放出させ、真一文字に薙ぎ払う。


 それだけで、視界は、この空間の全てが、白銀の閃光に呑み込まれた。



「…………」



 ――銀光が彼方まで飛び、やがて静寂が周辺を包む。

 並の相手なら、これで死なない者が居るとは思えないが、相手はあの戯神だ。

 私は油断なく周辺を睥睨する。

 できれば、感覚の眼を拡げ、奴の存在を確認したいところだが、この場で両眼を閉じるのは、いささかリスクが高い。

 周囲の空気の流れにも、よどみはない。


 あれで……やったのか?


 いや、最初に奴を両断したというのに、なんの問題も無く再度現れた事を考えれば、仕留めていると油断する事は出来ない。


 周囲の様子をくまなく観察していれば……何か、地に横たわる人影が視線に入ってきた。

 何か、と言っても戯神しかないのだろうが。


 私は警戒を怠らずにその人影に近づく。


 何か動きをみせれば、即座に攻撃出来るように、太刀の柄を握る手に、更に力が入る。



「あれは――!」



 視線の先で横たわるのは、戯神ではなく、レイアだった。



「レイア!」



 ――いや、待て。あれは、本当にレイアなのか?


 姿を似せた、戯神であれば、油断して近づいた所をやられる可能性もある。

 しかし、それを確かめようも無い。

 どうする……。



「う……。リノン、こちらに来ては、駄目です……こちらには、戯神が……!」


「……!」



 刹那、レイアの周囲の空間が軋みだす。


 (まずい――!)


 ――歩法、またたき


 レイアの身体が、空間を捩じ切る黒球に包まれる直前に、なんとかレイアを抱えて戯神の攻撃を躱す。



「やれやれ、本当にすばしっこいね。キミは」



 背後から、忌々しい声が聞こえ、私はレイアを抱いたまま其方へと振り向く。


 だが――。



「こっちに来ちゃ、ダメって言ったのにねぇ」


「え――」



 瞬間、額を何かで撃ち抜かれるような感覚が襲う。


 霞む視界の隅で、背後にいた戯神の姿がかき消え、私の胸元で戯神がほくそ笑む。


 やはり……罠だったか……!


 自分のツメの甘さに、心の底から反吐が出る。


 

「く――そ――」


「顔はかわいいのに、口は汚いな――」



 戯神の言葉が、次第に耳から遠のいていき――。


 白く、ただ白く、私の意識が染まっていった。

 

 

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