第9話 入庁決定

 帰りの車内は皆無言だった。

 話は市役所に戻ってから。と言われたこともあってハカリは口を閉じ、他の三人もそれに合わせるかのように、誰も口を開かなかったからだ。


 幸いなことに、警察に呼び止められることもなく、無事市役所まで帰ることが出来た。

 地面に直接公用車と書かれた駐車スペースに車を駐める。


「こんなデカいのあったんだ」


 市役所に着いたことで気が緩んだのか、車を降りた滴が横に置かれているトラックに手を触れた。


「イベントの荷物運搬用トラックだよ」


「あー。こいつの後ろに乗っておけば、変身しないで済んだかもな」


「トラックの運転なんて無理」


 実際は卒業後、運送会社への就職も考え準中型免許を取っていたのでこのサイズのトラックなら運転はできるのだが隠しておく。


「じゃ、練習しといてよ。これからも車使うこと多いんだしさ。次からこれで行こうぜ」


 暢気な滴の言葉が突き刺さり、先の光景を思い出しそうになる。


「行こう」


 フラッシュバックしそうなハカリに声を掛けた森羅が指したのは、市役所の裏口だ。


「俺もこっちから入るんですか?」


 当然職員証は持っていない。

 ここを出る時も一人だけ表から出たのだ。


「さっきは時間が無くて紹介しそこねたが、今のうちに顔見せをしておこうと思ってね」


「あー。三上か。また裏で寝てるんじゃないの?」


「そのときは叩き起こして」


 朝日の軽口を本気にしたのか、自分の拳を叩き、よーし。と気合いを入れる。

 そのやりとりで、彼女たちが話している相手が何者か察した。

 最初に市役所に来たとき、裏で寝ていた警備員だろう。

 歩いていく朝日と滴を見て、なんとなく足を止めた。


「行こ」


 森羅が先ほどと同じ言葉を繰り返す。

 ただし今度は言葉だけでなく、手も差し出していた。


「……」


 その手を取るべきかどうか一瞬悩んだが、こちらが動くより早く森羅の方からハカリの手を取って歩き出した。




「やっぱり、寝てやがったよコイツ」


 守衛室の扉が内側から開き、滴が一人の男を引きずって現れた。


「鍵は掛けてたんだけどね」


「アタシは鉄の入ってない壁なら簡単に抜けられるんだよ」


「朝日さん。今度立て直すときは中に鉄骨入れてよ」


 のんびりした口調の男は、長身痩躯ながら猫背とヨレヨレの制服のせいで、スタイルは良く見えない。


「善処しよう」

「しない奴だ。それ」


 帽子を被りながらやれやれと頭を掻いた男の視線が、ハカリを捉えた。


「君が例の新入りさん?」


「釣合くんだ。本当はもう挨拶が済んでいたはずなんだけどね」


 責める朝日の視線を流し、警備員の男は守衛室の中に戻ると、ガラス張りの正面受付の前で手招きした。

 招かれるままガラスの前に移動したハカリは男と向かい合う。


「初めまして。釣合ハカリです」


「手違いがあって悪かった。俺は三上、見ての通りここで働いてる警備員。俺は普通の人間だけど、そっちの事情は聞いている」


「俺が言うのもなんですが、よく信じましたね」


「本気で言っているのが見えたからな」


「見えた?」


「彼は異世界帰りではないが、生まれついての異能持ちだ。本来、そうした者は異世界に送られやすい傾向にあるが、不思議とまだ選ばれていない。ちょうどいいから、それまでここで警備員をしてもらっている」


 すかさず朝日が解説する。


「いずれ選ばれたときは、アタシがキッチリ送ってやるよ」


 呵々と笑う滴に、再び先ほどの一件を思い出しそうになったが、意志の力でねじ伏せて、態度には出さなかった。

 我ながらうまくできたと思うのだが、そんなハカリを三上がじっと見つめていた。


「色が変わったな。どうも他の連中とは毛色が違うみたいだ」


「色?」


 聞き返すが、それ以上なにも言わず、代わりにひも付きの透明ケースに入れられたカードを差し出した。


「業者とか見学用の一時入所証だ。正規の職員証が出来るまでこれを使って」


「分かりました」


「よし。行こうか」


 受け取ったカードを首に掛け終えたのを確認後、もう話は済んだとばかりに、三人は三上に一瞥もくれることなく、市役所内に入っていく。

 ハカリは会釈をしてからその後を追ったが、背中に声が掛かった。


「その色のままじゃあ、あいつらと同じ仕事は辛いよ」


 言葉の意味を尋ねようと振り返るが、既に三上は椅子に座り、取り出したスマホをいじっていた。


「行くぞー」


 再び声を掛けられ、後ろ髪を引かれつつも、きびすを返して三人を追いかけた。



 ・



「小子くん、ただいま」


「……はい」


 出迎えた小子に軽く手を上げて応えた朝日はそのまま奥の応接スペースに移動し、先ほどと同じ位置に腰を下ろした。

 他の者たちも同じように移動を始めたため、ハカリと森羅もそれに習うが、先ほどと違うのは、森羅が朝日ではなくハカリの横に座ったことだ。

 とはいえ、ある意味面接だった先ほどとは状況が違う。

 五人がこの並びのソファに座るなら、この比率がベストだ。


 なによりも今はそんなことを考えるより先に聞かなくてはならないことがある、とハカリは正面の朝日を見つめて、早速口火を切った。


「──あれが、ここの仕事ですか?」


「そうだ。あれが僕らの新しい仕事にして恐らくは最も重要な仕事となる」


 一度言葉を切った朝日はポケットの内側に手を入れたが、館内禁煙を思い出したらしく、鼻を一つ鳴らして取りやめる。


「さっきも言ったが異世界転生を行なうためには対象に一度死んでもらわなくてはならない。だが、これも話したけど今の上位存在のやり方は雑だ。たった一人を送るために、毎回大きな天災を起こされたら大勢の人に被害が及ぶ。僕らはそれを回避するために対象を先んじて送る。合理的だろ?」


「人殺しに合理的もクソも無いでしょう」


 殺すではなく送るという物言いが言い訳がましく聞こえて悪態を吐くが、朝日は怯むことなく頷いて見せた。


「異世界に送られた者の痕跡は死亡と同時に消えるため、我々の行動が法で裁かれることはないが、君の言うとおり人殺しは人殺し。だから言ったじゃないか。僕らの仕事に必要なのは、覚悟だと」


 抜き身の刃を思わせる鋭い視線が、ハカリの心を見透かしていた。

 今回の仕事に同行させられたのは半ば強制だったとはいえ、ハカリの気持ちは既に彼女たちと共にこの市役所で働く方向に傾いていた。

 それも施設育ちの自分が、市役所に勤められるのならばラッキーだ。という打算的な理由で。


 朝日はそうした甘い考えを見透かした上で、実際の仕事内容を知っても同じことが言えるのかと告げているのだ。


 事実ハカリは人が死ぬ現場、いや殺される現場を見たことで、強い不快感を抱いてしまった。


 そんな仕事に自分が関わって行かなくてはならないこと、もっと言うならいずれ自分がそれを実行する日が来るのではないかと考えると、この仕事に就く気も失せた。


(もう少し、ドライな人間だと思ってたんだけどな)


 思わず、心の中で自嘲する。

 これまで自分は他人がどうなろうと気にしないタイプだと思っていたのだが、案外繊細な神経をしていたのだと気付かされた。


 やはり断ろう。

 そう考えて口を開きかけた瞬間、右隣に座っていた森羅がハカリの手に自分の手を重ね、強く握りしめられる。


「え?」


「はー君が気にする必要はないよ。それは当然の感情なんだから。辛いなら異世界送りの仕事は私がやる。だから!」


 一気にまくし立てる森羅の言葉と握りしめる力、双方の強さに圧されるように身を引きそうになるが、瞬間瞳に映った森羅の表情を見て動きを止まる。


「いっしょに働こう。離れるのは……嫌だよ」


 何故、今日あったばかりの自分に、ここまでしてくれるのか。

 まったく分からなかったが、大きな瞳には涙が滲み、声は振るえている。

 年齢的にも口調も大人びた女性である森羅から向けられる剥き出しの感情は、間違いなく本気の意志が感じられた。

 何を言えばいいのかも分からず、言葉を失っていると、咳払いが鳴った。


「釣合くん。こうしてはどうだろう? しばらくの間は職員ではなくアルバイトとしてここで働くというのは。そうなれば戸籍や住む場所などの生活基盤は直ぐに用意できる」


「え? でも」


「業務は森羅くんの言うように他のものをやってくれればいい。異世界送りの業務で君に求めているのは運転技術のみだ。次の異世界送りまでは間があるだろうから、それまでに僕らのいずれかが正式な免許を取得すれば問題はない。そうして働きながら、覚悟が決まれば正式な職員となり異世界送りにも参加してもらう。しかしもし覚悟が決まらなかったなら、そのときはここを辞めて別のところで働けばいい」


 滔々と語る朝日に、手を握ったままの森羅が顔を輝かせる。


「……いいんですか。俺に都合が良すぎるというか」


「なに。そもそも僕ら本来の仕事は異世界帰還者の捜索と管理だ。君の世話も役所の仕事の内。なにより、国民が役所の制度を利用するのは当然の権利だよ」


 確かに。損をするのはあくまで市役所側であって、朝日個人ではない。


 しかしやはり引っかかる。

 何しろ、朝日は何の罪もない中学生を迷い無く殺したような人間であり、他の者たちもそれを当然と受け入れている。そんな者たちを信用していいのかと考えてしまう。


「なに? あいつら何の話してるの?」


「……人を殺す覚悟を決めるのは大変だから、逃げ道を作ろうって話」


「小子ちゃん。そんな身も蓋もない言い方……けど、うん。その通りだ。私たちは経験上その覚悟を決めるのがどれほど大変なことか知っている。だから、逃げ道を作っておくのは悪いことじゃない。むしろ当然のことだよ」


「そうだな。アタシもそうだった。一回目が一番キツいんだよな。あんなもん、やらないに越したことはないな」


「……うん」


 口々に理解を示す彼女たちの様子を見て驚き、同時に気付いた。

 それぞれ理由は違うが、全員が人間離れしていることもあり、会話をしていてもどこか物語の登場人物と接しているような感覚に陥っていたが、そうではなかった。


 彼女たちは皆、葛藤も共感もできる普通の人間なのだ。

 彼女たちを疑っていた自分が恥ずかしくなる。


「改めて聞こう。釣合くん。ここで共に働かないか?」


 差し出される右手を見つめる。

 悪魔でも、人外でもない、普通の女性の手だ。


 チラと森羅に目を向けると、彼女は一瞬間を置いてから、掴んでいた手を外す。

 その手は僅かに震えていた。

 一刻も早く安心させるため、間を置かず自由になった右手を使い、朝日の握手に応えた。


「こちらこそ、改めてよろしくお願いします」


 お互いの手に力が篭る。

 両肩を掴まれたときは冷たく感じられた朝日の手が、今度は少し暖かい。


「よし! もう終業時間も近い。後始末やら報告書は明日にして、今日はもう帰ろう」


 握手を終えたのち、わざとらしく声を大きくして全員に語り掛ける。

 壁に掛けられた時計を見ると、夕方五時を回っていた。


「うんうん! それが良いですよ。なんと言っても私たちは公務員、定時上がりは当然のことです」

「でも案外残ってる奴らもいるよな? 公務員って何が何でも定時で上がる人種だと思ってたからビックリした」

「今時は公務員も簡単に定時上がりは出来ないだろうね。僕から言わせれば仕事が多すぎる」


 公務員と言えば、定時上がりで休日や給料も安定した、ホワイトな職場と言われていたのも少し前までの話。

 こんなところでも地味に世代差を感じる。


「まあまあ。働きたい人たちは働かせておけばいいんですよ。私たちは帰れるんだし関係なしです」


「……じゃ、俺も病院に帰ります」


 子供のようにはしゃぎ続ける森羅の態度に気恥ずかしさを覚え、誤魔化すようにぶっきらぼうに言うと、朝日は不思議そうに眉を持ち上げた。


「何を言っているんだ? 君はもう退院扱いになっているから病院には戻れないよ」


「え?」


「だって怪我一つないだろ。記憶の方も君が行っていた異世界にいる上位存在の仕業だからどうしようもないし、病院にいても仕方ないよ」


「いや、それじゃ俺の住む場所は?」


「さっき室長が言ってたでしょ。はー君の住む場所もちゃんと用意するって。もう家具も揃っているからそのまま入れるよ」


 私が掃除をしました。と森羅が胸を張る。


「ずいぶん手回しが良いですね」


「ああ、戸籍も近日中に発行できる手続きはとってあるから。せっかく整えた用意が無駄にならなくてよかったよ。中止となるといろいろな部署に話を通さないといけないからね」


 茶目っ気たっぷりに告げる朝日を見て、ふと思いつく。


「さっきの提案って、まさか中止の手続きが面倒だったからじゃないですよね?」


 冗談半分、本気半分で問うが、朝日は無言のままニヒルに笑っただけだった。

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