間話 荒獅子と酒爺
正気か? 一晩で七百万ベリルもの大金を使う……? 下手をしたら家が建つほどの金額だぞ?
「なんか言いたそうだな。しゃあねぇ、少しだけ教えてやる。ここのマスターは港の漁業組合の長もやってんだ。だから、ここで金を使えば、店の為にもなるし、少しは港の復旧に役立つだろ」
「え……?」
そんな事を考えていたのか? 破壊活動の一助をしていた本人が、そこまで考えているのは意外だったが……。これが、この人なりの贖罪なのだろうか。
「だから、テメェもクソ程食って、浴びるほど呑め!! 呑む事に専心しろ」
「はい!」
――それから、私達は他の客と一体になって飲めや踊れやの大騒ぎとなった。
「はい、お水だよ。大丈夫? ヴェンダーさん」
「おぉ、キルミ殿。ありがとうございます」
視線の先でガレオン殿は天を衝く程に笑い、文字通り浴びる様に酒を飲んでいる。
「面白い人だよね。ガレオンさん」
「……はい」
「前にこの店に来てくれた時もさ、港が歴史的な不漁でライエの街中も寂れててね。お料理もお肉とか野菜中心のものしか出せないでいた時があったんだけど、ガレオンさんがこの店のお酒、全部飲んで行った時があって……。そのおかげでお店も存続できたし、私とマスターにとっては、ホントに神様みたいな人なんだよ」
「ほう……。あの男も、顔に似合わない真似ができるのですね」
キルミ殿のお話に、つい目頭が熱くなっていたところに、透明感のある怜悧な声が私の耳に届いた。
「アリア殿!?」
後ろを振り向けば、プラチナブロンドの美貌がワイングラスを傾けながら私の方を見やっていた。
「どうしてここに……」
「私だって、酒くらい嗜みますからね。
ふらりと辿り着いたこの場は、どうやらあの男の奢りの様ですし、折角なので一番高いワインをお願いしたところです」
「は、はぁ……」
アリア殿は、すらりと伸びた脚を優雅に組み、ワインを飲み干すと、煙草に火を付け紫煙をくゆらせる。
女性が煙草を吸うと、嫌がる男性も居るものだが、アリア殿のそれは美貌も相まって、なんとも言えぬ格好良さの様なものを醸し出していた。
「ヴェンダーさんのお知り合い? すんごい美人さんだね!」
「あ、はい。そ、そうですね……」
アリア殿には脚を撃ち抜かれた恐ろしい記憶も新しいが、あの手合わせした際の途轍もない技量、華奢な身体のどこに秘められているのかわからない程の膂力。そして、まるで人形の様な精緻な美貌……。私はリノン殿の強さと同じように、この人にも憧れてしまっていた。
「ははーん、なるほどねぇ」
キルミ殿が私を見て、にやりと小さな唇に弧を描いた。
「な、なんですか?」
「いや、別に……。でも、険しい登山になりそうだねぇ〜」
「??」
私の肩を軽く叩き、キルミ殿はカウンターに戻っていった。
登山……?
私が疑問に思っていると、ガレオン殿のいる方で一際大きな歓声が上がった。
「オメェが皇国の『荒獅子』かよ! 噂は聞いとるぜ……。皇国のパブの酒を一晩で飲み干したなんつう逸話もな、ひひ」
「オレもアンタの事は聞いたことあるぜ。このライエに潜む怪人。人呼んで『
「うおお! 荒獅子と酒爺の、飲み対決だとよ!!」
「こんな神々の戦い二度と拝めねぇぞ」
「私達は今、歴史の転換点に立ち会ってるのね……」
「星々の瞬き。終焉の花園。世界の始まり。リュインフィアの枷」
なんだかよく分からないが、恐ろしく盛り上がっている。
「何、ライエの酒爺だと……!?」
アリア殿が、驚愕に目を見開き席を立った。
「生きる伝説とも言われる酒爺の呑む姿を拝めるとは……」
え? アリア殿まで?
「うおおお!! 荒獅子が樽ごとボーバンいったぞ!!」
「いや、酒爺は既にワイン樽を飲み干してる!!」
あの方達、大丈夫だろうか……。
「ッ!? 疾い……! 刮目して見届けねば」
アリア殿も妙なテンションで観衆の中に混ざり、一緒に騒ぎ始めた。アリア殿……なんか、イメージが崩れていくんですが。
「おぉ? すんげぇべっぴんのオネーチャンが居るじゃねぇか。オイ、荒獅子の。勝ったほうがこのオネーチャンに、チッスをしてもらうってのはどうだよ?」
「おぉ! 良いじゃねえか! 俄然やる気が出てきたぜ!!」
「私を景品にするとは……。ふ、まぁ、良いでしょう」
「「「「「「うおおおおおお!!!!」」」」」」
アリア殿の参戦で場の盛り上がりは絶頂に達したが、私の中のアリア殿像はついに音を立てて崩壊した。なんとなくだが、登山服姿の自分が滑落死するイメージと共に。
「ふへへ、他人の金で呑む酒は、最高にウメーなぁ」
あの酒爺という御仁も、中々に最低な発言をしている。
前歯を失っているその風貌も、その印象に拍車を掛けていた。
――ガレオン殿と酒爺殿は次々と背後に酒樽を積み上げていき……ついには本当に店の酒全てが無くなってしまった。
「爺さん! 流石にやるじゃねえか……うっぷ」
「げぷぷ……。どうやら引き分けの様だの。こりゃ〜チッスもお預けじゃな。げっぷぷ」
どうやら勝負は引き分けに終わったらしい。
「さぁて、皆! 今日は一緒に飲んでくれてありがとよ! さっきも言ったがここはオレの奢りだ!! またライエに来たときは……また一緒に飲もうぜ!」
「「「「「おおおおおおお!!」」」」」
場が妙な一体感に包まれ、各自解散となった。
いつの間にかアリア殿も姿を消しており、店に残ったお客はガレオン殿と自分、そして酒爺殿のみとなった。
「マスター。勘定いいかい?」
ガレオン殿は七百万ベリルの札束をカウンターに置くと、
「釣りは要らねぇよ」
ガレオン殿の言葉にマスターは、少し難しい顔をした。
「……三百ベリル、足りねぇな。ツケておくからまた来てくれ、ガレオンさん。そんときゃ、たくさんサービスするからよ。
……ありがとな」
「おう!!」
「? ガレオン殿、足りないなら自分が……」
「若ェの、やめろやめろぉ。足りねぇ訳がネェだろ。七百万もあんだぞぉ? 少しは察しろ若造がぁ」
立ち上がり財布を取り出そうとした手を、酒爺殿に押しとどめられる。
「あの二人がそうしてぇんだから、それでいいんだよバッキャロウ。マスターはな、荒獅子の小僧に帰る所を作ってやってんだよバッキャロウ」
「は、はぁ」
そういうものなのだろうか。
「うっし、帰んぞヴェンダー。キルミ、マスター! ごっそさん!! 爺さんもまたな! 次こそ決着つけんぞ」
「へひ……。望むところよ」
ガレオン殿はにんまりと強面の顔を緩め、ここにいる全員に笑顔を向ける。
店を出て宿に戻る道中は、秋の涼やかな風に潮の香りが乗って、酒で火照った頬を冷やされる。
その風に乗って、少しだが火事で焼けた家の匂いも混じっていた気がした。
「ま、これで許されるとは思っちゃいねぇよ」
ガレオン殿が真っ赤になった顔で港の方を見据えながら、ぼそりと呟いた。
何をしたら許されるのかは、自分には分からない。けれど、善悪の狭間で揺れるのが傭兵かと言われればそうでは無いと思う。
――これがガレオン殿の……『荒獅子』の流儀なのだろう。
「でも……自分は、貴方の事が好きになりましたよ。ガレオン殿」
自分の言葉にガレオン殿は一瞬、目を丸くしたかと思えば、にやりと笑う。
「ハッ。ケツは貸さねぇからな」
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