【18】



 ユイアベールが連れられてきたのは、地下の拷問室と言える場所だった。看守達は無言で、ユイアベールの両手、両足を壁に貼り付けにし、鎖につなぐ。そして部屋から出て行った。


「ああ、鎖、外れそうにないな」


 がちゃがちゃと腕と足をつなぐ鎖を引っぱるユイアベールであるが、外れそうにない。それは今まで彼を縛っていた縄もそうだったが……。

 ただの縄や、鎖であったなら、ヴィルカインほどでなくとも、ユイアベールとて、それなりの怪力だ。簡単に引きちぎることが出来る。

 それがこれは出来ない。ということは……。


「やっぱり、魔界の呪文がかけられているね」


 手かせの内側に刻まれた、人間には読むことが不可能な文様。それを見てユイアベールはつぶやく。


「これぐらいの呪文を綴れるってことは、あの山羊頭のスコット達じゃないなぁ。一応、人の言葉はわかる……」

「そんな馬鹿と思われては困るな」


 現れたのは恰幅の良い壮年の男。褐色の緩やかな癖毛を後ろに長し、髪の色を濃くした黒い髭。このドーンの空のような灰色がかった青い瞳。それは歴代のログリス王の肖像画とぴったり一致する。


「なるほど、あなたがスコット九世」


 そう、口にしてユイアベールは気づく。


「スコット、スコット……バラバラスコット……なるほど、みんな、あなたが犯人だってわかっていたのか」


 バラバラスコットの正体は誰か? ドーンの誰もが考え、知りたがっていたことである。だが、それは言い当てていたのだ。

 スコット……すなわち、この国王スコット九世こそが犯人なのだと。


「恐れを知らぬ民どもは、余の名を殺人鬼につけるとはな」

「それを無礼だととがめられなかったのは、自分が犯人だったから良心がとがめたからなんだ」


 そうユイアベールが言ったとたん、スコットの手から鞭がとんだ。着ているドレスを肩から引き裂き、詰め物のされた胸元からコルセットが露わになる。白い肩には一筋のミミズ腫れから、血がにじむ。


「まったく、美しいというのは罪だな。男と分かっていてなお、その白い肌に血が映えるのに惑わされる。余に男の趣味などないのだが」

「そりゃどうも、鞭打ちだけは上手な王様」


 ニヤリとユイアベールが笑えば、間髪入れずに鞭がとんだ。一発、二発、三発と、それはドレスを切り裂いて、コルセットと下のパニエだけの姿とする。そして、白い肌には、いくつもの赤く痛々しい鞭のあとを。


「口の利き方には気をつけたほうがいい。確かにむち打ちがうまいからこそ、お前はこの程度で済んでいるのだがな。下手な奴が鞭など振るえば、この綺麗な顔もずたずたに切り裂かれていたぞ」


 うなだれるユイアベールに手を伸ばし、その髪をつかんで引き上げる。ユイアベールが目を見開いたのは、王ではなく、その後ろにあの山羊頭の悪魔の姿があったからだ。その姿は三匹。


「そう、余もそうだが、余の息子達のほうがよほど怒っているぞ。自分達の弟を殺されたとな」


 たしかに最初に出会った山羊頭の悪魔の首をとばして消滅させたのは、ユイアベールだ。山羊悪魔達の赤い目には、ぎらぎらとした殺意が見えた。


「息子? あなたの?」

「ああ、十年前に我が息子ヘンリーは亡くなってしまった。それから、私は神に新たなる息子を授けてくれるように祈り続けたが、三年間その祈りは聞き届けられず、だから新たなる神を信じることにしたのだ。

 神は約束通り息子を授けてくださったが、このように異形でな。母の腹を食い破って出てくる。今度こそ人の形で生まれてくるかと思ったが、四人とも母を殺してしまった」


 ヘンリーとは、スコット王の一人息子の王子のことだ。教会が認める最初の妻の子供として生まれた。が、幼くして早世し、その後王妃との間に子供が出来ず、王は王妃を離婚。だが、教会はそれを認めず、スコット王はこの国独自の新たな教会を立ち上げたのだ。

 そして、次々と妻を娶り、その妻達は一年ほどでいずれも、謎の死を遂げていた。それは監獄塔に幽閉されたのだとか、王自ら切り捨てたのだとの噂があったが、まさかそれが……。


「新たな神? 悪魔と契約したの? だったら、その願いが叶えられる訳がない!」


 悪魔が望むのは人の苦しみと不幸。成功を与えたとしても、それはつかの間の夢幻であり、その対価として要求されるのは、その血と肉と魂。その人間のすべてだ。

 それが王ならば、それこそ、その王国のすべてを悪魔に捧げたようなもの。


「その悪魔達は、あなたの子供なんかじゃない! ただの悪魔だ!」

「ええい黙れ! これは余が胤をこぼした腹から生まれた子供。余の息子達だ!」

「それこそ、それがあなたを惑わす幻影だ。これが息子だと、悪魔があなたに与えた醜悪な餌だ!」

「黙れ! 黙れ! 神は息子達が人間になると言ったのだ! 言葉通り、餌を与えれば与えるだけ、息子達は成長し、賢くなったぞ。今は、人に化ければ言葉もしゃべることも出来る。ほどなく、人に姿を常時とることも可能となるだろう」


 〝餌〟という言葉にユイアベールは息をのむ。そして、監獄塔で見た風景を思い出す。がらんどうの地下牢、あれは……。


「囚人達をその悪魔達に食わせたのか?」

「ああ、餌の〝蓄え〟が無くなって、息子達を街に放した。賢くなった息子達は、上手に狩りをしていたのだぞ、貴様等が来るまでは」

「人間を餌にしたのか! かわいそうな街の女達を、こんな化け物どもに狩らせたと!」

「地下牢の囚人など人間であるものか! 娼婦も同様だ! いっそ、あのようなゴミどもなど、街から居なくなれば、綺麗になるというものだ」

「冗談を言え! お前のほうこそ、汚いぞ! この悪魔以下の豚王め! お前の行く先など、地獄に決まっているが、その地獄の最下層で、堕天使ルシファーともに、その役立たずの下半身は氷付け。醜い顔がついた上半身は業火に焼かれて、さらに醜悪にただれるといい!」


 ユイアベールは激高し叫んだ。その金の髪は逆立つように波打ち、大きな目はつり上がり、紫の瞳は炎のように輝く。それでも、なお、鮮烈な光のように稲妻のように、彼は美しかったが。

 そして、がちがちとその両手を拘束する手枷、足枷が鳴る。鎖のつながれた壁がミリミリと音を立てて、さらに手足が鮮血が吹き出す。壁から鎖を抜くどころか、手足を犠牲にして、この拘束を振り払うとばかりに。


「黙れ! この化け物め!」


 それまで威厳を保っていたスコット王は、怯えたように後ずさり、そして、後ろの息子達に命じた。


「このダンピールを殺せ! 弟達の敵をとれ!」


 三人の王の息子。いや、三匹の悪魔。その両脇の二匹は、ハンマーを。そして真ん中の一匹は鉄の杭を持っていた。大人の男の腕の太さほどもある、先を尖らせた杭だ。

 その鉄の杭が、ぴたりとユイアベールの胸に当てられる。その上からハンマーがたたきつけられる。


「!」


 胸に打ち込まれる杭。ユイアベールの目が見開かれる。それは痛みではなく、身体の単なる反応のようだった。その証拠のように、がくりと首が垂れ下がり、手枷だけで宙づりにされている状態となる。その間も楔は容赦なく左右から降ろされるハンマーによって打ち込まれる。それは後ろの石壁に食い込むほど激しいものだった。

 杭からは鮮血が滴り、汚れた石の床に血だまりを作る。ハンマーを投げ捨てた悪魔達は、獣のように四つん這いになり、その血を舐める。三匹は我先にと争うように貪る、その様を見てスコット王は、高笑いする。


「そうだ、息子達よ! 新たな力を取り込め! その人の姿をした化け物の力を得れば、お前達も人の姿を取ることが出来るだろう!」


 王の哄笑が血の甘い香りが満ちた地下室に響き渡る。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




「ユイ?」


 その頃、地下道を黒犬を追いかけて駆けるヴィルカインはつぶやいた。かすかに胸の中央が痛んだような気がしたのだ。

 だが、すぐに目の前の黒犬に意識を切り替える。下水道の暗闇の中、いくら夜目が利くとはいえ、入り組んだ迷路のようなこの通路の中では、少し目を離しただけで見失いそうだ。足音を追うにも、音が反響して、それも分からなくなりそうだ。


 だが、その追跡は唐突に終わった。

 黒犬の死によって。


 それは一瞬のことだった。ヴィルカインの追跡していた黒犬は、四方八方から飛びかかってきた仲間、つまりは黒犬達によって噛みつかれていた。喉に、手足に、腹に尻尾、全身に黒犬たちの牙が食い込み、次の瞬間にはバラバラになっていた。その小さな肉片さえも、仲間達が一口で腹に収め、骨さえも、ひとかけらの毛さえも残らなかった。


「仲間を食らうか?」


 ヴィルカインの言葉に、黒犬が一斉に彼を見る。下水道を埋め尽くすように、赤い目、目、目が光る。

 そこに宿った怒りは『奴は裏切り者だ』と語っていた。侵入者であるヴィルカインを連れてきた、それだけで罪なのだと。


「なるほどな」


 こくりと彼は納得したようにうなずいた。そして、着たままだった、貴族のひらひらした上着から、黒い棒を取り出す。その先から蒼い炎のように、巨大な鎌が出現した。黒犬たちが一斉に威嚇するようにうなり、その声が不気味な嵐の轟音となって、下水道の迷路に響く。

 それはマンホールから地上へと漏れ出し、地上の人々は怯え、震え上がった。のちにこの怪音はドーンの七不思議の一つとなる。泣き幽霊バンシーの声として、街に騒動が起きる前触れとされるのだが。


「たしかに、俺はお前達におとずれる〝死〟の使いだな」


 黒犬たちが一斉に飛びかかるが、その胴体についた二つの首は、まるで麦の穂のように鎌に刈り取られていく。刈り取られた瞬間、黒犬たちの身体は黒い霧となって霧散する。

 たちまち、ヴィルカインの視界は黒犬たちの残骸である黒い霧に覆われて、真っ暗となる。夜目は利くが、しかし、それは遮るものがない場合だ。黒い霧は見事なほどに目隠しの役目を果たし、他の犬たちの赤い目の光りさえ隠してしまう。


「これが狙いって訳ではないだろうが……」


 ヴィルカインが苦笑する。鎌をやたらめったら振り回せば、みっしりと黒犬がいるこの状況なら当たるだろうが、そんな無様な戦い方をしたくないと、鎌を止めれば、両腕だけでなく、両足にもミリ……と重い衝撃が走る。

 その長身の両手両足に黒犬が噛みついていた。それも二つ頭が両方とも、ミシミシと骨が裂けよとばかりにだ。

 さらには、その噛みついた黒犬たちの足に噛みついた仲間達が、ぎりぎりと両手両足を左右に引っぱる。ヴィルカインの身体を八つ裂きにするように。いや、出来るなら、そのつもりなのだろう。


「悪いが、ここでバラバラになるわけにはいかない」


 ヴィルカインはそう言うと、左右に広がった形の己の腕をぐいと引き寄せた。両腕に黒犬が噛みついている、そんな痛みや力など感じないとばかり。噛みついている黒犬だけではない。その後ろ足には何匹もの黒犬が噛みつき、引っぱっているというのに、その黒犬たちごと振り回すように。


「これで、終わりだ!」


 青白い炎のような鎌が、一艘大きくふくれあがり、その光が黒い霧をそして、黒い犬たちを照らし出す。鎌の一振りが一閃となり、それは真白き光となった。

 そして、光がおさまったその後には、ヴィルカイン一人だけが立っていた。黒犬たちの姿は、霧の一粒ほどの姿もない。


 黒犬達が満ちていた下水道の通路の奥には扉が見えた。鉄扉の門には、おどろおどろしい紋章が刻まれている。いかにも怪しい扉であるが、普通の人間にはただの鉄の門扉……どころか、ただの石の壁。行き止まりの通路に見えるだろうと、ヴィルカインには分かる。

 これは目くらましの呪がかけられた扉だ。悪魔達が人間界へのゲートに使う、出入り口と同じ。とはいえ、そんな入り口程度では、小悪魔ぐらいしか出入り出来ないが。


 創世の時代に堕ちた天使の慣れの果ての大悪魔達は、その大きさ故に地底から容易に出てくることなど出来ない。だが、そこから手下の悪魔達を扇動している。

 いつか人間界へと続く、深淵のアバドンを開けようと。


「させるか……」


 ヴィルカインはつぶやき、鉄の扉を蹴破り開けた。そして、石造りの建物の中へと入る。

 そこはさらに下へと降りる、らせん階段が続いていた。ヴィルカインは迷うことなく階段を下りる。下へ、下へと、まるで底なし穴を降りるように。


 そして、続く、長い廊下通路を抜け、地下牢獄のような場所へ出る。格子のはまる牢屋はすべてがらんとしており無人だった。そこを通り抜けて、ヴィルカインはなにかに導かれるように、奥へと真っ直ぐ進む。

 その突き当たりに、鉄格子ではなく、鉄の扉の部屋が見えた。鉄の扉にはこれ見よがしに悪魔の紋章。扉をウイルカインは蹴破る。


「ほう、最後の客が来たようだな」


 そんな声が響く。そう言ったのは、黒い髭の壮年の男。服装からしてかなり高貴な人物とわかるが。

 それより、ヴィルカインの目に飛びこんできたのは、血だまりとそこにうずくまるようにして、その血をすする山羊頭の悪魔達。


「ユイ!」


 そして、その血だまりの上には、胸を杭で刺し貫かれた、ユイアベールの姿があった。





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