#18 偽者

#18 偽者


「えっ、ここどこ?」


深結は知らない場所にいた、隣にいた颯太に訊く。


「ここ」


颯太はスマホの地図アプリの画面を見せた。


知らない場所だった。あの時の感覚が鮮明に蘇る


体が震える、吐き気もする


「また...」


溢れでた言葉に颯太は深結を落ち着かせるように言う


「安心して、僕がいるから」


その言葉が深結の心臓を止めてしまいそうなほど深く心に刺さった。


「ごめんなさい」


深結は冷たく言い放ってその場から逃げ出そうとする


「痛いっ!」


おぼついた足で急に走り出したせいで躓いてしまう


「深結!」


颯太が駆け寄ってくる


「来ないで!!私は颯太が知ってる小山深結じゃないの!!」


深結が後退りをすると、颯太は足を止めた。


数秒の沈黙の後、颯太は立ち止まったまま話し始める


「深結は独りじゃないよ。ほら、おいで」


颯太は大きく手を伸ばした。


深結は自分の懐疑心を否定できなかった


それでも颯太は何も言わずに待ってくれた


深結はゆっくり、ゆっくりと手を伸ばす。震えて立てない足を引き摺って。


やっと届いた。颯太に触れた瞬間深結はまた泣いてしまう


「ごめんね...颯太」


そう呟くと颯太にキスをした。


深く深くキスをする


今の私が颯太の知ってる私じゃないのら、今の私も全部全部、颯太で染めてしまえば良い。


深結は自分がおかしくなっていることを自覚している。でも今はそんなことはどうでも良かった


深い深いキスを何度も繰り返す


「こんな悪い子でごめんね」


そう言ってまた繰り返す。


深結は自分が満たされていく感覚に依存する


「これが済んだら私のこと嫌いになってね」


そう言ってからもう一度深くキスをする


今までで一番深くキスをする、舌をいれて喘ぎ声がでる。


深結は颯太の口から自分の口を離すと耳に近づけて言った


「ごめんね」




深結は颯太から離れて背を向ける


「短い間だったけど楽しかったよ。ばいばい」


言い終えると深結はゆっくりと歩き出す


「深結!」

「待って!」


颯太の声が深結の歩くスピードを徐々に上げる。


颯太の声が聞こえなくなる頃には全速力で走っていた


夏の暑さも相まって余計に息が切れる。


汗ばんだ肌に気持ち悪さを感じながら深結は電車に乗った


胸に手を当てて呼吸を整える


電車のドアのガラスに映った自分を見つめる


「変わったな..」


颯太とお付き合いしてから私はずいぶんと変わってしまった


可愛くなりたくて興味もなかったオシャレに挑戦してみたり、メイクを勉強したりもした。


今はそんな自分の全てが憎い


手首の傷を見つめる、少しずつ痕が薄くなっていくのが嬉しかった。でも今は傷つけたくてしかたがない


頬を涙がつたう。


ダメだ。そう確信して駅に着いてすぐに電車を飛び出した、家の最寄り駅まではまだ数駅あるがそれまで耐えれそうになかったのだ。


ホームのベンチに座って顔をおさえる


通りかかる人達が深結のことをおかしな人だと言わんばかりの目で見てくる


抑えきれない涙が指の隙間から地面に落ちる。


しばらく泣いてから、駅を出て歩き始めた。


スマホの地図アプリで自宅までの道を調べて、それを辿る


道中、コンビニに寄ってカッターを買った。それをすぐに開封してゴミはコンビニのゴミ箱に捨てた。


限界まで刃を出してそれを見つめる


「落ち着く...切っちゃお..」


刃を手首にあてる。


「君、なにしてるの?」


女性の警察官だった。


「なんか嫌なことあった?私でも良かったらお話聞かせて」


深結はその声に聞き覚えがあった


「あれ、もしかして深結ちゃん?」

「やっぱり深結ちゃんだ〜!久しぶり!」


そうだ、ちゃんと覚えてる。この女性警察官は深結に初めて解離性遁走の症状が出た時に深結のことを保護してくれた人だ。


「取り敢えずこっちおいで」


深結は案内されるがままに歩くと近くの交番についた


「座って待っててね」


その警察官は奥の部屋から飲み物を注いできてくれた。


深結の分を差し出してから、深結の正面に座った


「話したくなったらで良いから」


ほっといてくれるのは嬉しかった。


でも数分もしないうちに気まずくなる


「帰って良いですか?」


「えー、深結ちゃんのこと聞きたいな」


これだから大人は。最初から自分の意思など関係ないのだ。


「帰ります。お茶、ありがとうございました」


深結が席から立ち上がると、向いに座っていた警察官も立ち上がって深結の腕を掴んだ


「深結ちゃん」


さっきよりも低い声だった


「離してください」


「嫌だ」


やっぱりだ。大人は自分勝手だ。


「分かります?私の気持ち」


「分かるよ」


深結は舌打ちをする


「嘘を言うな!何も知らないくせに。分からないくせに!!」


深結は警察官の腕を振り払って、そのまま逃げるように走り去った。


走った。走って走って走る。切れる息も無視して走る


僅かな段差に躓いてしまった。その場に勢い良く転ぶ


声が出ないほどに体に痛みが走る。立ち上がる気力もなかった。


寝転んだまま空に手を伸ばす。


「私なんか」


それは今までの自分もこれからの自分も、すべての自分を否定する言葉だ。


「私なんか死んでしまえ!」


思いっきり叫んだ


「死にたい..死にたい、死にたいよ.....」


涙が出てきた、目に溜まって視界が揺らぐ


「嘘吐き!私なんか私なんか...本当は颯太に..紗奈に...助けてもらいたいくせに!抱きしめてもらいたいくせに!」


本音だ。誰にも聞こえない、届かない本音は深結を苦しめる


人と話すのが苦手。自分の気持ちを言えない。自分に嘘をつく。そんなの昔からずっとそうだ。


でもそれが、いつしかカッターの刃になって自分を切った


嘘も方便とはよく言ったものだ。嘘は自分を殺すのに。


あぁ、家に帰らなきゃ。死にたがりのくせに、こんなことを考えてしまうのかと自分を軽蔑する


なんとか立ち上がって歩き出す


人に見られたくなくて電車にもバスに乗らずに家まで歩いた。

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