第十話 鋼糸使い
ジェイの用意してくれた車は、防弾使用のピックアップトラックで、足回りがいいのか乗り心地も悪くない。これなら、アルカセトまで車で二日掛かる距離を走破しても、そこまで疲れはしないだろう。
だが今はそれよりも気に掛かる……いや、気に触る事があった。
「うっわ、すんごいお酒臭いんだけど……。アリア、窓開けて、窓」
窓が開き、ひんやりとした外の空気が入ってきて、私はそれをすーっと吸い込む。
「いやぁ、昨日ついつい飲み過ぎちまってよ。わりぃわりぃ」
大口を開けて、がははと笑うガレオンは、昨日の夜、ヴェンダー君と飲みに行っていたらしい。
まぁ、契約金としてウチから前金で五百万ベリルもの金が入れば、懐が緩むのも分からないではないけど。節度はある筈なのだ。
「どう見ても二日酔いです。もう少し引き締めて下さい。もう雇われの身でしょう」
アリアがバックミラー越しに目を細めて言うと、後ろから「へいへい」と、気の無い返事が聞こえた。
ライエからアルカセトまでの道路は、まだ出来て間もない為、でこぼこや破損も少なく順調に移動できている。
このペースなら、遅れも無く現地に着くことが出来そうだ。
「アルカセトかぁ。何気に行くのは初めてだな」
「大陸横断鉄道に乗っていたときは、アルカセトでは降りませんでしたからね」
「結構良いところだぜ。元が交易で栄えてた都市だから、人も居るし物もある。酒はウメェし、イイ女も居る。ま、そのぶん昔は治安は悪かったがな」
栄えているところというのは大概、裏の顔がある。光が強ければ影もまた濃い……と言うやつだろうか。
「詳しいですね。ガレオン殿は自治州でも、傭兵活動を?」
興味本位なのか、ヴェンダー君がガレオンに尋ねる。
「俺は生まれがアルカセトなのよ。でも若ェ頃にちっと、マフィアと揉めてな。そんなこんなで、皇国に移住したってわけだ」
「マフィアですか。皇国には居ませんでしたが、自治州は中々に物騒ですね」
「まァな。アイツらは麻薬をバラ撒いて金儲けをしてたんだが、俺はその類のことは嫌いでな。
十代半ばの傭兵始めたての頃に組んでた相方と、二人でその麻薬の製造工場に乗り込んで、ぶっ潰したのよ。
でも、そん時に相方が死んじまってな。俺ァ一人で逃げるように皇国に移住した」
飄々と語るガレオンだが、その語気は力のあるものではなく、どこか悔恨の念を感じる。
「では、今もそのマフィアは麻薬を拡めているのですか……」
「いんや、ソイツらは組織ごと潰されたよ。しかもたった半日ほどでな」
「半日? 駆け出しの頃とはいえ、ガレオン殿程の傭兵が負けた相手を一体……」
「ソイツらを潰したのは、傭兵団『蒼の黎明』団長、スティルナ・ウェスティン。今は紅の黎明の補給部隊総隊長で、この銀嶺の親だ」
「え? 確かリノン殿の母君は、紅の黎明団長のサフィリア・フォルネージュ殿だったと記憶しておりますが」
「あ〜、傭兵界隈では有名な話なんだがな。
「はい。それこそ当時、世界でも最強と言われていた、二つの傭兵団、紅の翼と蒼の黎明の両団長による一騎討ちがそう呼ばれているアレですよね」
「そう、そのアレよ。アレぁそもそもの発端が、その団長同士で、負けた方を夫にするとかいう酒の席でのおかしな話から始まったのよ。ま、夫っつっても両方女だけどな。
だがその頃、その二人より強え男なんてのは存在しなかった。だが、二人は自分と同等か自分より強え奴としか結婚する気はなかったらしい」
「その戦いの結果、サフィリア殿が勝ち、スティルナ殿が負け、女性同士で同性婚になったと」
「ま、そういうこったな。その戦いで、サフィリアは片腕を失い、スティルナは両脚を失ったらしい。
そんで、なんやかんやで互いの団は合併し、紅の黎明と名を変えた。んで脚を失ったスティルナは一戦を退いたが、サフィリアは腕一本になった今でも、傭兵界では最強の傭兵として君臨してるっつー訳だ」
「ほぉ、とんでもない話ですな……。
ん? しかし、お二人は女性同士という事は、リノン殿はどうやって生まれたのですか」
「そのへんは色々と噂もあるが、俺は知らねぇよ。そこの銀嶺本人にでも聞けや」
ガレオンめ……他人の出生の謎をべらべらと話すとは。
「確かに、私の父様も母様も女だよ。でも、私がどうやって生まれたのかは、私も知らされていない。ただ、確実に二人の子であるという事は確かだと聞いてはいる」
実際、女性同士で子を成すのは無理だと私も思っている。だが、他でもない当人同士がそう言うのだ。
嘘を吐く人たちでもないし、何か簡単には言えない事があるのだろう。
ふと隣を見れば、アリアは沈痛の表情を浮かべていた。
――おそらく、アリアはこの件について何かを知っているのだろう。
だが、無理に聞き出すつもりもない。聞くのが怖いわけではないが、聞いたところで私が私である事には代わりはないし、取り巻く関係に変化があるわけでもない。
――ま、それはそれとして。
「アリア、少し一休みにしない? お腹も空いてきたし、夕食を兼ねた休憩にしようよ」
「そうですね。では、この辺りで停めましょうか」
アリアは道路から車を外し、エンジンを止める。
「俺はちょーっと、お花摘んで来るわ。ヴェンダー、テメーも行くか?」
「花ですか? いえ、自分は花を愛でる趣味はないので遠慮しておきます」
「バーカ、オメー、ションベンの事だよションベン」
「あぁ、小用のことでしたか、それでは自分も行きます」
品があるような全くないような会話をすると、男共は連立って林の方に消えていった。
アリアは、タバコに火をつけると、フーッと煙を吐き出した。
「夕食を摂ったら、少しここで仮眠しましょうか」
「着くのは明け方になりそうだし、そのほうがいいかもね」
私は言いながら、ライエで買っておいた食料を出す。
「少し寒いし、焚き火でもしようか。私、薪を拾ってくるよ」
「そうですね。お願いします」
私は薪を拾いに、男共が用を足しに行った方と逆側の林に入る。
幸いにも乾いた枝が結構落ちていたので、薪拾いは簡単に済んだのだが、戻ろうとしたところで、私を取り囲む気配を感じた。
「……五人はいるかな」
私が呟くと、漆黒のラバースーツを身に纏った連中が、木の後ろや茂みの中から音を立てずにその姿を現した。
「夜のダンスの誘いにしては、なんとも不粋だね?」
五人の中から一人、黒髪の長髪の男が前に出て来て手を上げると、残りのラバースーツを着た四人は車を停めた方に向かって走っていった。
──この風貌、例の鋼糸使いか。
おそらくは、ライエの時の賊と同じ皇国の工作部隊だろう。
私は、長髪の男に殺気を叩きつけ、不敵に笑った。
「私と一対一がお望みとは、よほど腕に自信があるんだね」
「俺は、お前を足止めできれば問題ない。銀嶺」
奴は口を開くと同時に右手を振るった。
手と連動して鋭い風切音と共に、細く鋭い鋼の糸が五本迫ってくる。
私はそれを両脚を限界まで開き、地に伏せ回避する。更に間髪入れず左手で鋼糸を縦に振るって来たが、私は前に踏み込み、間合いを詰める事でそれを回避すると、ヤツの足首めがけてスライディングをする様に蹴りを放つ。
ヤツは飛び上がる事で蹴りを回避したが、それは私の狙い通りで、着地で動きを止めたところに斬撃を放とうと太刀を構える。
しかし、ヤツは地面に降りることなく宙を飛ぶように頭上の枝まで飛び上がってしまった。
「へぇ、そういう使い方もあるんだね」
私の意図を察知し、鋼糸を頭上に放ち巻き取ることでヤツは高い位置に登ったのだ。
「噂通り、かなりの使い手のようだな。『銀嶺』」
「ありがとね! 君も中々だよ。……でも、名前くらい名乗るのがマナーじゃないかな」
「リヴァル・ゼルヴァだ。荒獅子から聞いていると思ったんだがな」
「聞いてはいるけれど、礼儀ってものがあるでしょ。私は、リノン・フォルネージュ。よろしくね」
さて、名乗りも済んだ。では、往くとしようか!
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