おしたりひいたり

坂崎かおる

おしたりひいたり

 ヨコハマ万国博覧会は盛況のうちに終わった。のべ150か国が参加し、「海洋博」との異名にも相応しく、海や水資源に関する技術の展示が目立った。会場の外では、「このようなコストの大きなイベントこそ資源の無駄遣いではないか」などとした抗議活動が行われたが、大きな衝突もなく、みな、ルールを守ったうえでお互いがお互いの主張をしていた。メディアは概ね好意的な形で報道し、近年の開催の中では比較的フラットな終わり方を見せた。

 ただ、規模が大きくなればなるほど、問題なく終わるということは難しく、今回に関しても、些細な問題が終了後に発見された。ひとつの国のブースの引き取り手がいなくなったのだ。

 その国はミクロネシア連邦から独立した国、と記録上はなされていた。いくつかのかなり小さな島々から成り、和名ではその一群を〈貝楼諸島〉と呼ぶと、外務省による通達でもって一般化していた。ただ、国連に加盟しているわけでもなく、政府も国として認めているわけではない。万国博覧会は日本国際博覧会協会が主催として行なっているのだが、実際の運営になってくると下請けの下請けが行うために、その辺りの意思決定が多少ともおろそかになっていたことは否めない。どこかの手続き上の手違いで、ひょっこりと〈貝楼諸島〉の名前が紛れてしまった、というのが大方の意見であった。その意味で、今回の万博に参加したことが、〈貝楼諸島〉にとって国際外交上における初めての大きな仕事であった。

 オセアニアのブースの責任者はヨコハマ市役所の国際渉外課のサイトウであった。部下から〈貝楼諸島〉の展示物が片付けられていないと報告があったのは閉幕した数日後で、会場は既に次のイベントの準備が始まっていた。部下はずいぶんと気の利く若者で、〈貝楼諸島〉の展示品のあれこれをダンボール数箱にまとめて役所まで運んでいた。

 サイトウは実際の展示を一度しか見ていなかったが、こじんまりとしたブースだったことを覚えている。オリーブを品種改良して二倍に収穫量が増えたことと、海水を真水に変える安価なろ過システムの紹介ぐらいだった。ただ、展示方法は身体拡張の仮想現実型で、〈ポッド〉と呼ばれる機械の中に入ると、実際の〈貝楼諸島〉に降り立つような経験ができるというもので、これは好評を博したらしい。ポッド自体は他国の製品ということだが、〈貝楼諸島〉と繋がりのある会社のようで、この機械自体も世間的には初めてのお披露目だった。

 ポッドは小さな自販機といった風情で、他のダンボールと一緒に、役所の倉庫にとりあえず置かれた。中は曲面ディスプレイが囲んでいるが、重点は視覚野における他の感覚制御にあり、その技術が、いわゆる従来のヘッドセット型の仮想現実とは一線を画すと評判だった。アバターとして自分を彩ることも可能で、「現実より現実らしい」というのが、体験をしてみた部下の謂いである。

 〈貝楼諸島〉は国として認められていないので、大使館が日本にあるはずもなく、日本も外交上の接点を持っていなかった。書類上の連絡先には、「アラム・ラム」という渉外担当の名前と電話番号などが記されていたので、サイトウはとにかく何度もそれらにコンタクトを試みた。だが、電話は繋がらず、メールは宛先不明で返ってきた。

 しばらくすると、妙な噂が立った。〈貝楼諸島〉の人間だけでなく、そのブースを訪れた何人かも行方不明になっているというものだった。「僕は存在してますけど」と体験した部下は笑ったが、ネット上のミームとして、その話はまたたく間に広まった。「〈貝楼諸島〉ってなに?どこにあるの?調べてみました!」というサイトが乱立し、匿名掲示板には「貝楼諸島の国民ですけど質問ある?」というスレッドが立ち上がり、警察には数件行方不明届が出されたと一部メディアが報じたが、いずれも無関係の事件だったそうだ。さながら黎明期の「きさらぎ駅」や「テケテケ」のような実話風怪談として、〈貝楼諸島〉は人々の口端にかかった。

 〈貝楼諸島〉に上陸したという人物の手持ちカメラによる動画が投稿された頃が、噂の最盛期だっただろうか。手振れのひどいカメラが、荒い息づかいとともに、島の様子を映し出した。カバンに隠されたようなカメラが島の港の様子や、浅黒い肌の人々を映し、奇妙なイントネーションの言葉を響かせた。この動画は公開後数時間で削除されたことも話題となり、転載に転載を重ね、画質のより悪くなった動画が常にランキングの上位にいた。後に、マイナーな映画監督による創作動画だと発表され、炎上状態になったが、一部ではそれすらも国家の陰謀の一つだという見方が根強くくすぶった。

 国会では野党から、〈貝楼諸島〉を万博に呼んだことに対する責任を問う声も出始めた。招致決定までのプロセスが不透明だったことや、関係書類が破棄されていたことが物議を醸し、審議は幾度も中断した。招致に関わった国会議員が答弁した際に発した、「存在すれども認知せず」は、モラハラ夫の下手な言い訳のようだとその年の流行語になった。

 サイトウは現実的な人間だった。不合理な事象には必ず解を求め、理由を考えた。少なくとも、世間が騒ぐような出来事は、その表層に比べて真意は単純なものだと考えていた。サイトウにとって確たる事実は、「〈貝楼諸島〉のブースの物品は残っている」ことと、「未だ持ち主は取りに来ない」という2点だけであった。そこには国家の思惑もあるかもしれないし、行政の怠慢があるのかもしれない。そこそこ長く国際的な渉外を担当してきたサイトウにとって、程度の差こそあれ、そのようなことは日常茶飯事であり、陰謀論めいた情報は全て想像の産物と切り捨てることができた。よしんば何か国家による世界的な企みであったところで、いち役所ができることは変わらないのだ。彼の現実とはそういう現実であった。自分の四方数メートルの範囲を滞りなく済ませるということに関して彼の手腕は非常に長けていた。彼は〈貝楼諸島〉をめぐる世間の狂騒を冷ややかに眺め、未だ現れない渉外担当のために、預かっている物品をポッドも含め「借用扱い」にし、課内での倉庫の検品作業のルーティンに当てはめた。部下がときどき持ってくるゴシップ的な情報を右から左に聞き流し、彼は別の業務へと移っていった。

 だから、ポッドの制作会社の社長がサイトウに会いたいと申し出たときは、意外さよりも面倒臭さの方が先に立った。〈貝楼諸島〉をめぐる話題から半年以上が経過しており、サイトウ自身も会社名を聞いて思い出すのに少々時間を要した。

「回収に参ったわけではないのです」

 会議室で、社長はそう言った。華人なのだろうか、クセの強い英語だった。「所有権は既に〈貝楼諸島〉へ移っておりますので、私どもで預かるわけにはいかないのです」

 会社はシンガポールを拠点とした小さなものだった。主要製品だろう仮想現実機器のシェアだけクローズアップしても、お世辞にも大きいとは言えない規模である。サイトウは男の出立ちをしげしげ眺めた。さすがにいいものを身につけているが、分不相応という印象も受けなかった。自分が人に与える印象をよくわかっている人間の装いだった。

「ただ私たちの製品ではございますので、何かお困りのことがあればお力になりたいと思った次第です」

 日本へは「他のビジネスの都合」で来ただけということで、要はついでというわけだ。だったら忘れてくれていればいいのに、とサイトウは内心思った。

「そちらから〈貝楼諸島〉の方に連絡はとれないのですか」

「なにぶん、途上国でございますので」社長は愛想笑いを浮かべながら言った。「どうも迅速なやりとりというのは苦手のようで。しかし、ポッドについては回収したい旨は申しておりました」

 それは初耳だったので、サイトウは驚いた。ならば連絡をお願いしたいと訊ねると、社長は頷きながらも「期待はしないでください」と言った。どうやら、費用の問題で、先方はあまり乗り気ではないということを、彼は付け加えた。「結局、向こうの国にあったところで無用の長物でございますからね。現在の国際法では、リサイクル費用だってあの手のものはバカになりません。このままのらりくらりとやり過ごしたいというのが本音でしょう」

 それはおたくもそうでしょう、という言葉をサイトウはかろうじて飲み込んだ。現実はつまらない理由でしか動かないのだと、彼は自分の認識をまた強くした。

「サイトウさんは、〈貝楼諸島〉へ行ったことは?」

 話は終わりらしい。社長はくつろいだ姿勢でそう訊ねた。サイトウが首を振ると、彼は少し意外そうな顔をして何かを言いかけたが、「空気がおいしいんですよ」と毒にも薬にもならない言葉を口にし、黙った。奇妙に間延びした沈黙が流れ、サイトウはつなぎに、「どうして御社は〈貝楼諸島〉とつながりが?」と訊ねた。

「祖父が、独立前のあの国の出身なのです」淀みなく彼は答えた。「彼はいわゆる山師で、さんざん危ない橋を渡ってきました。たまに姿が見えなくなるので居場所を尋ねると、たいてい母は東の島の向こうを指しました」

 なぜだと思います? と彼は訊き、サイトウが何も答えないと、その島には監獄があると社長は言って笑った。「でもおかげで、島ひとつ手に入れることができたんです。そこは今も我々一族の所有地となっていて、それなりに恩恵があるというわけです」

 いろいろと不便なので誰も住んではいませんが、と社長は付け足した。

「一度、祖父の家までお遣いにいったことがあります」彼は懐かしそうに言った。「お遣いといっても、そのとき祖父は島ひとつ分向こうにいたので、舟を借りて、えっちらおっちら漕いで行きました。祖父の家はすぐ見つかり、彼はにこやかに出迎えてくれました。ところが」

 社長はそこで言葉を切り、お茶を飲んだ。すぐには話し始めず、ソファの縫い目をそろそろと触っていた。

「ところが、周りに誰もいない。家はあるんです。村ができている。だけど、人がいない。私は不思議に思って、祖父に他の村人はどうしたかと訊ねました。祖父は黙って私を、外れの丘まで連れて行きました。そこには石がいくつもありました。大きさはそれぞれでしたが、どれも人の赤ん坊ぐらいある、それなりのものです。『この下だ』祖父はそう言いました。私は聞き間違えたかと思い、問い返しました。祖父ははっきりと答えました。『この下だ。俺が殺して、埋めた』」

 サイトウは思わず息を呑んだ。まじまじと社長の顔のあたりを見たが、どうにも輪郭を見失い、壁の色と同化してしまったのかとサイトウは感じた。しかし、そう思ったのはほんの一瞬で、すぐに彼の顔は元通りになり、その表情は笑っていた。

「私も震えあがりましたが、帰って母に訊いたところ、その村は政府の指示か何かで放擲された場所だったんです。だから、元から人が住んでいませんでしたし、祖父の言っていることは何一つ事実ではないと。担がれたんですよ、私は」

 サイトウもつられて笑った。でも、もし。心の裡で彼は考えた。でももし、彼の祖父の言うことが本当で、その石の下にすべて村人が埋まっているのだとしたら。だとしたら彼は何のためにそうしたのか。ひとりきりの王国をつくり、何を統べようとしていたのか。そうでないとは誰も証明できない。〈貝楼諸島〉が存在しないことを、誰もが確かめられないように。サイトウは丘に並ぶ、灰色の、ごつごつとした石を思い浮かべた。それは何故だか容易に想像することができた。

「私が祖父から学んだことは2つ。人は信頼した方がいいということ。それから、人を信用しない方がいいということ」

 人生とはそういうものでしょう。社長はそろりと立ち上がり、「お時間いただきまして」と握手を求めた。サイトウは彼の大きな手をがっしりとつかみ、妙にヒヤリとしたその感触を不思議に思った。

「そういえば、ポッドには入りましたか?」

 部屋から出る直前、社長は振り返った。サイトウが首を振ると、彼は「それがよろしいでしょう」と言った。「お入りにならないほうがいいと思いますよ」

 それから何年か過ぎ、定年の年に、サイトウは〈貝楼諸島〉の話題を久しぶりに耳にした。当時の万博の〈貝楼諸島〉のブースの画像だった。男がひとり、真面目な顔をして立っている、何の変哲もない画像だ。この男の顔と似た人物が発見されたということで、界隈を賑わせた。だが、その人物の画像は「敵対的生成ネットワークによる画像合成技術」でつくられたもので、平たく言えば、現実には存在しない顔だったのだ。つまり、存在しないはずの人間が、〈貝楼諸島〉のブースを仕切っていたのである。この話題は多少盛り上がりはしたものの、数年前のことでもあり、また、顔の似ている似ていないは如何様にでも語れることから、すぐに下火になってしまった。しかしサイトウはこの話が妙に気になり、何度か男の画像を見つめた。気が付いていなかったが、その記事を読むとき、いつも彼は自分の頬に手を触れていた。

 定年の日、挨拶回りをする途中で、彼は倉庫に立ち寄った。ポッドもブースの荷物も、まだそこにあった。サイトウは「収穫量が2倍になったオリーブ」のパンフレットをぱらぱらめくり、「海水から真水になった」長期保存用ミネラルウォーターを電灯に透かした。サイトウは妙に不安な気持ちになった。自分が退職した後も、この管理が為されるような体制はしたものの、その持続性が心配なのではなく、これらをいつまでも持続していかなければらない状態に、穏やかならざるものを感じたのだ。

 試みにポッドの扉に手をかけると、それはいともたやすく開いた。魚を飲みこむワニの口のように。誰かが電源をつなぎっぱなしにしていたのだろうか。サイトウはするするとその中に入った。初めてだった。扉は自動で閉まり、ディスプレイが起動する。そこは森だった。手足はコネクタバンドに繋がれ、サイトウが一歩踏み出すと、柔らかい葉っぱと木屑の地面を感じた。風が吹く。潮風だ。風に向かって歩き出す。肌にざらざらとした汗がまとわりつく。すぐに森は開け、太陽がぎらりと彼を照らし、熱を感じる。青いクレヨンで不器用に描いたような水平線と、淡いパステルの空。空気には味があるようで、大きく胸に溜め、吐き出し、それを体いっぱいにめぐらせた。

「ようやく帰ってこられましたか」

 振り返ると、男が立っていた。見たことのない衣装を着ている。「みな、心配しておられました、アラム様、、、、

 サイトウは口を開いたが、出てきたのは「ああ」という返事だけだった。

「では行きましょう。博覧会の準備をせねば」

 彼は歩き始めた。また無意識に、彼は自分の頬を撫でていた。あのポッドの扉は。彼は考えていた。押して入るのだったか、引いて入るのだったか。オリーブ畑が遠くに見える。

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