#5 今度

#5 今度


「「いただきます」」


手を合わせからお箸を手に取って肉じゃがに伸ばした。


「今日は楽しかった?」


深結は思わず箸を置いて黙り込んだ


「紗奈ちゃんと遊びに行ってたんでしょ。安心して怒ったりとかしないから」


「うん...」

「どうして怒らないの?」


深結はそれが疑問で頭がいっぱいだった。


「どうしてって...たまにはそういうのも良いじゃない。青春って感じで」


何で返せば良いのか分からなかった深結は何も言わずに再び箸を持って肉じゃがを口に運んだ。


でも、気持ちに嘘をつき続けるのは深結にはできなかった


箸をお茶碗を置いて一度深呼吸をしてから話し始めた


「お母さん、私ねまだ怖いんだ」


一気に空気が静まり返った。


「また..あの日みたいになっちゃうんじゃないかって....」


頭の中の"あの日"の記憶がフラッシュバックする


涙が出てきて止まらない。


嫌。嫌嫌嫌嫌。やめて、出てこないで


形の無い記憶に向かって叫んだ。


「深結落ち着いて」


お母さんが深結を抱きしめた


「大丈夫だよ、私がそばにいるから。」


そう言って背中をさすってくれた。


「ちょっと....独りになってくる」


それだけ言って部屋に戻った。


ガチャ。鍵をかけて勉強机とセットで買った椅子に座って引き出しを開けようと取手に触れた瞬間思い直して手を離す。


誰かに聞いてもらいたい。そんな気持ちが芽生えてきた。でも、紗奈に言ったらまた......。


自分のことを話せるのは紗奈しかいない。そう思うと、紗奈にさえ隠し事をしているじゃないか。と頭の中で勝手に反論が出てきた。


ぴんこん!


スマホの通知音が鳴った。


"新着メッセージがあります"


それをタップして開くと


"今週の日曜暇?"


送り主は成瀬君だった。連絡先を交換した覚えはなかったけど、きっとクラスのグループから追加したのだろうとすぐに察しがついた。


なんで返せば良いのか分からなかった。分からなかったから正直に答えた


"暇だよ"


"やった!じゃあさ日曜一緒に勉強しない?テスト近いし"


感じたことのない高揚感が身体を支配した。


「なにこれ....」


誰にも届かずに空気に溶けていく言葉。そんなものどうでも良いくらいに心地良い感覚。


自然と顔が綻んだ。いつぶりだろうか?勝手に笑ったのは。いつからだろうか?誰にも迷惑を掛けないように面白くも楽しくもないのに笑うようになったのは。そして、それが辛くて耐えられなくなって。爆ぜてしまったのは。爆弾はもう全て爆発したのだろうか?


気持ちの答えを考えないようにして眠りについた。



朝目が覚めると


「んっ、うんー!」


上半身を起こして大きく伸びをした。いつもは大嫌いな朝がきたことが今日は少し嬉しかった。


「お母さん、昨日はごめんね」


素直に言えた。


「朝ごはんできてるわよ」


お母さんは優しく話してくれた。



「紗奈おはよ!」


いつも通りに紗奈と合流して学校に行く。なんでかずっと頭の中がふわふわしている。



「深結ー、集中しろ」


先生に注意されて、授業中だと思い出す。


とんとん、背中を軽く突かれて後ろを向く


「大丈夫か?体調とか悪いのか?」


成瀬君が心配してくれた。


「だっ...大丈夫..ごめんね」


上手く声が出なかった。それが気になったのか


「無理しなくて良いよ、保健室行こ」


そう言うと


「せんせー、深結が体調悪そうなので保健室連れて行きますね」


少し棒読みに放たれた言葉に深結の鼓動は脈打った。


「ほらいくぞ」


成瀬君は紗奈の手首を握って歩き出した。


教室を出て少ししたところで深結は足を止めた。


成瀬君の手が離れた途端に体の力が抜けて立っていられなかった。


地面に手をついて荒れた呼吸を整えようとするも、一向に落ち着かない


「大丈夫か?」


「大丈夫..大丈夫だから....大丈夫..」


成瀬君に言ったつもりが、まるで自分に言い聞かすようになっていた。


立てない。脚に力が入らない。


「どうして.....」


そう口にした途端ストッパーが外れた。


「どうして!」


叫んでしまった。きっといろんな人に聞かれてしまっただろう


「どうして!どうして!」


その気持ちと裏腹に声が止まらない


「深結!大丈夫だから、安心して。落ち着いて」


成瀬君に抱きしめられて声が止まった。


「久しぶりだなあ、この感覚。消えたい」


成瀬君の表情が変わったのがわかった。でも深結は気づかないふりをして笑った


「私は大丈夫だから、教室戻ろっか」


歩き出すと成瀬君は下を向いたまま深結の左手首を掴んだ。


心臓が跳ねるように鼓動した。痛い。


「私は大丈夫だよ」


成瀬君の方を見ずに平然を装った。


左手首を握る強さが強くなった。


「大丈夫だから..!」


「大丈夫じゃないだろ!」


いつもと違う成瀬君の声に何も言えなくなってしまった深結は無理矢理成瀬君の手を振り払って左手首につけている紗奈から貰った腕時計を外して隠していた部分を見せつけた


「これなにかわかる!自傷の痕!私は成瀬君が思ってるような人間じゃない!わかるでしょ?!」


深結の顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。


「ごめん、僕は何にも知らなかった。でもこれだけは聞いてほしい」


深結は何も言わなかった


「僕は、深結のこと好きだから」


体が熱くなっていく。なんだこの感覚は?理解できない。


深結はその場から走り去ることしかできなかった。


人通りの少ない階段。授業中ならなおさらだ。そこ

に座ってすすり泣いて心を落ち着かせようとしても無意味だった。


辛い。死にたいんじゃない。消えたい。跡形も無く。


「消えたいなって思ってるでしょ?」


「誰?」


訊かなくても分かってた、向き合いたくなかっただけ。


「さー?誰でしょう?顔上げたら見えるよ」


深結が何も言わずにいると


「良いよ、いっぱい泣きな。私がずっと隣にいてあげるから」


いっぱい泣いた。溢れ出て止まらない。


ひとしきり泣いたあと顔を上げた。


「やっと可愛い顔見せてくれた」


紗奈は両手で挟むように深結の両頬に触れて親指で目元に残った涙を拭った


「せっかく可愛い顔してるんだから、ずっと泣いてたらもったいないよ。だから、辛い時は辛いって言って、泣きたい時は泣いて、楽しい時は楽しいって言って、笑いたい時は笑う。それって最高じゃない?」


悔しいほどに納得してしまう自分がいた。


「うん」


こくんと頷いた。


「私はだいじょ....」


深結が口を開くとそれを遮るように紗奈が人差し指を深結の唇に当てた


「辛い時は辛いって言うの」


紗奈にはお見通しだったようだ。


「よくわかったね」


「何年一緒にいると思ってるのよ、深結のことなんて全部お見通しなんだから」


階段に並んで座る二人。


深結はそっと紗奈の肩に寄っ掛かって考えた。


大丈夫って言う度に心がずきずきと痛んだ。でも止められなかった。理由は簡単、怖かったんだ。みんながいなくなるのが。私が笑っていれば周りの人が笑ってくれた。だから、ずっと笑っていようと決めた。自分を守るために、心を守るために。でもそれはいつしか自分を締め付ける鎖になっていた。辛くても苦しくても誰にも言えなかった。みんなの前では笑わなきゃって、大丈夫って言わなきゃって。


「紗奈...」


「うん?」


不意に溢れた言葉に紗奈が反応する


「私、間違ってたのかな?」


数秒の沈黙の後、紗奈が口を開く


「それを決めるのは私でも他の誰かでもなくて、深結自身だと思う。深結が幸せになれたなら、今までしてきたことは正解になるし、そうじゃなかったら不正解になる。でもその不正解は今から変えられる」


「私、自分のこと大っ嫌い」


「今はそれでも良いんだよ、最後に好きになれれば」


紗奈の言葉は優しく深結を包み込んでくれた。



人に頼るのが苦手なのは昔からのことで、両親の喧嘩が絶えなかった時も自分一人でなんとかしようとして結局壊れてしまった。解離性遁走を患って、生きてる心地がしなくて自傷行為をした。自分を傷つけて痛みを感じている時は生きていると実感できた。


「また切りたくなった?」


紗奈の言葉に反射するかのように


「うん、すっごく」


と言ってしまった。


途端に紗奈が深結に抱きついた


「じゃあしたくなくなるまで、ずっと一緒にいる」


紗奈はそう言ってくれたけど深結の気持ちは晴れなかった。それはいつも感じていた自分への嫌悪だけじゃない気がした。


「そういえば、さっき成瀬君とすれ違ったんだけど、深結のこと宜しく頼むってって言われたんだけどなんかあったの?」


気を紛らわそうと別の話を始める紗奈


「言っちゃった...私の秘密」


驚きと動揺を隠せない紗奈は腕時計がない深結の左手首を見て全てを悟った


「自分の気持ちがわからなくて。もうどうでも良くなって、それで..........でも私は大丈夫だから...心配しないで」


「辛い時は....辛いって..言って良いんだよ。誰を心配させたって良い。それがダメだって言う人がいたらその人が間違ってる、だって人間は独りじゃ生きられないんだから」


「そんなこと、わかってるよ。わかってるから、それが出来ない自分が嫌になるんだよ」


「それ全部聞かせて、私が受け止めてあげるから」


その言葉に深結は再び泣いてしまった。


「私、おかしくなっちゃった。ちょっとしたことで涙が止まらなくなって」


紗奈は何も言わずに背中をさすってくれた


数分後。


「そのこと相談しに先生のとこ行こっか、私も一緒に行ってあげるから」


「うん......」


深結だって分かってた、一人じゃどうしようもないこと。誰かに助けてもらうべきなこと。



放課後。


あの後は深結は体調が悪いと言って保健室で寝たふりをしてやり過ごして、紗奈は教室に戻って普通に授業を受けた。


「じゃあ行こっか」


紗奈に手を引かれて重い足を動かす。



「先生」


紗奈は病院に入るとすぐに先生を見つけて声をかけてくれた。


「あら、今日はどうしたの?あっ!もしかして好きな子の話!!」


いつも通りの先生を前にどんな態度を取れば良いのかわからなかった


「話....聞いてもらっても良いですか?」


「良いよ!」


先生は深結の心情を察したのか満面の笑顔で受け入れてくれた。

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