第百四話 深淵に向かう


 我々は広大な星の裂け目、マリナリアス渓谷上空のとある地点で、スティルナの号令により飛空艇の足を止めた。

 滞空した地点から、眼下を見下ろしても、深淵の闇が広がるばかりで戯神の拠点がある様には見えない……。



「ルナ姉さん? 本当に此処なのか? 真下には何もある様には見えないが……」



 イーリスがスティルナに問うが、その疑問を抱いているのはここにいる全員がそうだろう。



「星見に聞いた座標はここで間違いないよ。それに……邪な気を感じるのは間違いない。イーリス。君も感覚の眼を広げてごらん」


「ふむ……」



 スティルナとイーリスは、並び立って両眼を閉じる。

 感覚の眼――。リノンやサフィリアも使用する探知術。任意に五感の一部を閉じる事で、自分の円周状に俯瞰的に視覚を、展開範囲に聴覚と第六感覚を拡げるフォルネージュ家に伝わるこの技術は、異能を用いていないにも関わらず、探知探査に優れた異能者のそれと変わらぬ程の精度を持つ。

 フォルネージュ家の者たちは、優れた身体能力を持つ者が多い事に起因する技術だと思っていたが、スティルナまで使えるというのは、スティルナが規格外の存在だからなのか……。


 

「「見えた」」



 スティルナとイーリス、二人が声を揃えそう告げる。



「偽装結界か何かがかなりの規模で展開されている様だ。強度もかなりの物のようだが……その下には有るな。相当な大きさの、塔のような迷宮が」



 イーリスの口ぶりでは、眼下に広がる闇は偽りのもので、やはりこの地点に戯神の拠点があるのは間違いない様だ。

 だが結界の強度が高く、生半可な攻撃では破壊できないとなれば……。



「私がグレイシアで、結界を破壊しましょうか」


「いや、あくまでもグレイシア……アリアに出撃して欲しいのは、戯神がオリジンドールを起動させてからだ。それまではグレイシアの存在は伏せておきたい。

 それに問題無いよ。この程度の結界ならば、私が壊そう」



 スティルナが両腰に佩いた太刀を、軽やかな音を立て抜く。

 鍔の無い幅広の太刀で、柄から鋒までが漆黒に染められた独特の太刀だ。



「二刀流……?」



 弟子であるユマが、疑問の声をあげると、スティルナはにこりと微笑んだ。



「やはり、以前むかしと比べると剣力が足りなくてね。手数を補う為の小細工だよ。

 さて、私が飛び降りて結界を破壊したら、突入メンバーは降下装備を用いて後に続いて欲しい。その後は状況に合わせて指示を出すから。……じゃ、往くよ!」


「「「「了解!!」」」」



 スティルナの号令に全員が応えると、スティルナは眼下の深淵を見据え、両手の太刀を交差させた。



「――月白の太刀つきしろのたち



 スティルナが異能を展開すると、両手の黒刃がその刀身の十倍程の大きさの氷の刃を纏う。

 手元まで氷が纏わりついているが、スティルナの動作に影響は無いようだ。

 スティルナはそのまま軽く跳び上がると、がっぽりとその顎を開く深淵に身を踊らせた。


 空中で数回身体を錐揉みさせると、闇の中でその氷刃を幾度か高速で振るう。



「――水覇一刀流攻の太刀、一の型奥伝。水禍澎湃すいかほうはい



 スティルナが繰り出した連撃の全てが共振し、やがて猛烈な轟音と共に極大の衝撃波が発生した。

 深淵の闇がその衝撃波にあてられると、何もない空間から、硬質な物が砕ける音が響き、偽りの闇の帳が砕け散った。深淵からその姿を覗かせたのは……近代的な高層ビル群だった。



「な、なんという巨大な……!!」


「こんなものを、こんな所に、こんな規模で作っているとか……戯神ってやつは、どれ程の存在なんだよ……!」



 

 スティルナによって暴かれた戯神の拠点は、まるで深部へと伸びる逆しまの巨塔。それを見たイーリスとクルトが驚愕の声を上げた。

 

 先程のスティルナの奥伝も相当なものだったが、それにより姿を現したこの深淵の摩天楼は、我々を畏怖させて余りある光景ですらあった。



「こんなの、まるで国ですよ……」


「チッ、流石にあてられちまうなこりゃあ」



 ミエルとヨハンですら、この異景に尻込みしている。


 その中で、すっと前に出た者――シオンが、口を開いた。



「往きましょう。戦う前から気圧されては、勝負以前の問題ですよ」



 そう言うとシオンは、灰白色のコートをたなびかせ、飛び降りて行った。

 シオンの言葉に、皆それぞれ戦意を取り直す。



「っは! 言ってくれるじゃねえか! うし行くぞクルト!」


「うおおっ!? ちょっとヨハンさん! お、押すなって!! うおおおあああっっ!!?」


「ユマさん。私達も行きましょう!」


「はい!」



 ヨハンがクルトを突き飛ばし、後を追うようにして跳ぶと、ミエルとユマもそれに続いた。



「アリア」


「なんですか? イーリス」


「死ぬなよ」


「ええ。お互いに」



 イーリスは、軽く微笑むと巨大な大太刀を背に皆に続いて飛び降りて行った。

 皆の背を見送ると、どうやら全員無事に巨大なビルの屋上に降下出来たようだ。



「私一人が、待機……か……ッ!!?」



 少しばかりの虚しさと共に口から溢れた呟きは、直後に起こった光景によって驚愕へと塗り潰される。


 降下したスティルナ達を、謎の光が包み次の瞬間、全員が姿を消したのだ。

 おそらくは、分散させられたか、何らかの罠へと転送されたか……!!



「クソ! 戯神の性格を思えば、想定できていた事だったろうに……!!」



 甲板上から手すりを握り締め、罵声を吐き出す。だが……今ここで焦って私がグレイシアで出れば、作戦から外れ、後手に回る可能性も高くなる……!!

 それに、スティルナもアウローラが出張ってからの対抗戦力として私とグレイシアを計算している筈だ。



「もどかしいな……。ただ事態を待つ身というのも……!」



 ――私は歯を軋らせ眼下の闇を見つめていた。

  

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