【20】

   



 しゅるりとヴィルカインの首を絞めるスコットの腕に、からみつく金の髪。そこからすっぱりと腕を切り離す。狭い部屋にスコット王の絶叫が響き、ヴィルカインは床に投げ出されて、ごほごほと咳をする。しかし、その顔をあげてユイアベールの姿を見て、大きく目を見開いた。


 壁に鉄の杭ごと打ち付けられた、彼はそのままの青白い顔で、しかし、永遠に閉じられたと思われた目を開いていた。そして「よいしょ」とその壮絶な姿に似合わないかけ声をかけて。

 ずるり……と、鉄の杭から己の身体を引きはがした。壁に後ろ手に手をついて、前へと自分の身体を押し出したのだ。


「な、なぜ! 生きている!? 確かに鉄の杭を心臓に突き刺したはずだぞ!」


 スコット王が叫ぶ。それに「残念」とユイアベールは、スコット王の全身にその髪を絡ませながら。


「僕の心臓は、ここにはないの。あいにくここは空っぽでね」


 艶然と微笑みながら、血に染まる胸に手を当てる。胸の傷は、もう、ふさがりつつあった。


「ならば、貴様の心臓はどこにある!?」

「法王庁の金庫」

「なっ!?」


 その驚きの表情のまま、スコット王は、バラバラとなった。落ちた首がころころと床に転がる。首だけの姿のまま、スコット王はつぶやく。


「我は永遠の王……」

「あらあら、他の悪魔と違って、さすがにしぶといなぁ。首だけでも生きてるって、さすがに無いよ」


 ユイアベールが目を丸くする。スコット王、正確にはその首はずりずりと床をずって、逃れようとした。しかし、その首を足で踏みつけて押さえたものがいた。ヴィルカインだ。

 踏みつけられたスコット王は、怯えた目で死神の青年を見上げた。ヴィルカインは無言で、その鎌を振り上げる。


「や、やめろぉおおぉぉぉ!!」


 それがスコット王の断末魔の叫びだった。鎌は首を真っ二つにし、他の肉片と同じく、とたん黒い霧にとなって霧散し、消滅する。


「こらっ!」


 ヴィルカインが王の最後ともいえる、床の黒いシミをぼんやりと見つめていると、ふらりと寄ってきたユイアベールが、ぺしりと頬を叩いた。


「なんだ?」

「このとんでも王に首を絞められたとき、君、諦めたでしょう? 死んでもいいか……って」

「……疲れていただけだ、少し休んでから、こいつを倒そうと」

「少し休んでいる間に、壁にめり込まされそうになっていた、クセに」


 ユイアベールはそう言って「ふう……」とため息一つ。「いい?」と目の前にいる弟の高い鼻をふにゃりと指で押す。


「僕は滅多なことじゃ、死なないの!」

「知っている」

「胸を串刺しにされたぐらいどうしたっていうの? 首をはねられたって、手足をバラバラにされたって、肉片になったって復活出来るの!」

「それも知ってる」

「唯一の弱点の心臓は法王庁の金庫にあるの! だから、死ぬわけないじゃない!」

「……それは忘れていた」

「はい?」

「うっかり忘れていた。よく、考えればあんなに怒ることもなかったな」


 そう、あっさり言うヴィルカインに、ユイアベールはへなへなと床に崩れる。


「なんで、そんな肝心なこと、忘れるの!」

「だから、忘れたもんはしょうが無いだろう!!」

「仕方ないで、殺されかけてどうするの!?」

「ユイが死んだと思ったんだから、仕方ないだろう! だから、俺も……」


 パン! と、先ほどよりいささか強くユイアベールが、ヴィルカインの頬を両手でぱしんと張る。そのままヴィルカインの顔を両手で挟んだまま、彼の顔を見上げ、見つめて。


「そんなこと言わないの。僕が死んだって、君は生きるの!」

「ユイ……俺は……」

「それが、マリアの……母さんの願いだ。いいね」

「…………」

「返事は?」

「はい」


 こくりとやけに素直にヴィルカインがうなずき、ユイアベールはその手を放した。

 そのとたん、じわりと地面が揺れたような気がした。いや、気のせいではない。兄弟が顔を見合わせ、お互いが揺れを感じたのなら、これは本物だ。それも……。


「イヤな予感しか、しないんだけど」

「俺もだ」


 兄弟ともに〝イヤな予感〟を感じたというのなら、これも気のせいでは無い。ダンピールと死神の予感なのだ。これは予感ではなく、預言レベルで〝とてつもなくイヤなこと〟が起こる前兆だ。

 実際、じわりじわりとした揺れは強くなり、低い響きは地鳴りと言っていいだろう。

 その上にスコット王が死んで残した石のシミ。それが揺らぎ形を変え始める。壁を這う蔦のように伸びたそれは、丸く大きな紋章のようなものとなっていく。


「あのさ、僕、気になっていることがあるんだよね」

「なんだ?」

「黒犬はみんな、ヴィルが片付けたよね」

「ついでに言えば、山羊頭の悪魔もお前が一匹、残りは俺が全部始末したぞ」

「うんうん、オマケで自称〝永遠〟のスコット王も倒したよねぇ」


 スコット王が〝オマケ〟とは、本人が目の前にいたら、憤死ものだろう。しかし、その本人はたしかに兄弟達が倒した。


「だけどさ、あと一匹残ってない?」

「ああ、確かに、スコット王と契約した悪魔が残っているな」


 スコット王が王子を亡くして狂い、悪魔召喚の儀式でも行ったのか、それとも悪魔自身が誘惑したのか、それは本人が消滅した今、永遠に謎だ。

 しかし、その悪魔がどんな相手なのかは、今、石畳に刻まれようとしている紋章で分かる。この額に五芒星をうった山羊の紋は間違いない。もっとも、山羊頭の悪魔達で出た時点で気づくべきだったが。


 中世の昔。誇り高き修道騎士団を堕落させたのもこの悪魔だった。彼らは、赤ん坊を、幼児を、処女を生け贄に捧げ、聖なる祭壇ならぬ、悪魔の偶像を掲げた祭壇で、集団で男女のみならず、男同士、女同士、姦淫に耽ったとも。

 その名は、バフォメット。紋章の上に透ける形で浮かび上がりつつある姿は、頭は山羊、身体は人というもの。ねじれた角に髭という、雄の黒山羊の頭とは正反対に、その胸には、女性のふっくらとした乳房がある。奇っ怪と言ってよい形。おそらく、腰布で隠れた股間には男性器があるに違いない。


 しかし、動物の偉業の頭を持つとはいえ、その身体についてはおかしがることはない。悪魔とはもともと、天使が堕ちた姿と言われているのだから。天使は両性具有なのだから、悪魔がその身体に雄と雌の特徴をもっていて当然なのだ。

 そして、その堕天した悪魔と人間との間に出来た子供が、化け物達の祖先だと言われている。

 だから、いつか化け物達は悪魔に堕ちて、人に害を及ぼす存在になるのだと、人間達は化け物達を迫害してきた。化け物達は特殊な力を持っていたが、繁殖力は弱く、数も少ない。比べて人間達はなんの力も持たない代わりに、愛し合い、憎み合い、太古から同族同士殺し合いながらも、それ以上に生まれ地に満ち、この地上の王となった。


 だが、悪魔はそれが気に入らないのだという。元々天使であった彼らは、人間をうとんでいる。始まりは、神の寵愛を独占したいと、人に嫉妬して、地に墜とされた明けの明星、十二枚の羽の光り輝く天使は、地中深くにめり込んだ、そうして出来たのが地獄だと言われている。

 その後も天使達は堕ち続けた。創世の男女が罪を犯した、それゆえ、神から楽園を追い出された、その監視のために派遣された天使達。だが、彼らは、人間の娘……すなわち、女の美しさにまどい、彼女達に天界の技術を教えてしまう。それにより、地上には武器が満ちあふれ、人々は殺し合うようになった。


 それだけではない。堕ちた天使たちは、娘達を妻に娶ったのだ。彼らとの間に生まれた子供は、天をつくような巨人で、人と同じ繁殖力をもって地に満ち、地上のありとあらゆるものを食らったあとは、共食いをし始めた……というすさまじい神話が残っている。

 この阿鼻叫喚の地獄を神は見て、善良なる夫婦一組と動物のつがいを一組ずつ。世界一高い山に運ばせて、あとはすべて水で押し流してしまったと……。


 さて、この巨人達の子孫が、化け物だという伝承もあるのだが……しかし、この世の生き物は選ばれたつがい以外、すべて水に流されてしまったはずである。天使とふしだらな娘達の間に出来た巨人など生きているはずもないのだが……まあ、これが神話というものだ。歴史の本のように、いちいち、整合性など求めていても始まらない。

 ともあれ、化け物の子孫である兄弟二人は、地上に蘇ろうとしている悪魔を見つめていた。借り物の御曹司の服と、ドレスはぼろぼろだが、服の中に隠していた、銀と木で出来た神の印が、その胸で揺れる。


「大悪魔が蘇るなんて、何年ぶり?」

「何百年ぶりどころか、法王庁が出来て以来だろう」

「そんな昔!?」

「やっぱり、お前、神学校の授業で居眠りしていただろう?」


 ユイアベールが驚くのに、ヴィルカインはあきれて言う。


「だいたい、こんな悪魔が蘇ったら、この建物どころか、都市一つその余波で吹き飛ぶぞ。悪魔にその意図があろうとなかろうとな。それこそ、軽く最終戦争アルマゲドンだ」

「だったら、絶対に蘇らせる訳にはいかないじゃないの!」

「そういうことだ!」


 紋章の上に浮かび上がったバフォメットの身体が透けて揺らぐのに「おかしいね」とユイアベールはつぶやく。


「なんだか、復活が完全ではないみたい」

「大悪魔一匹、現世に受肉させるんだ。ここの囚人達の血と、悪魔どもが殺した娼婦。それに黒犬どもに、悪魔ども、スコット王のどす黒い魂。これだけで、足りると思うか?」

「足りないね、とても」

「そうだ。復活の際に都市一つ滅ぼすような悪魔ならば、その実体の召喚には、同じだけの犠牲の血がいる。何千、何万、何十万という血がな」

「なるほど、あのスコット王はたしかに小物だね。ちまちま、囚人を生け贄に捧げたり、悪魔の息子達を街に解き放ったぐらいじゃ足りなかったんだ」

「そう、だからこの大悪魔を狙うのは〝王〟と決まっている。王だからこそ、この世の最大の悪たる、戦争を起こせる。それぞれの正義という名に、人は酔いしれ、同族を異教徒を化け物達を殺すだろう。

 俺という死神なぞ居なくとも、人は死をまき散らす」

「そして、何十万という命で満腹になった悪魔は、目を覚ます……か。まったく、とんだ美食家だよ!」


 まだ幻影のバフォメットがゆらりと動く。とたん、地下牢の空気が大きく動き、そして、監獄塔そのものを大きくゆらした。




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