第11話 神降しの儀
水神丘古墳は県内最大と言うだけあって面積だけでなく、高さも相当なもので、その中でも一番高い位置にあるのが後円部の中央だ。
目的地である社はそこに存在するのだが、不揃いな石造りの階段と周囲の暗さもあって上るのには苦労した。
その間にも滴はズンズン先に進み、先に登頂部までたどり着いたのだが、彼女はそこで足を止める。
そのまま小子の元まで駆け出すと思っていたため不思議に思うが、滴に遅れること数十秒。
ようやくハカリも上りきったことで、彼女が足を止めていた理由が分かった。
古墳全体は芝生で覆われているのだが、登頂部だけは生えておらず、縁を囲むように背の高い木々が生えていることもあって、周囲から隔絶された空間となっている。
小子はそんな空間の中央に鎮座する粗末な社の周りで、舞を踊っていた。
重力の楔を全て解き放っているかのような、軽やかで美しい舞。
長い跳躍の後、ほんの一瞬だけ足が地面に触れる度、神秘的な緑色の光が薄く輝き、その軌跡によって彼女が社を中心に円を描いて踊っていることが分かった。
手には大幣が握られ、地面が発光する度に大幣と暗い和服の裾や袖に、光が反射して闇夜に彼女の姿を妖しく映し出す。
神々しさすら感じる光景に目が奪われる。
その舞には邪魔をすることはおろか、軽々に声を掛けることすら許さない神聖さが満ちていた。
だがそう感じていたのはこちらだけらしい。
動きを止めていた滴が、何の前触れもなく再起動して歩き出し、そのまま足を進めて、儀式によって生じた円の中に割って入ってしまったのだ。
「おーい。小子、ちょっと止めろ!」
突如進行上に割り込んできた滴に小子は足を止め、地面に両足を着いた。
同時に薄く輝いていた光の輪が消える。
「なに?」
神託が降りてきたときを除いて、感情の起伏が無い人形のような小子にしては珍しく、声だけで不満を持っていることが分かった。
この場合のなに? は何故邪魔をするのか。という意味だ。
チラと社に目をやると、高そうな紫色の布にくるまれた物が供えられており、小子はそれと上空を何度か行き来するように視線を動かしていた。
「月が隠れる。邪魔しないで」
「月?」
「今宵は良い月が出てる。儀式にもってこい」
光の輪が消えたことで、ハカリもようやく彼女に近づき、同時に何となく状況を掴む。
これが何の儀式かは不明だが、それは夜、それも月の出ている時にしかできないものらしい。
だからこそ、小子はこんな時間にここまでやってきたのだ。
つまり、滴が予想したような望郷の念に駆られ、かつて実家があった場所に訪れたのではなく、単なる巫女としての仕事の一環ということだ。
二人がその事実に気付いたのは恐らく同時だったのだろう。ハカリと滴は互いの顔を見て、視線を交わしたが、次の瞬間には滴の方から視線を外し、誤魔化すように宙を仰いだ。
その子供じみた態度を見て、呆れと共に大きく息を吐いた。
大騒ぎの結果としては肩すかしを食らった気分だ。
改めてハカリは小子に一歩近づくと、小子は初めてハカリに気付いたらしく、僅かに驚いたように目を開けた。
「貴方。今日来た人」
「ああ、さっきはどうも。えっと、大中さん?」
「言い忘れてた。こいつも名前で良いよ。一人だけ名字っていうのもなんだし」
この僅かな間で調子を取り戻した滴が口を挟む。
「いや、それは滴が決めることじゃ──」
「それで良い。早く話を終わらせて」
小子がピシャリと言う声には更なる苛立ちが募っていた。
もう一度息を落としてから、ハカリはゆっくりと語りかける。
「邪魔したのは悪かったけど、その儀式とやらは今日はもうやめた方が良い。あの光は目立ちすぎる。警察でも呼ばれたら面倒だ」
史跡公園の周りは住宅地だ。
こんな場所であんな目立つ光が何度も灯ったら確実に通報される。
「面倒? 何故?」
「今の時代はハイテクになりすぎて、魔法の力でも誤魔化すのが難しいんだと」
ここに来るまでの間魔法を使おうとする滴を止めようと何度も言った台詞を、今度は滴が小子に言う。
「はいてく?」
「あー、ハイテクって言うのは……」
首を傾げる小子に滴が説明する。彼女たちを含め、異世界から帰還した者たちは、魔法や式神といった超常的な力を持つが故に、現代科学を侮っている節がある。
そもそも魔法がどの程度のことまで出来るかもハカリは知らない。
金や時間を掛ければ科学の力でも代用可能な程度なのか、それとも現代科学を以てしても不可能なことまで出来るのか。
それこそ存在が公になり、危険な力だと認定されて、捕縛や排除のために警察や自衛隊などが派遣されても、打ち破れるほどのものだとしたら、これほど無防備な態度を採っている理由も分かるのだが。
「ふーん。夜しかできないのはわかったけど。結局なんの儀式なんだよ」
考えごとをしている間に、滴と小子の話は本題に入っていた。
こちらも思考を一時中断して、二人に目を向ける。
「神降しの儀」
ポツリと呟く小子の言葉を受けて、滴は尖らせていた唇を開け、少し考えていたが、直に手を叩く。
「あー、そうか導具造りか。確かに今のままだとシツチョー一人に任せることになるからな」
「道具って?」
「シツチョーの使っていた名刺だよ」
「ああ。あの──緑色に光っていた」
中学生を斬ったとは流石に言えなかった。
「あれにはシンラが上位存在って呼んでいる奴の力が宿ってる。そいつで対象を送ることでアタシたちは代わりに異世界送りができるわけだ。だから異世界に導く物って意味を込めて導具」
確かに朝日が使用した名刺が纏った光は、その後異世界送りの対象であった少年の体から発生し、その痕跡や母親の記憶をも消し去った際のものと同じ色をしていた。
「つまり。その導具を造るのがさっきの儀式なのか」
「ああ。アタシもシツチョーがあの名刺をどこから持ってきたか知らなかったけど、小子が造ってたとはな」
アタシには説明もしないで。と言う滴の声は拗ねた子供のようだ。
「造るわけじゃない。神様に舞を奉納してその御力の一端を降ろす。それを物に込めて道具を導具に進化させてる」
滴の説明では足りないと言うように、小子が付け加えた。彼女にしては珍しい饒舌さだ。
「しかし、何でまた今日なんだ? 次の異世界送りまでは時間あるだろ?」
「もしもに備えてなるべく早く欲しいって森羅さんが。あと、今宵は良い月だったからつい」
「シンラが? なんで急に──あ」
顎先に手をやって思案した滴が、直後手を叩く。
「なに?」
「あー、いや。うん、何でもない」
そのあからさますぎる態度で逆にピンと来た。
「そう言えばあいつ、異世界送りを自分でやるって言ってたな」
ハカリを市役所に勤めさせるために告げた言葉が口だけでないと証明するため、異世界送りに使う導具を作るという形で示そうとしたのだ。
要するに巡り巡って、今回の発端はハカリということになる。
それを自覚した途端、何の前触れもなく心臓が跳ねた。
なにかを訴えるように拍動する心臓に手を置いて抑え込むと、勘違いしたらしい滴がおずおずと口を開く。
「いや、気にするなよ。市役所でも言ったけど、こういうのは一回目がキツいんだから……ほら、小子も何とか言えよ」
「……そろそろ続きやって良い?」
「お前なー……あれ?」
空気を読まない小子の発言に苦言を呈そうとした直後、滴が何かに気付く。
「今なんか下の方で赤い光が」
「赤?」
胸に置いていた手を外し、滴が指した方向に目を向けると、確かに赤い光が見える。
回転するその光の正体は一目で判った。パトカーの赤色灯だ。
「警察だ! 逃げるぞ」
ハカリはまだ戸籍も持っていない、こんな状況で警察に捕まるのはどう考えてもまずい。
未だ事態を飲み込めていない小子の腕を引いた滴がその場から駆け出す。
ハカリも全速力でその後を追いかけた。
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