第百三話 マリナリアス渓谷
我々は各々に念入りな準備を行い、作戦決行日をむかえた。
本部防衛の為、首都ナスルーリアに残った第五部隊長のゴルドフや団員達に見送られ、飛空艇で四大起源の捜索部隊となったイドラやヴェンダー達を、港湾都市ライエにて降ろし、我々はこのアーレス最大の渓谷地帯、マリナリアス渓谷を目指していた。
「これが、オリジンドール・グレイシアですか……近くで見る程に、とんでもない代物だとわかりますね」
グレイシアの操縦席で、整備員と共に細かな調整を行っていると、下からこちらを見上げるようにしていた男――シオン・オルランドの姿が目に入った。
「何か、用件でしたか?」
私は、操縦席から飛び降り、シオンと対面する。
「あ、いや……アリアさんに少し話したい事があったんですよ」
「? ――なんでしょうか?」
「僕は昔、レイアさんの死に目に会っています」
「――!」
シオンの言に、私は目を見開く。
「スティルナ団長に聞きました。貴女やイドラさんがレイアさんの子供なのだと」
「子供……」
実際には、レイアの豊穣の起源紋から力を割譲され、創り出された眷属体なのだが……我々としても、子と言ってもらえるほうが、やはり嬉しく感じるものはある。
「あの時、僕はまだ未熟で、突然起きた事に身体を動かす事も出来ずに、ただ呆然と自体を見ていただけでした」
「……仕方ないでしょう。その頃の貴方は、十三、四だったのでしょう? それにサフィリアやスティルナも居たうえでの事ですから、誰であってもどうしようもなかったことでしょうし」
「すみません。許しを乞う為に来たのでは無かったのですが……ありがとうございます」
「では――?」
聞くところによると、シオンが紅の黎明のほぼすべての者達に詫びて歩いているらしいというのは聞いていた。律儀なものだとは思うが、それだけ彼に自責の念が深く根付いているという事だろう。
「サフィリア団長に言われました」
シオンはサフィリアから受け継いだ義手の方の手を、ぐっと握る。
「僕がサフィリア団長に負けた賠償として、貴女の相棒のリノンさんと手合わせしてやってくれと」
「ふ。サフィリアらしいですね」
「ええ。だから彼女は……例え、死んでも僕が助け出します」
そう言い切るシオンの眼差しは強い。気持ちの据わった人間の目だ。
「償いのつもりですか? 貴方が死んでも誰も喜びはしませんよ。それに、貴方が死んだら、その手合わせの約束も反故になりますから、サフィリアも怒るでしょうね」
「……はは。ホントですね」
「貴方はもしかすると、今ここにいる誰のものよりも自分の生命が軽いと考えているのかもしれませんが、そんな事はありません。貴方はもう、我々の仲間なのですから」
「あ……」
シオンは呆然と私の顔を見据えている。
我ながら、いい事を言ったなと思うことろだが、実際は、ただ私自身を嘲っているにすぎない。この場の誰のものよりも生命が軽いのは私なのだ。
例えこの自らの眷属体の身を失っても、意識はテラリスの本体へと戻るだけ。私だけが、この戦いにおいて、真に生命を賭けているとは言えないのだ。
――もっともそうなれば、このアーレスの皆とはもう二度と会う事は出来ないだろうが。
「はは。……なんだか、貴女はレイアさんに似ていますね」
シオンが苦笑混じりに、私にそう言った。
私が――母さんに似ている?
「一見怜悧な感じですが、どこか少し抜けている感じとか、思慮深く他者を思いやれるところもですが……顔もそっくりですしね」
少し照れ混じりにシオンがそう言うと、私は一瞬、脳内に一つの可能性を考えてしまうが、あまりにも馬鹿馬鹿しい想像で、それはすぐに霧消していった。
「母さん……。レイア程、私は美しくはありませんよ。まぁ、褒め言葉と受けておきますが。
ですが、戯神の拠点に着くまでに貴方と話せて良かった。貴方になら、リノンの救出を任せられる」
「必ず無事に助け出します。アリアさんも、気をつけて下さい」
「ありがとう。それと、アリアで良いですよ。……無事に終わったら、リノンも連れて一杯行きましょう」
「はい。では、これで。作業の手を止めてしまって申し訳なかったです」
シオンは手を上げながら、食堂の方へと去っていった。
……そうだ。実際にリノンを救出するのはシオンやスティルナ達……。彼等を信用していない訳ではないが、相棒として私自らが助けに行けないというのは、心苦しくもある。
だが、私には、私の役目がある。――戯神の駆る、オリジンドール・アウローラの足止め。
救出部隊がリノンを助け出すまで、少なくとも戯神本人とアウローラを私がなんとかしなければいけない。
「顧問。あとの調整はこちらで出来ますから、顧問も少し休んで下さい」
「そうですか。では、お言葉に甘えさせていただきます」
整備員に残りの調整を託すと、私は煙草を吸おうとデッキへと出る。
外に出ると、吹き荒れる風によって髪が乱される。まだそれなりの速度で飛行している為、風が強く煙草を吸うのは難しそうだが、私は眼下に広がる景色に目を奪われた。
「これが……マリナリアス渓谷……」
真上から見たのは初めてだが、それはまるで星に入った亀裂とでも言い表すべき風景だった。
地平線の彼方まで拡がる割れ目は、浅いところであれば奇岩地帯になっていて、肉眼でも地表を見る事ができるが、深い所はただただ闇がその顔を覗かせているばかりだ。
亀裂の縁には放置された申し訳程度の道路が、一応見えるが、何故あんなに崖っぷちに道を作ったのか分かりかねる。以前リノンとシングスウィルの街に滞在した際、マフィアのゴミ共のおかげで旅費を失ったが、その時車という選択肢を取っていたら、あの道を一週間走り倒さねばならなかったと思うと、それがいかに危険な事であるか分からされた。
地の果てまで伸びた亀裂の近辺には街どころか集落すら見当たらない。
要は、人が住める環境では無いのだ。つまり補給も出来ない。何かトラブルがあっても、助けも呼べない……というか、誰も来ないだろう。
「そんな誰も来ない所に、これからぞろぞろと助けに行く訳ですから……無事でいてくださいね。リノン」
私は祈る様に呟いた。もし、神が存在するなら、この願いだけはどうか届いて欲しいと、思いながら。
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