第百十話 リノン救出作戦 5 Side stillna



 ――白煉氷獄ルヴィル・ゼグディル

 この白き煉獄の冷気は、あらゆる物を氷結させ、砕け散らす。人に対して使用した事は無いものの、まだ若き日に自らの力を試してみたくて、山岳地帯でたまたま遭遇した巨大な鳥の怪物に、この力を振るったことがあった。

 当時の私は剣聖と持て囃され、少なからず調子に乗っていた。そして当然、自らの力くらい完全に制御出来ると、そう確信していた。

 だが、結果は違ったのだ。

 あまりの強大な力に制御を手放してしまい、私は異能力を限界まで強制放出させられ、気を失った。

 意識を取り戻した時には、自らの身体を起こすと山岳地帯全域――私を中心とした周囲四十キロンの全てが、白氷と冷気によって怪物どころか動植物の全てが生命の時を止めていた。


 私は初めて、自らの無力さと己の内に秘められた力に恐怖した。私はそれ以降、この深淵の力の扉を開く事は無かった。

 あの忌わしき戯神によって、両脚を、レイアを失うまでは。


 両脚を失ってから、私はリノンやユマ達後進の育成に携わると共に、団の装備や補給網の構築に専念することにした。しかし、一方ではやはり、自ら剣を振るい、前線で戦う事を望んでいる自分も居た。それは片腕を失ってなお、世界最強であり続けた我が好敵手にして、伴侶でもあるサフィリアの存在が大きかった。

 かつての好敵手は未だ傭兵界での頂点に君臨し、世界で起こる戦争に国家は彼女を介入させたくないが為に、戦争行為を起こす事も無くなっていった程だ。

 対して、私は何をしている? まだ老いてもいないのに隠居気取りの諦観者だというのか? いや、このままでは居られない。いつか失った脚を取り戻し、またサフィリアの隣に並びたい。

 ――その思いが、脳波制御式人体欠損箇所補助装甲『エインヘリヤル』を生み出させ、そして私にこの異能の深淵とも呼べる力の、完全制御をなさせる事となった。


 だから……。



「君如きに、手こずっているようでは、私の愛する人サフィリアに笑われるんだよ」



 白き煉獄の凍気を纏った白刃を、霞に構える。



「そんなの、こけおどしでしょう!」



 リィンが膝を抜き、身体を倒伏させ一気に踏み込んで来る。

 両手を広げ、身体を柔軟に使いながら目には見えない鋼糸を振るうが、私は片目を閉じ、感覚の眼を使う事で、不可視の鋼糸の軌道、速度を見切る。


 ――不可視の鋼糸を十指で扱い放つ、一の型、時雨・十字の五連撃同時発動……!!


 太刀では絶対に放つ事のできない術理の規模に、私は戦慄する。おそらくは、一の型の奥伝である水禍澎湃すいかほうはいに匹敵する威力が出る筈だ。

 ――もし、この子がまともな生を受け生まれた存在であるならば、私の手で様々な術理を授けたかったものだ。


 だが彼は敵で、異形の存在だ。寂寞の想いを斬り捨てると、私は霞に構えた太刀を脇を絞り、絶死の刺突を突き出していく。


 ――攻の太刀四の型、奥伝、雪月尖衝せつげつせんしょう


 鋒の先端速度が空気の壁を破り、円錐水蒸気ヴェイパー・コーンが発生する。直撃させればオリジンドール程度なら簡単に貫く、絶貫の刺突に合わせ、白き煉獄の凍気を収斂、解放する。



白煉吼ルヴィル・ハーゼ



 超速の刺突の速度で以て、ただ白き極冷の死突がリィンの放った時雨による衝撃波と激突した。

 それは、拮抗を一切許さずに、大量に発生した衝撃波という実体を持たぬものすら凍結させていく。



「な……ッ!?」



 自分の技の末路に、目を見開いたリィンは迫る凍気にかろうじて反応し、歩法のまたたきで回避を試みるが、間に合わない。

 リィンの半身に、私の放った極死の冷気が直撃し、その身体を白く、ただ白く染め上げる。



「ぐ……。なんだこれは? 感覚が……」


「白き煉獄の凍気は、触れた者に安らかな死を与える。もう、君の身体は動く事もできず、ただ細片となって砕け散るのみだ」



 凍結した半身から更に、白き魔手がリィンの全身を染めようとその手を伸ばしていく。



「く……! ただで……ただで死ぬものか!」



 おそらく、リィンは凍結していない半身で、鋼糸を振るおうとしたのだろう。

 だが、それは行動に移されることはない。



「言ったはずだよ。君の身体はもう、動く事も出来ないと」

 

「――!」



 もはや口も動かせなくなったにも関わらず、その瞳にはなにがしかの感情が乗せられていた。

 ミエルなら、それが何か汲む事も出来たのだろうが、私には生憎とそれが何かは分かることも無い。



「さよならだ。……最期に教えてあげるけど、愛っていうのは、形や言葉にはできない曖昧なものだ。その人なりの、その人が向ける愛は千差万別。覚えておくと良い」



 真っ白な雪像の様に変わり果てたリィンへとそう告げると、それは極小のダイヤモンドダストへと崩れ散り、やがて跡形もなく消え去った。

 


「……さて、こちらは片付いたが、ユマは……やはり決め手に欠けるか」



 ユマは、剣技こそかなりの領域にいるが、異能は持たない。こういった特殊な相手の場合は異能が決め手になる事も多いのだが、こればかりは仕方の無い事だ。

 水覇の奥伝を伝えれば、異能持ちの達人クラスとも戦えるだろうが、奥伝は水覇の技術を完全に把握していなければ、かえって危険な事になる可能性もある。

 過ぎた力はその身を滅ぼす。というやつだ。

 もっとも、ユマの場合は、本当にあと一息で攻の太刀の奥伝を授けても良いと言えるのだが。


 ユマは、守りに主軸を置き、防御の合間に相手の腱を断つようにして攻め立てている。人間相手だったならば、今頃ユマの勝利は間違いないだろうが、なにぶん、今回は相手が化物だ。



「ユマ。これを使うといい!」



 私は納刀していたもう一振りの太刀をユマに向けて放る。言うまでもなく、元々漆黒だった太刀は真っ白に染まっている。



「コレ……!」



 ユマは放られた太刀を手に取り、そこに込められた力を理解したのか、息を呑んだ。



「私の手元を離れれば長くは保たない! あと四秒でそいつを斬れ!!」


「えぇ!?」


「ハッ、俺を四秒だと……?」



 ユマは焦りを一瞬見せたものの、すぐに眼差しに剣気が宿る。リヴァルは鼻で笑ったが、私が渡した太刀を見れば、表情を真剣なものに変えた。



「シッ!」



 鋭い呼気を吐き、リヴァルが鋼糸を振るう。それは先程リィンが使っていた物体を見えなくする異能を使っているのか、空の手を振り回しているだけのようにも映るが、ユマはそれをどうにか知覚し、打ち払う。


 ――あと三秒。


 ユマがリヴァルの鋼糸を、急速な加減速を生む歩法、流水りゅうすいを使い躱しながら、リヴァルの懐へと潜り込む。


 ――あと一秒。


 リヴァルが間合いを取ろうと、鋼糸を後方へと伸ばす。


 ――あとゼロコンマ五秒。


 ユマが高い貫通力を持つ、攻の太刀四の型、雪月ゆきつきをリヴァルの胸元目掛けて繰り出す。


 ――あとゼロコンマ二秒。


 鋼糸の張力を用いて一気に飛び退るが、ユマも鋒を突き出したまま、歩法のまたたきを使うと、ユマの突き出した極冷の白刃はリヴァルの胸を一気に貫通した。



「……っが!!」



 リヴァルが嗚咽を漏らし、ユマが太刀を引き抜く。

 リヴァルの胸部を貫いた太刀は、引き抜かれると同時にその色は元々の漆黒に変わっていた。



「どうにか……私の勝ちです!」



 ユマが勝利宣言をすると同時、太刀の刺し傷から徐々にリヴァルの身体は白く染まり、凍結していく。

 その傷をリヴァルは無言で眺めると、諦めたように表情を穏やかなものに変えた。



「……ここまでか。…………また……いつ……か、銀嶺と……会い……」



 最期は言葉を紡ぐ事も叶わず、リヴァルは砕氷となって散っていった。

 


「ふぅ。師匠のおかげでなんとかなりましたけど……こんな奴等ばっかりなんですかね? ここ……」



 ユマが呼吸を落ち着けながら、不安げに私に太刀を返してくる。

 私はそれをくるりと回し、鞘に納めると、ユマの肩を軽く叩く。



「さてね。だがどんな敵が来ようと、全て斬り捨てなければならない。リノンを取り戻し、戯神を討つまでは。

 ……でも」


「でも?」


「今みたいな敵は、もう勘弁して欲しい所だね」



 私は辟易しながら肩をすくめると、ユマもがっくりと肩を落とす。



「ホントですよ……。うぅ〜、思い出したらさぶいぼ立ってきた」



 寒気を覚えたのかユマは、小刻みに身体を震わせていた。 

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