第92回 ハケンアニメ! その2

 続きです。


 第2章の題は、「女王様と風見鶏」です。女王様は主人公の斎藤瞳。この章の中心人物です。


—―“バタフライ”と呼ばれるロボットを操縦し、宇宙からの侵略者から地球を守る少年たちの闘いを描くアニメーション作品。

 瞳は知らなかったが、テレビ放映で人気を博し、子どもたちがその年一番熱狂した作品だったらしい。グッズやフィギュア、ロボットのおもちゃなどの関連商品もよく売れていたそうだ。

 主人公が住む街は、瞳の生まれ育った街とよく似ていた。建物がまったく同じ表情で向かい合わせに立つ団地、ちっとも珍しくない、その合間にある狭い児童公園、何にも特別でない少年たちが、「楽しいからやろうぜ」とロボットを駆って、誰に褒められるわけでもないのに、敵に立ち向かっていく。

 団地が廃墟化したり、都市デザインの観点からも悪く言われていることを、大人になり始めた瞳は知っていた。瞳が暮らしていたあの団地も、その頃もう住人の多くが一人住まいの高齢者になっていた。けれど、『バタフライ』を観て驚いたのは、そこに出てくる少年たちにも、その親にも、誰一人悲壮感がないことだった。実写の映像より、よほど本物らしく体温が通った絵の中で、たくさんの人たちが生活している。

 作り手である大人たちは、当然、団地の現実や、狭い場所を住み分けるように暮らすコミュニティーのいい部分も悪い部分も知っているはずなのに。

 そんなこととは関係なく、主人公の少年が自分の街を好きだと信頼しきっている空気が、画面から伝わる。映画の最初から最後まで、主人公たちは、成長も、進歩もしない。ただそういうものだからという日常の中で、彼ら一人一人に沿った個性で正しいと思うことをやり、失敗し、喧嘩したり、仲直りしながら、ピンチを切り抜け、冒険を終えて、何事もなかったかのように日常に戻って行く。

 ラスト、朝日を背景に「あー、もう今からじゃ眠れないし、遅刻だよ」と大あくびする主人公の横顔を見て、瞳は、自分が泣いていることに気づいた。

 世界規模の危機と、自分のどうっていうことのない日常が、どちらも矛盾なく傍らにあるということ。その表現の力に圧倒され、何の準備もなかった瞳の心は『バタフライ』とそれを撮った野々崎監督に鷲掴わしづかみにされていた。

 生まれて初めて、自分の住んでいた街と、団地を肯定していいのだと思えた。誰に何を言われたって、自分がそこを好きだったことを、認めていいのではないか。

 お金がない、不幸だ、かわいそうだと言われ、否定の連続で目指してきた自分の進路に、瞳は初めて疑問を持った。そして思った。

 アニメーションって、なんてすごいんだろう。

 おもしろいんだろう。—―(ハケンアニメ! P.126、P.127)


 第2章の中心人物となる主人公・斎藤瞳は「サバク」こと「サウンドバック」を手掛ける、トウケイ動画の監督です。幼少期に貧しかった瞳は、お金を稼げる仕事につくために一流大学を目指し、受験戦争に勝ちました。でもある日「バタフライ」というアニメを観て、突然アニメ業界に入る事を決意しました。


—―「行城さん、やっぱり気になるんですね。王子さんたちのこと」

 気持ちを悟られまいと表情を引き締めると、つい、意地の悪い声が出た。行城はヒット作の多い、所謂「覇権」を取った経験のあるプロデューサーだ。彼が決めたことに文句を言うつもりはないが、それにしても見えてるものが全然違うのだなぁと思ってしまうのはどうしょうもない。

 行城が、気分を害する様子もなく、穏やかに答える。

「意識しないわけじゃないですけど、気にしてるってほどでもないですよ」

「有科さんって、あれですよね。彼女が行くと、100%確実に原画が上がるっていう伝説の進行さんだった人」

 彼女自身が知っているかどうかわからないが、いくつかの動画スタジオで噂に聞いたことがある。

 スタジオえっじの女性プロデューサーと話がしたいためだけに、その子を現場に寄越すよう頼んだり、入ってくるだけで「あれが噂の」という雰囲気になる。容姿だけではなく、アニメーターの仕事を褒め、気遣う言葉のセンスがいいのだそうだ。—―そして、自分がそうやってモテていることへの実感がゼロだという、天然の恋愛下手。そして、そんなところも男性アニメーター達にはたまらないのだと、どこまで尾ひれがついた形でかはわからないが、瞳はそんなふうに聞いていた。

 話で聞いた時には、むしろ反発を覚えるくらいだったのに、何度か顔を合わせた有科香屋子かやこは雰囲気が優しい、瞳の作品も含め、アニメを愛する気持ちと情熱が感じられる女性だった。確かにきれいだが、それだけじゃない。なるほどこの人か、と納得した。—―(ハケンアニメ! P.150、P.151)


 行城理ゆきしろおさむはトウケイ動画の凄腕プロデューサーです。第1章でも登場しましたが、香屋子にとってはライバルなので悪役的な描かれ方でした。一見クールながら、なかなかアニメへの愛情のある人物なのです。映画版では柄本たすくが演じました。


 人の名前を覚えなかったり、クールでビジネスライクなキャラからタイトルの風見鶏を示すのはこの人だと分かります。

 瞳と行城は、第1章の中心人物、香屋子と王子とのかかわりが随所に出てきます。


—―眼鏡をかけた、小柄な女の子だった。

 瞳に言われたくないだろうけど、垢抜けた様子のない子で、デートだったという服装にも取り立てて気を遣った雰囲気がない。ジーパンとパーカというラフなスタイルで、シュシュでまとめた長い髪の毛もボサボサな印象だった。

 好感を持った。

(中略)

「受けてもいいんですけど、一つだけ条件が」

「なんでしょう」

「時間もないし、急なお話だし……、机も、道具も、全部自分の慣れたものじゃないから、原画のクレジット、名前出すなら、私の本名じゃなくしてください。そういう時のペンネームがあるので、そちらの方で」

(中略)

 ならば、と瞳が頷きかけたその時だった。行城が言った。

「それはできません」と。

 断られると思っていなかったのかもしれない。和奈が目を見開いた。

「どうしてですか。絵はきちんと上げますよ。それぐらい、聞いてくれたっていいでしょう。ただでさえ、無理矢理連れてこられてるのに」

「あなたにお願いしたのは、あなたが並澤和奈だからです。神原画が描けるアニメーターだと今、話題になっている。ご存じですか?」

「え?」

 和奈の顔にぽかんとした表情が浮かんだ。

「名前をください」と行城が言った。

 今度は瞳も呆気に取られた。

「休暇をつぶしてしまったのは、本当に申し訳なく思っています。だけど、我々が欲しいのは、並澤さんの描く絵はもちろん、あなたの名前もです。『サバク』の表紙に“並澤和奈が描いた”、という看板をください。名実ともに。中味も名前も、取らせてください」

 土下座—―とまではいかなくとも、それに近い、腰を九十度に曲げた、まるで謝罪会見のようなお辞儀で、行城が頭を下げる。—―(ハケンアニメ! P.193~P.196)


 第3章の中心人物、並澤和奈なみさわかずなとの出会いです。現場との行き違いで当初の担当からクォリテイの低い原画が上がってきました。このままでは進められません。そこで和奈に白羽の矢が立ったのです。


—―「あの人の悪口を言っていいのは、私だけです。一番振り回されているのも私だし、その逆に一番迷惑をかけてるのも私です。だけど、その私が信頼してるんだから、もうどうしょうもないじゃないですか」

 ああ、そうなのだ。

 口にして、初めて認められる。

—―瞳は、行城を信頼している。誰よりも。

「名前を憶えてもらえない? そりゃそうでしょう。覚える価値がないと判断されたんだから。私も演出だった頃や、助監督の頃はそうでした。“あの女の演出”とか、“五話をやった子”とか、そんなもんです。顔だって、きっと忘れられてた」—―(ハケンアニメ! P.213)


 行城は敵も多く、現場で悪口を言われていました。瞳はがまんできず反論します。これだけの信頼関係で結ばれている二人ですが……


—―「—―『サバク』を終えて、どれくらいで、トウケイ動画を辞めるつもりですか」

 全身が、総毛立った。

 弾かれたように顔を上げ、彼を見る。行城が、静かにスプーンを置いた。瞳を見るその目には、怒りも、悲しみもなかった。

「知ってたんですか」

 声が掠れた。

「知ってますよ。僕の人脈と情報の早さを舐めないでください」

 行城がようやく笑った。怒っていない—―、実感して、震えだしそうなほど、ひとまず、安堵する。

 トウケイ動画出身の多くの監督が、この会社を去っている。

(中略)

「わかりました」

 行城が頷いた。「仕方ないですね」と言って、それから表情をふっと和らげた。

「止めませんが、一つ、条件があります。それだけは、どうか守ってください」

「なんですか」

「どうか円満に、トウケイ動画を辞めてください」

 顔を上げた瞳に、諭すような口調で続ける。

「野々崎監督にしろ、王子監督にしろ、会社と大げんかして辞められるので、その後、トウケイ動画社員の僕としては手出しが一切できなくなります。—―これからも一緒に仕事するためにも、どうか、上と揉めたりせずに、円満に、穏便に辞めてください」

「—―これからも、私と仕事してくれる気があるんですか」

 本気で驚いて尋ねると、不機嫌そうに唇を結んだ行城が、心外だとばかり口を尖らせた。

「いけませんか?」と。

(中略)

「きちんと、勝ちましょう」と言った瞳の声に、行城がしっかり、顎を引いて頷いた。

「もちろんです」と。—―(ハケンアニメ! P.227~P.232)


 瞳と行城のがんばりで、「サバク」のアマゾンの結果は良かったです。瞳は「神様。私にアニメをありがとう」と言って第2章が終わります。


◇◇◇◇◇◇



 読んでいただきありがとうございました。



 次の第93回も引き続き「ハケンアニメ」の秘密に迫ります。お楽しみに。

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