第九十話 紫電氷月
スティルナの発生させた氷柱は、まるでこの平原が氷の奇岩地帯となったかのごとく、環境を激変させた。瞬く間に気温が何度も下がり、上空で彼女達の戦いを観戦している我々まで、その冷気の影響が及びだす。
「あばばば……さむい……」
シグレが両肩を押さえ震え出す。彼女は布を前で合わせた様な独特の薄い服装をしている為、この冷気は堪えるだろう。
「あぁ、ちょっと待ってろ」
ヨハンは自らの異能を発動させ、飛空艇全体を覆う様に展開する。
『絶対領域』などと呼ばれているこの力……結界や盾の様な物とは違うような気もするが……。
「うし、ルナの奴が本気でこっちに力を向けねぇ限りは、これで大丈夫なはずだ」
「おぉ……寒いのが無くなっていく……」
ヨハンが展開を終えるとシグレの震えが収まっていった。
これ程の冷気、通常の異能者に扱う事は難しいだろう。私とスティルナの力は似ている部分が多い為それが理解できる。スティルナは恐らく……サフィリアと同様に起源者と呼べる程に、異能の根源に触れている筈。
――であれば、本来の私と同等の力を扱える可能性もある……という事か。
本来であれば、あり得ない事だ。古代ムーレリアの民達も、個の力に秀でた者達は確かに存在した。それこそ、武の面一点に限れば、戯神ローズルをも上回る者が居る時代もあった。だが、起源者にまで匹敵する存在と云うのは……長い年月を生きる私でも見た事は無い。それだというのに、サフィリアやスティルナ……いや、この紅の黎明の部隊長クラスの者達ですら、もしかすれば起源者の領域にまで至りかねない。
「――問? ……顧問? おーいってば! 顧問〜!!」
「……あぁ。すいません」
「顧問がぼーっとしてる間に、とんでもない事になってますよ。……下」
ユマが顔を引き攣らせながら指を下に向ける。私がその動きに釣られ視線を下に向けようとした刹那、強烈な紫電の雷光が氷原を照らした。
「――! これは、ルーファスの……」
ルーファスが大戦槍に雷光を纏いスティルナに向けて疾走して行く。
スティルナは、雷光を纏った一閃を躱すと、氷柱の摩天楼を三次元的に跳び回り、ルーファスが間合いを詰めようとするのを避けていた。
「どうしました? 逃げるだけでは、私は倒せませんよッッ!!」
「そんな触れたらアウトみたいな攻撃……まともに打ち合えるわけないでしょ!」
幾度もルーファスはスティルナに向け斬馬刀を振るうが、スティルナは歩法を使い中々に接近を許さない。近接戦闘での立ち回りは流石にスティルナに分があるようだ。
やがてルーファスがスティルナに銃口を向けると、雷を纏った銃弾が連続して発射される。
銃弾に纏われた雷は丁寧に制御されており、太刀で切り払えば即座に感電するであろう威力が込められている。
「――!」
スティルナは氷柱を操作し、空中に足場を作ると身体を撓らせ神速の太刀を十字に閃かせる。
雷弾がスティルナの眼前に迫った時、二筋の衝撃波が発生しその威力を累乗させる。雷弾は勢いに押され、そのまま地に落ちていく。
「――攻の太刀一の型三式、
スティルナが太刀振りぬいた体勢で残心を取ると、眼下にルーファスの姿が無い事に気が付いたようだ。
「成程。目くらましか」
スティルナは楽しげに笑うと、片目を瞑る。
「――そこか」
背後に回り込み、雷を纏った斬馬刀を腰溜めに振りかぶるルーファスの姿を捉えた。
「――!」
「サフィリアが私の技を使えるように、私もサフィリアの技を使えるのさ」
――おそらく、今スティルナが使ったのは、リノンも多用する感覚の目による探知術だろう。
リノンは両眼を閉じ集中しないと使えない技術の様だったが、スティルナは片目を閉じる事で戦闘中でもそれをやってのけたのだろう。
ルーファスはスティルナに向け横薙ぎに斬馬刀を払うが、スティルナは両脚を開き沈みこむ様にしてそれを躱し、ルーファスの顎を太刀の柄尻で打ち上げた。
「――がっ!!」
ルーファスは尻もちをつき、地に崩れ落ちるが意識を失ってはいない……が、ルーファスにもう戦意は無いようだ。
まぁ、殺す気なら柄尻などでは無く、鋒を突き込めば、今の一合でルーファスは死んでいた訳だから仕方の無いことだろうが。
「――成程。私では、やはり貴女には及ばないようだ」
「でも、本気という訳では無かったんじゃない?」
「フフ、それは貴女も同じ……いや、貴女の方が伏せている力は大きいでしょう。それに……貴女の作り出したこの氷原のせいで、五感の全てが鈍くなって戦いにくい事この上無いですし。尤も……」
ルーファスは、腰を上げながらスティルナに向けて両手を広げた。
「脳味噌まで筋肉の人には、あまり影響が無いかもしれませんが」
「――!!」
「ハアアアアアアアアッッ!!!!」
ルーファスが嘲る様に言えば、頭上から突如現れたイーリスが素手で氷柱の塔を粉々に打ち砕いた。
氷煙に紛れ、イーリスが猛烈な勢いでスティルナに突進し、拳や肘、蹴りを次々に繰り出す。
「ルナ姉さん! まさかとはッッ! 思うけどッ! 私に対し手をッッ!! 抜いたんじゃないッだろうな!!」
スティルナの太刀の鍔元を、素手で掴みながらイーリスが次々に打撃を打ち込んでいく。
スティルナは太刀を離さないまま、次々に打ち出される打撃を、拳ならば腕、肘撃であれば二の腕、蹴りならば股関節を抑えいなしていく。
「――! 手をッ! 抜ける訳! 無い! でしょ!!」
なんとか防ぎ続けてはいるものの、スティルナの顔色は徐々に焦りに染まっていく。それ程までにイーリスの打法は鋭く重いのだろう。
――フォルネージュ家の者達は皆、身体制御に優れており、身体能力も異常と言える程に高い。筋密度、骨密度に関しては並の人間とは大きく異なるものだ。サフィリアは歴代最強と言える程に異能の力を高め、身体能力に関しても一族では傑物と言えたが、この『身体能力』という一点においては、イーリスこそ歴代最強と言われている。
体格こそサフィリアと同じく小柄と言えるが、オリジンドールと剣戟を繰り広げられるサフィリアよりも、膂力に関しては上回るのだ。
「八寒地獄の影響も少ないし……ホントにキミはどうなってるんだろうねッ!!」
スティルナが太刀に冷気を纏わせると、イーリスは咄嗟に太刀から手を離し距離を取った。
スティルナの衣服はイーリスの打法によってあちらこちらが裂かれ、そこから除く肌はまるでチェーンソーの刃を当てられた様な裂傷が生まれている。
「ルナ姉さん。一端でも本気を出さないのであれば……脳筋呼ばわりしたルーファス毎、打ち抜くぞ」
イーリスは半身になり左手を開き、右手を顔の横まで引くと拳を作る。防御と攻撃の両方を意識した実戦的な構えだ。
スティルナは目を細めると太刀を納刀する。
「分かった。峰打ちにはするけれど、骨の一本くらいは覚悟してね」
スティルナの言葉にイーリスは狂気を滲ませた凄絶な笑みを浮かべると、一直線にスティルナへと突撃する。
「おおおおおッ!!」
イーリスはスティルナの眼前で強烈な震脚を踏み込むと、空間を削り取る様な崩拳を繰り出す。
あまりの速度にイーリスの突き出した腕の衣服が弾けるように裂ける。
音速を超えた拳は、スティルナの胸を突き破り背中から腕が突き抜けた。
――次瞬、スティルナの姿がブレて消え、イーリスの背後に瞬時に現れる。
「歩法――
イーリスはスティルナに気が付き背後を振り返ろうとして、真横に一気に吹き飛ばされた。
「――――ッッッッッッ!!」
「……攻の太刀、奥伝――
あまりの速度に、俯瞰的に見ている私ですらまともに見えなかったが、スティルナはイーリスの崩拳を真後ろに下がる歩法で躱した後、竜巻の様に回転しながら背後を取り、遠心力を活かした居合の様な一閃を真横に振り抜いていた。太刀を抜くところからはほぼ見えない程に速かったが、技の名の如くイーリスは遥か彼方まで水平に吹き飛んでいった。
峰打ちでなければ、真っ二つに分かれて吹き飛んで居たかと思うと、背筋が凍る様な一閃だった。
通常、人間があのような速度で重力を無視し真横に飛ばされれば、血液が寄って血管が破裂する筈だが……イーリスならば、大丈夫だろう。……多分。
「……はは、どうやらこちらも、限界の様だ」
スティルナは両脚に装備した脚甲――エインヘリヤルに視線を落とすと、エインヘリヤルは音を立てて砕け散った。スティルナの激しい戦闘に耐えられなかったのだろう。――無理も無い。生身の身体ですら、あのような動きをしていれば普通の人間の身体であれば、砕けたエインヘリヤルよりも悲惨な事になるだろうから。
「脚が弱点というのは変わらないか……。まぁ、こうして戦える様になっただけでも、幸せな事だよね」
スティルナは地面に座ると、太刀を納め、こちらへと手を振りだした。
ルーファスがスティルナに歩み寄り、両手で抱き上げた。所謂、お姫様だっこというやつだ。
少し照れながらもスティルナは勝利を誇る様に手を挙げると、飛空艇に乗った団員達から鬨の声が上がった。
私は少しイーリスが心配だったが、数百メテル離れたところで、脇腹を抑えながら歩いてくるのが見え、私は安堵の息を吐いた。
「新団長決定か……。ま、サフィーのやつも、どっかで笑って見てっかな」
「……かもしれませんね」
そうだったら良い。叶わぬ願いと知りつつも、そう願う私に、熱い風が吹き、髪を揺らしていった。
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