第10話 深夜の人捜し

「こんな家、まだ残ってたんだな」


 真新しい畳の匂いが残る床に寝転んで天井を見上げた。


 視線の先にある照明は、よく見る薄型のシーリングライトではなく、コードがぶら下がった先にむき出しの丸形蛍光灯と埃避けの傘がついたペンダントライト。

 畳こそ新品だが、壁紙は日焼けによって色あせ、窓枠はアルミサッシ。そこかしこに昭和の香りが漂う、外壁も屋根もトタンでできた平屋の一軒家がハカリに用意された社宅だった。


「これが自分の家か」


 物心ついて以後、初めて手にした自分の家に喜びより落ち着かなさを覚え、精神的に疲れていたこともあって今日は早く休もうと電気を消す。

 そのまま寝返りをうって窓に背を向けた瞬間。


「おーい! 開けろ」


 窓の外から突然、せっぱ詰まった声が聞こえた。

 慌てて窓の方を向くと、窓の外に滴が立っていた。

 とりあえず窓の鍵を開けると、即座に向こう側から窓を開けて、スルリと室内に滑り込む。


「えっと、海湖沢さんだっけ?」


「滴で良いよ。どうせどっちも本名じゃない、まだ名前の方が聞き慣れてる」


 森羅も似たようなことを言っていたな。と考えつつ、暗いままでは話もできないと消したばかりの電気を着ける。


「ッ!」


 蛍光灯の明かりに人魚の下半身が照らされ、思わず息が止まった。


「そんな格好で来るなよ。人に見つかったらどうする」


「もう外は真っ暗だから誰も見えねーよ。ってそんな場合じゃないんだ。アンタ、地図持ってたよな。あれ貸してくれ」


「地図?」


「車運転するときに使ってた奴。あの平たいケータイに入ってるんだろ」


「ああ。スマホの地図か」


「何でもいいから早く」


 言われたとおり連絡用にと朝日から支給されたスマホを取りだして、アプリを起動させる。


「貸すのは良いけど、使い方知ってるのか?」


 スマホのことを平たいケータイと呼ぶあたり、滴は現代ではなく、もっと昔に異世界へ転移した人物だ。

 タッチパネルでの操作には慣れていなさそうだが、案の定。


「知らないから調べてくれ。場所さえ分かったら飛んでいく」


 車内やここに来る際もそうだが、彼女は人に見つからなければ、人魚の状態でいようと魔法を使おうと関係がないと考えているようだが、監視社会と呼ばれる現代に於いて、その考え方は危険すぎる。


「……場所は?」


「分かんない。あっちの方角のどっか」


「どこかって」


「仕方ないだろ。小子の奴が飛んで行ったのを見ただけなんだから。アタシとアイツの家は隣同士なんだよ」


「問題児は他にも居たのか」


 考えてみれば、小子も連絡の際に電話ではなく、式神を使っていた。

 非常識度では滴と大差ない。

 やれやれと頭を掻いて、立ち上がったアプリを滴が指した方に向けると、画面上の地図が回転しスマホの上部と指した方角が一致する。


「なんで回るんだ? 見えづらいなコレ」


「最近のスマホには中にGPSって、位置を知らせる機能が入ってるんだよ。要するに、大中さんがまっすぐ移動したなら、この方向のどこかに居るってことだ」


「ほー。GPSってあれだろ。見守りケータイとかの」


 取りあえず地図を縮小して、広い範囲を表示できるようにしてから滴に渡す。


「この中に、行きそうな場所はあるか?」


「うーん。名前だけ見てもなぁ」


 受け取ったスマホの画面を舐めるように見る滴を後目に、ハカリが代わりに考える。

 小子はなにを考えてこんな時間に飛び出したのか。

 朝日が言うには彼女だけが神託なる力を使って上位存在と交信できるらしいが、それが関係しているのだとすれば。


「神社、とかは?」


「え?」


「あの娘は神職の出なんだろ? 神託とやらを聞くのも社の近くが良いって室長が言ってただろ。そういうところに居るんじゃないのか」


 滴の顔色がサッと変わる。


「神社……いや。違う! 古墳だ」


「古墳?」


「前にアイツが言ってたんだよ。この世界に戻ってきたら、自分の実家がデカい古墳になってたって。そこに行ったんだ。えっと。クソ! あー、変なところに行った!」


 興奮して叫ぶ滴は画面に指を押しつけ、無理矢理動かそうとするが、慣れていないせいで狙った部分の地図が表示できず四苦八苦している。


「ちょっと貸せ」


 大きな古墳と聞いて思い当たるところがあった。

 地図アプリの検索窓に古墳と打ち込むと、見覚えのある名前がヒットする。


「水神丘古墳。ここの登頂部に古い社があるって聞いたことがある」


 地図を衛星写真に切り替えて、滴に見せる。

 示された場所は、それなりに開発され、自然が殆どなくなっているこの近辺に於いて、唯一残された森林地帯。その中心に大きな鍵穴型の物体が写っていた。



 ・



 水神丘古墳は四世紀末から五世紀初頭に造られたとされる国内最大級の前方後円墳の一つ。

 昭和の初めに発見された後、調査が行われ、現在は保存を兼ねて史跡公園として整備され、市民の憩いの場となっている。

 名の由来は後円墳の頂部に水神を祭った社があることに由来する。


 スマホで検索した内容を思い返しながら、長い坂道を登りきると、整備された芝生の敷き詰められた広い場所に出た。

 電灯は少なく、先ほどまで綺麗に見えていた月も分厚い雲の中に隠れてしまい、月明かりすら無くなったこともあって、入り口からでは古墳の姿を確認することはできない。


「夜の公園ってなんか独特の雰囲気あるな」


「魔法が使えればこんな苦労しなくていいのによー」


「だから、そうやって魔法に頼るのは止めてくれ」


 ここに来るまでも足では遅いからと、人魚に戻って空を飛ぼうとしたり、転移魔法なる長距離を一瞬で移動する魔法を使用しかけたのでどうにか宥めながら走って移動したのだ。


「どこだよ古墳、真っ暗でわかんねー」


「あっちだ。昔一度来たことがある」


「よし。案内してくれ」


「はいはい」


 歩いて移動するのは滴が許してくれないだろうと走り出す。

 それなりに身体は鍛えており特に長距離は得意なのだが、滴はなんなく着いてきた。

 むしろこちらの足が遅いと苛立っている。


 その不満げな顔と余裕のなさに疑問を覚え、走りながら問う。


「聞いて良いか?」


「小子のこと?」


「ああ。やけに過保護だけど何かあるのか?」


「小子はアタシたちとはちょっと違うんだ」


「……」


 無言で先を促すと滴は淡々と続ける。


「アタシだって帰ってきたら日本はずいぶん変わってたし、特に技術的革新っていうの? そういうのはもう別物と言ってもいいけどさ。それでも少し先の未来に来ただけだから、そこまで戸惑うことはなかった」


「あの娘は違うのか?」


「……ここが発掘されたのはいつだって?」


 突如全く関係ないことを問われ一瞬戸惑うが、すぐに記憶の引き出しを漁る。


「昭和の、初め」


 先ほど調べたアプリの記事では何かの工事の際に古墳の一部が見つかり、発掘作業が開始されたと記されていた。ハカリの答えに滴は真剣な顔のまま一つ頷く。


「アイツは昔ここに住んでたって言ってた。当然発掘が行われる前だ」


「……発掘前ならざっくり九十年、下手したら百年以上前になるか」


 平成が凡そ三十年。昭和は六十年以上。それより前から住んでいたとなればそうなる。


「アイツはなにも分からないまま異世界に飛ばされて、やっと戻ってきたと思ったら百年後だ。百年前なんて、今と比べたらそれこそ異世界と変わらないだろ」


「異世界からまた別の異世界にやってきた、みたいなものか」


「当然知り合いもいなけりゃ見慣れた景色もない。心細さはアタシらとは比べものにならねーよ」


 確かに。

 ハカリの場合、時間経過はたった半年。元々親もおらず、家族と呼べるのは妹同然の沙月一人。

 そんな自分ですら相当ショックを受けたのだ。これが百年後の未来に飛んで、知己もなく、景色すら丸変わりしていたと考えたら。


「そのアイツがずっと面倒見てきた同期のアタシにも黙って飛び出したんだ。きっと何かあったに違いない」


 走ることには不慣れなのか、スピードはあってもどこか不格好なフォームで駆けながら滴が真剣な声で言う。

 そういえば、小子が神託を聞いて倒れたとき、一番動揺していたのも滴だった。

 同期とは言っているが、外見的にも幼さの残る小子は、滴にとって世話の焼ける妹のようなものなのだろう。

 そうした存在が身近にいたから彼女の気持ちが理解できる。


「急ごう」


 一言呟き、足に力を込める。

 ここに来るまでもそれなり急いだため体力は残り僅かだったが、無理をする理由ができた。


「ああ!」


 一拍の間の後、どこか嬉しそうな滴の声と、外灯もほとんどなく真っ暗に近い史跡公園に不釣り合いな緑色の光が輝いたのはほとんど同時だった。

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