【15】

   



 逃げる悪魔を追って、二人は建物の壁を駆け上がり、屋根の上へと飛び乗った。ごてごてした貴族の衣装のヴィルカインも動きにくい服装ではあるが、ユイアベールはドレス姿である。しかし、彼らは羽が生えたようにに屋根の上を跳んで、悪魔達追いかける。

 ドレスの脇をつまみ上げて駆けるユイアベールは、それは優雅に、宮殿の回廊を貴婦人が滑るように移動するがごとく軽やかに。


「今度こそ逃がさないぞ!」


 その叫びが聞こえたかどうか、悪魔達は屋根の上から下へと飛び降りて消える。「待て!」と二人も同じように、下の細い路地へと飛び降りたが……。


「あれ……?」


 悪魔達の姿は忽然と消えていた。きょろきょろと当たりを見回しても、細い路地の両脇には石造りの壁が続くばかり、壁にところどころ空いた、小さな窓も強引に破られた気配はない。そもそも、あの窓の大きさでは悪魔達の頭の角がひっかかるどころか、ヴィルカインの肩も突っかかるだろう。ようするに、壁を壊さない限り、まず入ることは不可能だ。

 煙のように悪魔達はまたもや消えてしまった……そのように見えたが。


「あやしい……」

「あやしいな」


 二人がにらみつける……薄汚れた石畳の先には、丸く黒いマンホールがあった。地下の下水道の入り口だ。

 悪魔が消えて、マンホールがここにある。マンホールの入り口は狭そうだが、壁にある小窓のほど小さくもない。これなら頭の角が引っかかることなく出入りすることが出来るだろう。


「僕さ、ずっと疑問だったんだよねぇ。いくら人間に化けられるとはいえ、襲うときはしっかり元の姿に戻る〝スコット〟がさ。どうして、今まで誰も見られなかったかって……」


 誰もがバラバラスコットのことを〝人間〟だと思い込んでいた。新聞の報道もそうだったし、今まで出会った人々もだ。悪魔の姿を目撃したメアリーはのぞいて。


「下水の地下通路を利用していたのなら、その姿が見られなくて当然だろうな。あの大量の黒犬達も、街の話題になっている節もない。おそらくは奴らも……」


 ドーンの街に縦横無尽に張り巡らされた下水道。これならば確かに、人知れず闇の者が移動する通路として、最適だろう。


「さて、どうするの?」

「どうするもこうするもない。中に入って確認する」


 ヴィルカインはその長身をかがませて、マンホールの蓋に手を掛ける。それにユイアベールは「げっ!」と顔をしかめて。


「下水道の中なんて、汚い水とドブネズミや言いたくない虫であふれているじゃないか! 僕はヤダよ!」

「子供みたいなタダこねるな! 奴らがここに逃げ込んだのは間違いないんだから、入るしかないだろう! 無理矢理、たたきこまれたいか!」

「暴力反対! 弟横暴!」

「なんだ、その標語は!」


 しかし、ヴィルカインがユイアベールは下水道にたたき込む前に、ドヤドヤと現れたのは警官の制服を着た男達。


「居たぞ!」

「昨日と服装が違います! それに一人は女です!」

「だが、ここにいる奴らだと〝命令〟を受けている」

「とにかく、あそこの二人だ! 捕まえろ!」


 やってきた警官達に「また、うるさいのがきた!」「逃げるぞ!」と駆け出した兄弟だった。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 警察官達に街中追われ、なんとか巻いて、娼館にたどり着いたのは真夜中。疲れた顔でたどり着いた二人を出迎えたリズは「まず、ご飯ね」と、借りた服の着替えもさせず食堂へと連れていった。

 出されたのは山盛りのパンに、ゆでたジャガイモ、ハムにチーズ、そして温かなスープとごちそうである。がつがつと食べたのはヴィルカイン。ユイアベールはその横で、スープだけ〝食べるふり〟をした。


「良い食べっぷりね。たくさん食べる男ってのはよく働くのよ」


 そんなヴィルカインにリズは熱いまなざしを送るが、弟は知らんぷりでパンを口に押し込め、ハムを囓り、スープをすすっている。ユイアベールは、その横で林檎をしゃりしゃり囓りながら。


「しっかし、あの警官達、僕達を監視していたように出てくるね」

「今頃、気づいたのか? さすが、馬鹿だけあるな」


 ジャガイモに薄切りにしたチーズをのせて、もそもそ食べながらヴィルカインが言う。


「なに!? すでに気づいていたっていうの! なんで僕に言わないのよ!」

「いや、気づいたのは今夜、あの警官達が現れた時だ。俺もこんな格好だし、お前だってドレス姿だ。それで俺達だとわからない者達もいたが、とにかく捕まえろと上から〝指令〟を受けたと奴ら話していただろう。

 俺達を捕まえたい奴らがいること確かだな」

「……それって僕が全部、今、言いたかったことだけど」


 がつがつ食べ続ける弟を、横目でじっとりにらみつけてユイアベールは言う。ここで負けられないとすっ……と息を吸い込んで。


「それにね、今回だけじゃない! 前回も、前々回だって、僕達があのバラバラスコットと出会ったとたん、邪魔するように警官達が現れたじゃない!」

「三度目ともなれば、とても偶然とは思えないな。まして、警官達は〝指令〟を受けてあの場所にやってきて、変装した俺達を見ても、それを捕まえろと命じられていた。

 考えられることは一つ。警官とスコットは繋がっている」

「もっと正確にいえば、警官達はスコットを捕まえようとしているけど、警官達に命令を出すお偉方さんは、スコットを知っていて僕らを邪魔しているだね」

「やだ、それじゃあ、お偉い人達がスコットを使って、あたし達を襲わせているみたいじゃない」


 二人の会話を聞いていたリズが言う。「その通りだね」とユイアベールは答え。


「でも、リズさん、あんまり驚かないのね」

「そりゃね。この国の偉い人が化け物を操っていたなんて、恐ろしいわよ。でもねぇ、王様や貴族様なんてのはいつの時代だって、そんなものじゃない。あたし達、下々の者のことなんて、草原で草をはむ牛か羊ぐらいにしか思ってないのさ。

 バラバラにして殺されるのと、毎日じりじりと真綿で絞められるように、貧しさと重税にあえぐのと、どちらがマシなのかわからないわねぇ」


 そう、ため息をつくリズの表情には、どうしようもならない世の中へのあきらめがある。


「とはいえ、バラバラにされるのはやっぱり理不尽だよ。生きていれば、きっとなにか良いことあると思うし」


 ユイアベールがそう言えばリズは「あら、あなた意外と良い子ね」と彼の頭を撫でる。それにユイアベールは嬉しそうに目を細める。


「あの悪魔は俺達が倒す」


 そして、ヴィルカインがきっぱりと言う。それにリズは「やっぱり、あなたいい男ね」と微笑む。


「ねぇねぇ、なんで僕が良い子で、ヴィルがいい男なのよ? 僕がお兄さんなんだけど」

「うーん、本当にあなた、彼のお兄さんなのかしらねぇ。私にはどうも、〝子供〟に見えるんだけど」

「なにそれ! 僕はれっきとした、この馬鹿でかい弟の兄貴です! そりゃ、ヴィルより背が低いのは認めるけど、僕が兄貴だ!」


 ぶうぶうとユイアベールがリズに文句を言っていると「大変よ!」と、娼婦の一人が駆け込んでくる。


「警察がこの館の周りを囲んでる!」

「あら、なんで突入して来ないんだろう?」


 ユイアベールがのんきな声をあげる。昨夜、警官達は女風呂にまで突入してきたのだ。疑問に思って当然であるが。


「それが、あんた達を出さないと全員逮捕して監獄塔にぶち込むって言ってるのよ! 警察官どもが!」


 〝監獄塔〟という名前に、そこにいた娼婦達がざわりとざわめく。幾人もの王族や貴族、将軍達が閉じこめられ、中庭で首を斬られ、もしくは一生幽閉された、その監獄は入ったら出られないと有名だ。実は王族や貴族の為の監獄という訳ではなく、その地下牢には平民や外国人たちも閉じこめられた。

 上の塔の部分の家具付き監獄は、たとえ中庭で首をはねられる運命だろうとも、その朝までは人間として快適に暮らせただろう。しかし、じめじめと湿った地下牢に鎖で繋がられた身分のない囚人達の運命は……もっと悲惨なものだったに違いない。


「あなたたちは居ないって、あたしが話すわ」


 そう言ったのは、リズ。


「言ってもどうせ警官達はこの館を徹底的に家捜しするでしょうけど。その間に、あなたたちなら逃げられるはずよ」


 それに「いや、それは無駄だ」と言ったのはヴィルカインだ。リズは「何故?」と問う。


「俺達がこの屋敷に居ないとなれば、警官達は逆にお前達全員を捕まえるだろう。犯人の逃亡を助けたとしてな」

「そう、俺達が逃げれば、関わったあなた達を捕まえて酷い目に遭わせるぞ! と、これは脅しだよ。だから、警官達は僕達を捕まえるために屋敷の中に踏み込まず、外で僕達が出てくるのを待ってる」

「そんな……じゃあ、あなたたちが捕まらなければ、あたし達は……」


 リズが苦しい迷うような表情で黙り込み、紅で彩られた唇を悔しそうに噛みしめた。兄弟達をここに匿ったのは彼女だが、しかし、彼らを警察に突き出さなければ、今度はこの娼館の女達が警察に連れて行かれるのだ。いや、彼女もまた監獄塔送りとなる。


「僕が行くよ」


 ユイアベールが立ち上がり、食堂から出ようとする。それを見てリズが、険しい表情でヴィルカインを見る。彼はしゃりしゃりと林檎を囓っていた。


「あなたは行かないの?」

「捕まるのは一人で十分だろう。外を囲んでいる奴らは、それで引き下がるはずだ」

「お兄さんを犠牲にするつもり!?」


 リズが尖った声で叫べば、ユイアベールが戸口で振り返る。


「ヴィルは保険だよ。ここの娘さん達を守る為のね」

「保険!?  」

「うん、だって、二人とも馬鹿正直に〝自首〟したって、警官さん達がここに手を出さないって約束を守るとは限らないじゃない」


 そう言い残してユイアベールは食堂を去って行った。それにリズもとたんヴィルをにらみつけていた険しい表情を解く。そして「ごめんなさい」という。


「あなたがここに残るのは、あたしたちを守る為ね」


 確かに兄弟達が大人しく館を出て行っても、警官達がここに手を出さないとは限らない。もし、今の兄弟達の会話が本当で、警察とバラバラスコットが繋がっていたとしたら、そのスコットの秘密を兄弟達を通じて少なからず知った娼婦達を、警官達は始末しようとするかもしれない。いや、警官達などよりもっと恐ろしい、国を支配する者達が……。

 だから、そのためにヴィルがここに残ったのだ。


「謝ることはない」

「なら、ありがとうと言わせて。あたし達を待ってくれる騎士さん達に」


 〝達〟と言ったのは、ヴィルカインだけではない。ユイアベールもまた、己の身を犠牲にすることで、娼婦達を救おうとしているからだ。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




「出てきたぞ!」


 娼館の扉が開くと同時に叫び声があがる。しかし、出てきた人物に警官達は、ぎょっ! とすると同時に、失望も露わにした。


「女! お前には用などないぞ!」


 そう、それはぞくりとするような美女だったからだ。豪奢な薔薇色のドレスの上からもわかるほっそりとした肢体。建物から漏れる明かりに照らされる、処女雪の白の肌。盛装のドレスに身を包んでいるというのに、なぜか垂らした金の髪は腰を通り超して、膝裏につくまでの長さだ。ふわりと夜風にそれが舞う様は、まるで金の光を散らしたようで、結い上げた髪に飾りなどつけなくとも、十分にその髪こそが、この極上の女神の飾りを果たしていた。


 そして、建物の周りを囲む警官達を見渡し瞳は、濡れたように光る紫。これぞ最高級の娼婦を思わせる誘うようなまなざしだ。思わず警官達のすべてがごくりと生唾を呑み込んだほど。


「なにが女だよ」


 しかし、紫がかった赤に彩られた小さな口から飛び出たのは、乱暴な言葉遣いと、しっかり低い男の声だった。この落差に、警官達はぎょっと目を剥いた。「驚いてやんの~」とケタケタ、美女……ユイアベールは悪童のように笑う。


「自分達が捕まえなけりゃいけない相手の顔も覚えてないなんて、あんた達、ばかぁ?」


 いいながら流し目、髪をかき上げる仕草、ちらりと見えた白いうなじは色っぽく、男と分かっていながら、大半の警官達はドキリとしたが。


「スコットだ! スコットの片割れだ! 捕まえろ!!」


 その声に、警官達は我に返って、ユイアベールに飛びかかった。玄関の二、三段階段を上がった高い場所に立つ、彼を引きずり下ろし、首や手足に巻き付けるように縄をかける。

 バラバラスコットが捕まった! この知らせは、この歓楽街のみならず、ドーンの街中に広がり、夜中だというのに、その姿を一目見ようと人々は監獄等まで続く道々に出た。そして、大勢の警察官に囲まれた〝スコット〟の姿を見るなり、息を呑み、ある者は投げつけようとした石を力無く降ろす。


 首に縄を掛けられ手を後ろ手に縛られた罪人は、真っ直ぐ前を見て歩いていた。顔をあげ、背筋を伸ばし堂々と。可憐な薔薇色のドレス姿に縄を掛けられた細い姿は、痛々しくさえあるのに、逆にそれが神々しくさえ見える。


「おい……あれが本当にスコットなのか?」

「とても、凶悪犯なんかに見えないぞ」

「むしろ……なぁ……」


 沿道の人々のざわめきを慌てて打ち消そうとするように、警官達が「スコットが捕まったぞ!」「邪魔だ! 退け!」と声を張り上げる。

 こうして、異様な深夜の行進は監獄塔に吸い込まれ……。

 その鉄の黒門が閉じられると同時に終わったのだった。





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