第5話 異世界帰還者

 案内された応接スペースには三人掛けのソファが向かい合わせに並び、右側にのみ一人掛けのソファが置かれていた。


 一人掛けには滴がするりと座り、森羅、朝日、小子の三人は奥のソファに並んで座った。

 必然的にハカリは反対側のソファに一人で座ることとなった。

 対面した全員の視線がじっと向けられている状況は面接のようだ。


「先ず、君は異世界転生という言葉を知ってる?」


 思いもよらぬ切り出し方に一瞬戸惑うが、直ぐに答えた。


「ライトノベルとかネット小説で流行っている奴ですよね?」


 自身はさほど興味はないが、お金のかからない趣味ということで、施設の共用タブレットなどでそうした小説を読む者は多い。


「ライト? ああ、YAか」


「わいえー?」


「ヤングアダルド小説だよ」


 森羅が横から付け足す。

 図書館などの分類では、未だにライトノベルをヤングアダルトと表記しているのを思い出したが、口語としては今時あまり聞かない表現だ。

 園長が児童からライトノベルの説明を受けて似たような反応を示していたのを思い出した。


 しかし、朝日はどう見ても二十代前半。

 五十代の園長と同じような反応を見せるのは違和感があった。


「僕らはそれだ」


「それってなんです?」


 朝日に他意はないのだろうが、あれだのそれだのと要領の得ない言い方に、僅かに語気が荒くなるが、朝日は気にも留めない。


「だから異世界転生。僕ら全員、異世界に行って帰ってきた者たちの集まりなんだ」


「異世界?」


「そう。元異世界転生者、いや。戻ってきたわけだから異世界帰還者と呼ぶのが正しいか」


 朝日は淡々と言うとジャケットの内側から彫金の施された金属ケースを取り出し、慣れた手つきで中からタバコを一本取り出した。

 シガーケースのようだが、デザインも古く、そもそも今時喫煙室でもない場所であっさりタバコを吸おうとしていることに驚いていると、再び横から森羅が口を挟む。


「室長。役場内は禁煙ですよ」


「堅いことを言うなよ」


「タバコの臭いが服に着くのはイヤです。それに小子ちゃんの人避け結界は臭いまでは遮断しませんから、人が集まるかもしれませんよ」


 朝日の表情が渋面に変わり、少しの間考えるようにタバコを指で弄んでいたが、やがて肩を竦めてケースに戻すと、煙の代わりに深いため息を吐いた。


「副流煙とか言ったか。こんな軽いタバコの煙なんていくら吸っても害なんか無いだろうに潔癖が過ぎるよ」


 そう思わないか。とでも言いたげな流し目に、ハカリもまた彼女に合わせるように肩を竦めた。


「なんだか、タイプスリップしたみたいな言い方ですね」


 言いながら、自分が口にしたセリフに引っかかりを覚えた。

 先ほどライトノベルをYAと呼んだこともそうだが、古くさいシガーケースに、分煙の概念も知らないような物言い。

 明らかに現代人の常識や価値観からズレた考え方に、彼女が口にした異世界帰還者という荒唐無稽な言葉を合わせると一つの仮説が浮かび上がる。


 シガーケースを内ポケットに戻した朝日は、答え合わせだと言わんばかりに唇の端を持ち上げた。


「君は半年で戻ったそうだが、僕の場合はもっと長かった。浦島太郎の気分だよ」


 あの事故で自分が傷一つなく生還したこと。

 半年分の記憶の欠落。消えた戸籍。人魚やエルフ。

 そしてなにより、沙月の記憶から消えている事実。

 これらを全て繋ぐ答えこそが、異世界帰還者。


「異世界から帰ってきたのは貴女たちだけでなく、俺もそうだって言いたいわけだ」


 何とか冷静さを保とうとするが、完全とはいかず、年長者であり、己の置かれた状況を知る手がかりを持つ朝日に対する敬語が崩れてしまった。


「そーいうこと。記憶がないって聞いていたけど理解が早いな」


 ケタケタと笑いながら滴が一人掛けのソファから人魚のヒレを振るう。

 近くで見てもその姿には現実感が無く、ずっと映画やCGを見ている気分だったが、急に現実味を帯びて見えてきた。


「信じてくれたみたいで嬉しいよ。そこが一番の難所だと思っていたからね」


 無論完全に信じた訳ではないが、少なくとも話を聞く価値はあると判断して姿勢を正したハカリを見て、朝日は本題に入った。


「君の言うとおり。僕らはかつて異世界に転生し、その後こちらの世界に帰ってきたんだ」


「異世界人がこの世界に転移してきたのではなく?」


 ちらりと森羅と滴を見る。

 少なくともこの二人に関しては、異世界人がこの世界に転移したようにしか見えないが、その疑問には森羅が答えた。


「私たちも普通の人間だよ。滴ちゃんは転生したときに人魚へ生まれ変わって、私は異世界で暮らしている途中でエルフに転職しただけ」


 にわかには信じられないセリフだが、一度死んで転生した以上そういうこともあるのだろうと無理やり納得する。


「僕らと君の違いは、記憶の有無だ」


「つまり、貴女たちは異世界での記憶があると?」


「そー。アタシらは自分の置かれた状況を分かっていたからこそ、大人しくシツチョーの話に乗ったんだ」


「話って?」


 内容が見えず戸惑うハカリに、朝日はニコリと作り物めいた笑顔と共に手を差し出した。


「僕らと共に働こうって話さ」


「ええ?」


 驚くハカリを見た朝日は怪訝な顔をしたが、森羅が気づく。


「室長。警備の彼から話を聞いてないのなら、その話も知らないんじゃないですか?」


「あー、そうか、そうだね。はあ」


 分かりやすくため息を吐き、気を取りなおすように朝日の視線がこちらに戻る。


「実はね。今日来てもらったのは事情の説明だけでなく、勧誘も含まれていてね」


 前に出していた手を持ち上げ、ハカリの後ろを指す。

 振り返った先には森羅が見せてくれた表裏別々の名称が刻まれたプレートがぶら下がっている。


 天災対策企画課・異世界転生応援室。


 ふざけているとしか思えなかった名称も、ここまでの話を聞くと納得できる。

 ようするにここは、彼女たちやハカリ(朝日たちはともかく、自身が異世界に行っていたという話はまだ完全に信じたわけではないが)のような異世界帰還者を集めるための部署なのだ。

 その上で勧誘とくれば、流石に言いたいことは理解した。


「俺がここで働くってことですか?」


「うん。この勧誘を受け入れてくれれば直ぐにでも新しい戸籍と、住む場所を用意しよう」


 確かに。

 朝日の言うことが本当ならば、戸籍が消えているのもまた事実。

 現代の日本にも無戸籍児が存在すると聞いたことはあるが、まともな職に就くどころか、保証人も居ないため、アパートを借りることすら難しいと聞く。


「……勧誘を受けなければ、無戸籍のままですか?」


 そうした無戸籍児の問題を逆手に取って脅すつもりなのか。と言外に告げると、朝日は苦笑しながら手を振った。


「そんなことは無い。あくまでこちらの預かりになれば直ぐに用意できるというだけ。居場所さえ明らかにしてもらえれば、多少時間は掛かるが戸籍は用意するし、別の場所で働いて貰っても構わない。そのときは僕が保証人になっても良いよ」


「……とりあえず、話を進めてください。どんな仕事をするのか、危険はないのか。あったとすればどの程度のものなのか。知ってからでないと」


「もちろん。まずは異世界転生について話そう」


 そう前置きをして朝日は伸ばしていた手をテーブルの上に戻し、指先でコンコンと叩いた。


「この地ではね、昔から異世界転生が存在していた」


「それは、神隠しみたいな?」


「少し違う。神隠しは消えたことをみんな覚えているだろう? 異世界転生で送られた人間は存在そのものがこの世界から消える。いや生まれた事実すらなかったことになると言うべきかな」


 ハカリと対峙した沙月の反応を思い出す。

 確かにあれは記憶喪失というよりは、ハカリと出会った事実すら消えているようだった。


「……っ」


 思わず拳に力が籠もるが、朝日は気付かず説明を続けた。


「ちなみに送られる異世界は一つではなく無数に存在する。実際僕らはみな別々の世界に送られた」


「だな。アタシが送られた世界じゃエルフとかいなかったもん。つーか世界そのものが水没してたから、水の中で生きられる生物以外存在してなかった」


「私の世界ではエルフも人魚も普通にいたし、あっちの世界でも神殿に行けば別の種族にも転職というか転生できるゲームみたいなシステムだったよ」


 そのまま異世界談義に入りそうになるところを朝日が手で制して、話を戻した。


「そうして送られた異世界で、僕らには大きな役割が存在するのだが、それを解決した者には、ご褒美として選択肢が与えられる。すなわちそのまま異世界に残るか、それともこの世界に戻ってくるか。だ」


「その選択で、俺も含めてみんなこちらの世界に帰ってくることを選んだってわけですか」


 どうせなら戻るときに記憶や戸籍も戻してくれれば良いものを。とそこまで考えて、ふと疑問を抱く。


「さっきから送る送るって言ってますけど、異世界に転生するのは自然現状ではなく、誰かが意図的にやっているってことですか?」


 ハカリが疑問を投げかけた途端、場の空気が一瞬停止した。


「そうだ。異世界転生は偶然じゃない。強大な力を持った何者か。いわゆる神様のような存在が意図的に人を送り出している。それこそがこの部署が新設された理由でもある」


 朝日は右手の指を持ち上げて続ける。


「僕らの主な仕事は未登録の異世界帰還者の発見と管理だ」


「発見と管理?」


「そう。君のようにあっさり見つかれば良いが、記憶も力も持った異世界帰還者は見つけること自体難しい。同時にそんな危険な存在を野放しにしておけないから管理も行うというわけだ」


 常識的に考えてエルフや人魚のようなこの世界には存在しない者たちを放置しておけないのは分かるが、危険の意味が分からず首を傾げる。

 その意味を問う前に、朝日は話を進めた。


「しかし、最近になってもう一つ別の業務が加わった。それが──」


 話の途中で突如、彼女の右隣に座っていた小子が立ち上がった。


「小子ちゃん?」


 朝日を挟んで反対側に座っていた森羅も驚いたように名を呼ぶ。


 今まで挨拶の時以外まともに口を開くこともなく、ソファに移動してからも置物のように黙って話を聞いているだけだった小子が、目を見開きながら崩れるようにソファに落ちていき、両手で頭を抱え始めた。


「ちょ! 小子? 大丈夫か?」


 一人用の椅子から身を乗り出した滴が支えると、小子はそちら側に身を寄せた。

 その様子を見て森羅が眉を寄せ、朝日を見る。


「室長。これってもしかして」


「ああ。小子くん、神託か?」


 一人だけ表情を変えず冷静な朝日が、彼女の背にそっと手を当てて聞くと、小子は小さく、けれどしっかりと頷いた。


「これは一体」


 困惑するハカリの言葉には答えず、朝日はため息を吐いてから口を開く。


「僕らに課せられた新しい仕事。それは──」


 一度言葉を切り、もう一度深く息を吐いてから朝日は覚悟を決めたようにこちらをまっすぐ見据えた。


「異世界に人を送ることだ」

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